奇跡の料理人
その大陸は、干ばつも激しく、その寒さたるや凄まじく。
山賊すら住み着かぬといわれたその山には、生気など感じられぬほどに冷たい空気で覆われていた。
そんな山の頂に、雪の白と混じるかのような白亜の城が一つ。
一体いつ、誰が建てたというのか、その城主は誰なのか。
それすらも誰も知らず、『ただそこにある』という噂だけが、麓の村や街で広まっていった。
そんな城の中。
赤い絨毯で敷き詰められた回廊では、外の冷気とは裏腹な温い風が吹いており、城内の『住民』たちは、その風に虚ろな瞳を瞬かせ、また歩き出すのであった。
暗き城の中、ただ一人の主を悦ばせんが為に。
「う、うぅ……い、痛い……痛いよう」
また、城内の別の回廊では、歳若い娘達が四人。いずれも美しい娘ばかりがそこにいた。
その内の一人、黒髪の娘がうずくまり、足首を押さえて泣きじゃくっていた。
「泣かないでヘニア。大丈夫、きっと助かるから――」
その肩を、背中をなでてやりながら、優しい言葉を掛けるのは長い銀髪の娘。
「シェリー、ヘニアはもうダメよ……置いていきましょう」
だが、残る二人は黒髪の娘の足を見て、「これはもう無理だ」と気付き、銀髪の娘――シェリーに耳打ちする。
「ひっ、やっ、お、置いていかないでっ!! ひ、一人に、一人になんてしないでっ、お願いだからっ!!」
それが聞こえてか、ヘニアと呼ばれた黒髪の娘は取り乱し、シェリーのスカートに縋りつきながら、必死になって懇願する。
「アイリス、なんてことを言うの!? 大丈夫よヘニア、ほら、肩に掴まって」
耳打ちしてきた娘に憤りをぶつけながらも、シェリーはヘニアに肩を貸し、ゆっくりと立ち上がる。
「――痛……ぅっ」
「我慢してヘニア。もう少しだから。きっと、もう少しで出口があるはずだから――」
「もう少しっていつよ……あの牢から逃げ出して、私達、どれ位の時間、この城を逃げ回ってるの……?」
痛みに苦しむヘニアを少しでも元気付けようとして掛けた優しい言葉が、他の娘たちにはどこか、皮肉のように感じてしまっていた。
自然、言葉尻も厳しくなっていく。
「こんな事になるのなら……いっそ、逃げずにあのまま牢にいるんだったわ。血を吸われるって言ったって、すぐ殺される訳じゃないんだから……」
悲観的な言葉ばかりが口に出てしまうのを、シェリーは咎める事もできず、ただ奥歯をギリ、と噛み、耐える事しかできなかった。
皆、限界なのだ。とことんまで追い詰められて、その心は狂ってしまう寸前。
頭がおかしくなりそうな恐怖を、絶望を、なんとか口に出して晴らさねば、生きていることすら投げてしまいそうなのだ。
ここにいる四人が四人とも、このままでは不味いのは解っている。
だというのに、状況を打破する手段などなくて。助けなど期待できない中、彼女たちはひたすら、逃げ続けるしかなかったのだ。
それでもなんとか一歩を踏み出そうとしていたシェリーたちであったが、先ほどのやり取りを聞いてか、『集まって』きてしまっていた。
カタ、カサ、という何かを引きずるような、無理矢理こすりつけるような音。
時々ぐちゃりと水気を孕んだ音が空間に響き、その度に娘達は背筋をびくりと震わせる。
「あ、ああ……」
「に、逃げないと――」
「逃げるって、どっちによ!?」
途端に娘達はパニックに陥ってしまう。
彼女たちは、別にさほど親しい間柄ではなかった。
幼い頃からの付き合いだとか、血の結束があるだとかいう事は無く。
親友どころか友人ですらなく。
それこそ、四人が四人とも、この城に連れてこられるまでは面識すらなかった、正真正銘の赤の他人。
ただ一つ『生きてこの城から出たい』という目的が一致して、こうして逃げているだけだった。
がさり、ぐちゃりという乾燥と水気との両方を孕んだ音は、やがて娘達の正面後方、双方から聞こえ――その影をちらつかせるに至った。
ゆったりと近づいてくる絶望。彼女たちは、これから逃げていたのだ。
「しぇ、シェリー……い、今なら、今ならまだ、ヘニアをここに置き去りにして逃げれば――あいつらだって、きっと動き回る私達よりは、動けないヘニアの方にいくはずだわ!」
「やっ、やめてっ、お願いっ、お願いよぉアイリスっ、見捨てないでぇっ!!」
「シェリーっ、このままだと私達――」
「……っ」
究極の選択は、目の前にまで迫っていた。
今まで何とか生き延びられた四人。
だけれど、ここで誰かを犠牲にしなくては、誰も助からないかもしれない。
だが、だからとヘニアを犠牲にして逃げたとして、逃げ切れる保障などどこにもない。
今アイリスが言った非情の決断とて、あくまで彼女の、追い詰められて勝手に抱いた願望に過ぎないのだ。
自分達に迫る影が、一体どのような生物で、何故自分達を襲うのかなど、ほとんど何も解らないのだから。
そして何より、ここでヘニアを見捨て、逃げるという事は、この先、似たようなことがあるたびに、誰かを犠牲にして逃げることに他ならない。
別に友情や愛情を抱いていたわけではない彼女たちだが、それでもシェリーは、『できるなら皆で生きて帰りたい』と、願ってしまっていた。
その願いが、このようなときになって判断を鈍らせる。
「シェリーっ!」
「ヘニアを離してシェリーっ」
「やめてっ、お願いっ、なんでもするからっ!! お願いだからっ、見捨てないでぇっ!!」
「……くっ」
そうして、別にリーダーでもないのに一人判断を押し付けられたシェリーは、肩を貸していたヘニアを、近くに立っていたアイリスへと押し付ける。
「きゃっ」
「シェリー、一体何を――」
そうして、他の娘達を前に、肩を震わせながら、にこりと、できるだけ頑張って微笑んで見せ、こう言うのだ。
「アイリス、トレニア。ヘニアを頼んだわ。ここは私がなんとかするから。三人は先に逃げて頂戴!」
責任感の強い彼女は、結局、ヘニアを犠牲に助かろう、なんてことはできなかったのだ。
自分が判断を委ねられて、誰かを犠牲にしなくてはならないというなら、それは弱っているヘニアではなく、まだ動ける自分の方が善いに違いないと、そう考えてしまっていた。
怖くて、震えてしまいながら、涙を流しながら。
這いずる音は近づいてくる。
足をこすり、まとった布切れを石壁にかすらせながら。
壁掛けの燭台の炎に肌を焼かれ、じりじりと焦げ臭いにおいを垂らしながら。
そうして影から人の形へとはっきり見えたそれは、娘達の前に後ろに、現れてしまった。
『ヴぇぁぁ……』
『ウグゥェ……ゲブェェェ……』
奇妙な声のようなものを発しながら、爛れた皮膚の、人のような化け物が、前後に二体ずつ。
娘達は進路も退路も絶たれ、真っ青になりながら、その化け物の顔のような何かを見ないようにしながら、一人前に立つシェリーの背を見ていた。
「シェリー……」
「いかないでシェリーっ、貴方がいってしまったら、きっと次には私がっ」
「行くわよ二人とも、折角シェリーが前に立ってくれたのよ、無駄にしないで!!」
残る娘達は、しかし、いずれもバラバラな反応で。
どうしても逃げなくてはいけないはずなのに、こんな時もやはり、まとまりがなかったのだ。
「う、うぅっ――あ、貴方達の相手は私よっ、こ、こっちに、こっちに来……」
それでも、なんとか他の娘を逃がそうとシェリーは声を張り上げようとした。
胸が張り裂けんばかりの恐怖に震えながら。なんとか声を絞り出して、注意を惹こうとした。
しかし、それもわずかばかりの虚勢。
いざ化け者達の視線を浴びると、凍りついたように身体は動かなくなり。
「あっ……あ――いっ、いやっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
化け物が自分に向かって歩いてくるのを見てしまったシェリーは、半狂乱になって逃げようとしてしまう。
一人だけでも。自分だけでも逃げたい。まだ死にたくない。他の人なんてどうでもいい。生きたい。生きてここから出たい。
極限の状況下、小娘一人の心など、そう長く保つはずがないのだ。
だが、その狂気は身体を飛び跳ねさせはしても、逃げようという気持ちにはさせても、それ以上に身体を動かしてはくれなかった。
「――ひぁっ!?」
足がもつれ、何もないところで転んでしまう。
化け物の前に倒れこむ形となり、無防備な背中を晒してしまう。
動きこそ鈍い化け物であったが、それでもその足を、腕を掴むのは容易であった。
シェリーの細い手足は、化け物に拘束され、ぎり、と、強く握られてしまう。
「あっ、ぎっ――いたいいたいいたいいたいいたいいたいっ!! やめてっ、いやっ、お願いっ、殺さないでっ!! お願いですっ、いやっ、死にたくないっ、死にたくないよぅっ! なんでもするからっ! お願いですっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!!」
化け物の手の、ぐちゃりとした気持ち悪い感触、そして強い力を感じて、シェリーは実際に感じている以上の痛みを感じている気分になってしまった。
先ほどまでの勇気など欠片もなく、みっともなく、だらしがなく泣きじゃくり、化け物に許しを請うていた。
「いやっ、離してっ」
「助けてっ、いやぁっ!」
「あぐっ、痛――苦し――し、死んじゃ……」
逃げ出そうとした三人も、同じような有様であった。
見えなかっただけで、奥にはゾロゾロと化け物が集まってきていたのだ。
恐怖と絶望、狂気、そして後悔。様々な負の感情が溢れ、娘達の瞳から、光が消えようとしていた――
「――うおりゃっ!!」
そんな中であった。
頭を押さえつけられ、首を絞められていたシェリーは、不意にその重さ、締め付けが薄れるのを感じた。
やがて、自分の目の前に化け物の腕が転がり落ちるのを見て、「ひっ」と、小さな悲鳴をあげて驚いたのだが。
「てーやーーーーっ」
同じようにぐしゃり、ぐちゃりという水音が響き、やがて化け物のうめき声のようなものは全く聞こえなくなっていった。
それ以上に身体に走る痛みが減り、何が起きたのか解らない娘達は、しゃくりあげながらもなんとか身を起こし、周囲を恐る恐る見ようとする。
「いやーっ、大量大量! 流石は死者の城と呼ばれるだけありますねー、いたるところにゾンビゾンビゾンビ! うっはうはですよーっ」
「うむ! これで高級食材大量確保だな!」
彼女たちが見た光景。それは、彼女たちを襲っていた化け物――ゾンビを一撃の下屠りながら、その臓物の一部を引きずり出して何かを背負ったリュックに放り込んでいく――探検家風の男女の姿であった。
「ふふっ、手伝ってもらったお礼にベイクさんにも沢山食べさせてあげますからねー、覚悟しててくださいよー」
「それは楽しみだ、さあ、次のゾンビ狩りに行こうかっ」
「おっけー、れっつらごー!!」
楽しげに、ホクホクとした顔で走り去ろうとする二人組。
しかし、そこでようやくシェリーは気付いた。
「――まっ、待ってください!!」
そう、自分達以外の人間だったのだ。
逃げ回っていた、自分達以外の。
あんまりに場違いな会話と雰囲気に唖然としてしまったが、自分達はこの人たちに助けられたのだと、ようやく頭がそれを理解したのだ。
「え……あっ、そ、そっか、人だわっ」
「助かった……? わ、私達、助かったの……?」
「ぐすっ……ひ、人が……も、もう、見捨てられずに済むの……?」
他の三人もようやく状況を理解してきたのか、互いに顔を見合わせながら、先ほどとは別の意味で涙ぐむ。
幸い、シェリーの言葉で駆け出そうとしていた二人組は足を止めて、こちらに振り返ってくれていた。
「――あら、ベイクさん、こんなところに人間がいますよ? ゾンビじゃない人間がいるなんて、どうしてでしょう?」
「はて……不思議な事もあるものだなライチ君。ここは吸血鬼が建てたゾンビパークだと聞いていたのだが」
そして、不思議そうな顔で首をかしげながら、シェリーたちを見ていた。
何でこんなところに? と、本気で不思議そうに。
「えっ、あの……貴方達は、私達を助けてくれたのでは……? 助けに来てくれたのではないのですか?」
「えっ? 何言ってるんですか貴方は。私は食材を求めてこのお城に来ただけですよ?」
「私はそんな彼女を追ってこの城に来ただけだ。まさか君たちのような若い娘がいるなど思いもしなかったよ!」
ははは、と、楽しげに笑う二人組。
特にライチと呼ばれた赤い髪の娘は彼女たちとそう変わらない年の娘で、そんな娘が『食材を求めて』こんな化け物だらけの場所に来るなんて、と、娘達は呆然としてしまっていた。
「大体、お金も払わずに助けてもらおうなんて魂胆が甘いんですよ。助かりたいなら自分で戦えばいいんです」
ため息混じりにお説教を始めるライチ。
娘達はただ、そのお小言を聞き流すしかできなかった。
やはり、理解が追いつかないのだ。
「ゾンビも倒せないのに何しにこんな城にいるんですか? あっ、もしかしてアレですか? 吸血鬼の持っているお宝を求めてのトレジャーハントとか!? そんなお宝がこのお城にあるなんて聞いた事もないですが、そういうアレなら私も無視はしませんよ!」
そして勝手に盛り上がっていた。放っておくとろくなことにならない気がして、娘達の一人、金髪のトレニアがおずおずと立ち上がり、声を絞り出す。
「あ、あのっ。私達、その、全員、吸血鬼にさらわれてこの城に連れてこられて……死にたくなくて、逃げていたところだったんです」
「そ、そうっ、そうなのっ」
「お願いっ、助けてくださいっ」
「見捨てないでっ、なんでもするから見捨てないでっ」
トレニアの言葉に、他の娘達も必死に懇願しながら二人を見つめる。
もう自分達が助かるには、この二人に縋りつくしかないのだ。
ソレが解っていたからこそ、四人は団結して、この『よく解らないけど助けてくれるかもしれない人たち』に縋っていた。
「金貨……うーん、若い娘さんだから三枚くらいかなあ?」
「街娘ならそうだろうが、村娘だと二枚くらいじゃないか? 身なりのいいそっちの娘は十枚くらいにはなるかもしれんが……」
二人、ぼそぼそとよく解らないことをのたまいながら、娘達の服装をちらちらと見やる。
皆、美しい娘ではあったが、シェリーとトレニアは街娘らしく華やかな流行の服やアクセサリーを身につけているのに対し、アイリスは田舎娘らしく芋っぽい格好。
そしてヘニアは一人だけきらきらのドレスを着ていて、銀色に輝く冠をつけていた。
「まあ、彼女たちの分は私が立て替えるよ。確かにこんな城の中、戦う力の無い娘さんたちを放置するのはどうかとも思う」
「そうですか? 自分で生きる力の無い人なんて死んでしまえば良いと思いますけどね。酸素と調味料の無駄遣いですよ」
「そう言わずに。それに、偶然とはいえ折角助けたこの娘達が次に会った時にゾンビになんてなってたら、流石に夢見が悪いだろう?」
「それは……まあ、確かに。知らないままならともかく、こうして顔を見てしまうと、かっさばくのにも少しばかり勇気が入りますしねぇ」
「ひぃっ!?」
かっさばく、という物騒な言葉に、ヘニアがびくりと震えてしまう。
他の娘も、このよく解らない言動ばかりする赤髪の娘に、若干、怯えのような感情を感じ始めていた。
(も、もしかして私達……)
(吸血鬼や化け物から逃れる為に)
(とんでもない人達の手を借りようとしているのでは……)
娘達が不安に駆られたのは言うまでも無い。
「ふんふんふーん、しっかし、ゾンビ多いですねえこの城。普通の感染病原地帯だと、せいぜい多くても小さい村一個分位の規模しかないはずなんですけど」
「感染源の吸血鬼が、よほど上手くやっている、という事なのかもしれんね」
「大した手腕ですねー。ヘニアさんの格好見ると、周辺の王家にも喧嘩売ってるみたいだし? 王族のゾンビとか普通にいたりしてー」
「ところどころゾンビが宝石や金貨を持ってるのはそういう理由からかね。こちらとしては、路銀はいくらあっても良い位だから助かるがね」
「もー、そんなこと言ってベイクさんは。お金や宝石なんて拾わなくても一生遊んで暮らせるくらいの富はあるでしょうにねぇ。こんな道楽してる位なんだから」
「金はあるさ。だが、普段から持ち歩ける量には限りがある。君がいつだって世界中のスパイスを持ち歩くことができないのと同じだよ」
「なるほど。そう言われてみるとそんな気がするから不思議です」
前を歩く二人は、のんきな会話などしながらゆったりと進む。
定期的に聞こえる武器を振る音、そして二人の掛け声。
城を徘徊していたゾンビは瞬く間に叩き伏せられ、そして倒れたゾンビに向けて何かをしている二人を、シェリーはそろーっと見てしまう。
「うぐっ……あ、あの、お二人は一体、何、を……?」
そしてソレをはっきりと見てしまったシェリーは気色悪そうに口元を押さえ、戸惑いを見せる。
困惑げにしているシェリーが気になり、他の娘も見てしまうが。
「ぶぇっ、うぶっ――」
「なっ、なん――うっ」
ヘニアは思わず戻してしまいそうになり、トレニアも絶句して口元を押さえていた。
残る一人、アイリスはというと――
「……解体、ですか? なんか、豚を捌いているような……」
一人冷静に、その光景を眺めていた。
二人がやっていたのは、倒れたゾンビの解体。
丁寧に肉を割り、その臓物を取り出して、その中にある『何か』を手に取り、ナイフで丁寧に切り取ってライチの背負っているリュックへと放り込んでいく。
先ほども目にした不思議な動作。なるほど、これだったのね、と、アイリスは納得しながらその光景を眺めていた。
「まあ、そんなところです。正確には死体についた『ナナコリッパー』と言う貝類ですね。これを取っています」
興味深げに見ているアイリスに向け、ぷらん、と、指先に持った小さな赤い塊を見せる。
動いたりはしないが、ドクリドクリと、妙な鼓動が聞こえていた。
「貝類……? これ、貝なんですか?」
「ええ。死体に取り付くと神経とかを弄って動かしますが、ぶっちゃけヤドカリみたいなもんです。基本的に生きてる人間には寄生できないので、死体を捜すか、生きてる人間を殺して死体にしてから卵を産み付けるらしいですよ?」
生物学は良く解りませんが、と、さらっとおぞましい事を言ってのけるライチ。
しかし、食材について語る彼女の顔はどこか幸せそうで、楽しげであった為、他の娘達は口を挟む事などできはしなかった。
「生きた人間がこれを生で口にすると、何かのショックで稀に慢性的な血液不足に陥って吸血鬼になってしまうらしいです。多分、この城にいる奴も何かの間違いで口に入れてしまったんじゃないですかね」
「そして、生きたまま吸血鬼に血を吸われる事によって感染してその人間も吸血鬼になる。血を吸われすぎて死んでしまうと、この貝に操られてゾンビになってしまう、という事だな」
「そんなものを、食材にするんですか……?」
「これ自体は東の方の薬膳料理の材料に使われてたりする高級食材なんですよ。絶対に生食禁止ですけどねー」
生で食べると吸血鬼化する食材と聞けば、誰だってそんなものは食べたいとは思うまい。
だが、そんなものでも薬膳扱いする東の方の国の恐ろしさを、四人はそれとなく感じてしまっていた。
「東の国、すごい」
「怖いわ」
「ていうか、そんなの集めるライチさんが怖いです」
「食べられるの……?」
自然、ライチへの視線が不安に染まっていく。
しかし、ライチはそんな事気にもせず、先を歩き出す。
娘達も置いていかれたくはないので、怖いとは思いながらもついていく事に。
「さあ、到着しましたよ! 玉座!!」
「到着しちゃまずいところに到着してる!?」
「なんで戻ってきちゃうの!? やっと逃げ出したのにっ」
「ライチさん何考えてるんですっ!?」
「み、皆吸血鬼に食べられちゃう……!」
そうしてたどり着いたのは、娘達の望んだ出口ではなく、ゾンビで溢れかえる吸血鬼のおわす玉座であった。
豪奢な玉座にはこの城の主である初老の吸血鬼が唖然と見ていた。
「なんでこいつら戻ってきてるんだ」と、割と本気で驚いていた。
「ま、まさかわざわざ私の元に来る者がいるとは……ゾンビたちを蹴散らしている者がいるとは聞いたが、君達が噂に聞くヴァンパイアハンターかね?」
「ヴァンパイアハンター? 違いますよ、私はただのすごい料理人です!」
「そして私は彼女の追っかけ。旅の美食家だ!」
ばーん、という謎の効果音、そして吸血鬼と娘達との間に寒い風が流れていった。
だが、当の二人は何が楽しいのか、どや顔で満足げであった。
「りょ……料理人と、美食家が、一体我が城に何の用だというのかね? 見ての通り、この城には私とゾンビとそこの娘達しかいないが……?」
「ああ、貴方には何の用もないです。私が用事があるのはそこに沢山いるゾンビですから」
「むしろゾンビ以外に用は無いんだ。すまないがすっこんでてくれたまえ」
間違いなく強敵のはずの吸血鬼であったが、この二人にとっては眼中にすらないただの脇役であった。
あまりの扱いに、吸血鬼はそれ以上言い返す事も出来ず、ただ二人を見ているばかりであった。
「――と言うわけでこのお城のゾンビはあらかた狩りつくしました。さあ帰りましょう」
「いやー、沢山の食材を確保できて何よりだ。早く麓の村まで戻ろう!」
そしてひとしきりゾンビを蹴散らした料理人とその追っかけは、満足そうに善い笑顔で玉座の間を後にしようとしていた。
吸血鬼、完全無視である。
「ま、待ちたまえっ、人の城に勝手に入ってきて、勝手にゾンビを倒して食材だけ手に入れるなど、虫が良すぎはしないかね!?」
吸血鬼自身も自分で何を言ってるのかよく解らなくなってきているが、なんとなくこのまま二人を帰したのでは負けた気分になってしまうので、必死であった。
娘達は完全の蚊帳の外である。近くに置かれていたソファに腰掛けてヘニアの傷の手当てをしていた。
「なんですか貴方は? そんな横からしゃしゃり出てきて偉そうな……ああ! 解りましたよ、なんやかんやと言いがかりをつけて、私からお金をせしめようとしてるんですね!? このゴウツクバリ! 金の亡者!」
「誰が金の亡者だっ!? 金なら腐るほどあるわっ! そうではなくっ、私を無視してどこにいこうというのだ!?」
「麓の村に決まってるでしょう。そこで調理器具を借りて料理を作るんですよ。それ以外の何があるって言うんですか!」
「わ、私の相手はどうなるっ! まさかお前ら、このまま私を無視して帰るつもりではなかろうな!?」
「なんで私が貴方の相手なんてしなくちゃいけないんですか。暇人の相手してる余裕はないんですよ。私は多忙なんです。人の時間を止めたいなら、相応のお金と態度ってものを見せるべきだと思うんです!」
吸血鬼が何を求めてるかなど、ライチには全くどうでもいい話であった。
彼女の頭はもう、いますぐにでも帰ってこの食材を使った料理のあれやこれやを作りたいという願望で溢れかえっていた。
調理とは、彼女の最も強い欲望なのだ。次点は金である。
「そんな訳ですからさようなら」
「ま、待てっ、お前、料理人なのだろう!? ならば、この城の器材を使えっ! 使って良いから……一人ぼっちにしないでくれ」
そして吸血鬼の根負けであった。本音がぽろりと出てしまっていた。
「一人は、もう嫌なのだ……血は吸いたいし、若い娘ともいちゃつきたい……だが、その度に娘達は死んでしまうし、ゾンビになって――」
「調理器具使って良いんですか!? やったー!」
吸血鬼の言葉など、ライチには聞こえていない。
調理器具が使える=すぐに料理が作れる。
それだけで十分であった。それ以上は必要なかった。
「よーし、では調理の時間ですよ! 全員、私に続けぇっ!!」
その場の全員に掛け声し、ライチは厨房へと走り出す。
吸血鬼も娘達も混乱しかけていたが、ライチに言われるまま後をついていく。
先ほどまでは誘拐した張本人と囚われた被害者という関係の者達が、今では横に並びなんとも複雑そうな顔で歩いていた。
「まず! 今回の料理は辛口です! 寒いところですからね、お酒とかスパイスとかたっぷり使ったものですから、辛いのが苦手な人は水を沢山用意してくださいね!」
厨房にて。
背負っていたリュックを降ろし、真っ白なエプロンと調理帽を被ったライチとベイク。
そして何故か同じ格好をさせられる吸血鬼と娘達。
なんとも不思議な空気が漂っていたが、誰も逆らうことなどできなかった。
「なあに、その内慣れるさ」
彼女の追っかけをしているのだという自称美食家は、特にライチを手伝ったりする事なく、吸血鬼の隣に腰掛けて楽しげにライチの手腕を眺める。
慣れたものであった。
食材自体は簡素なもので、先ほど集めた新鮮な『ナナコリッパー』を水を張った鍋の中に雑に放り込み、蓋をしてかまどに火を掛ける。
同時にオーブンを加熱しておき、平焼きの米粉パンを温めておく。
同じようにリュックから取り出した変わった木目のまな板の上に紫ガーリック、青オニオン、そしてグリーンペッパーを用意し、いずれも細かく刻んでいった。
鍋がふつふつと音を上げ始めると、蒸気が蓋を押し出す寸前で蓋を取り、厨房に保管されていたレモンの果実酒をぱしゃりと一掛け。
白く茹で上がったナナコリッパーを箸で丁寧に取り出し、入れ替わりに先ほど刻んだ三種の野菜を半分放り込む。
ナナコリッパーは冷水に浸して引き締め、今度は熱したフライパンの上で果実酒、フライパンを変えてオリーブオイルの順で炒める。
このときに、野菜の残り半分とカシューナッツを入れ、適度に火を通しておく。
そうして出来上がったオリーブオイル炒め。
今度はオーブンで温めておいたパンの上部を半分に割り、皿のように割ったパンの間に丁寧に盛り付けていき、更に最初にナナコリッパーを炒めていた果実酒もソースとして軽くかけていく。
くつくつに煮えたぎった鍋の中身に、最後の締めとして軽く塩を振り、かき混ぜたら――完成である!
「さあ! 早くお食べなさいな! 『ナナコリッパーのオリーブオイル炒め』は湯気が出ている間が、『ナナコ激辛スープ』は煮えたぎっている間が最高に美味しい瞬間です! お喋りなんてせず、料理と私に敬意を感じながら味わうのです!」
決して逆らってはいけない空気がそこにはあった。
厨房において料理人とは王であり、彼女の言う『食べなさい』は絶対の命令であった。
だから、皆して出された料理に手を伸ばし……そして、食べ始めればもう、手が、口が、止まらなくなっていた。
まず、オリーブオイル炒めは、強い甘みを鼻に感じさせる。
レモン酒の持つ芳醇な香りとナナコリッパー自身の持つ臭みの無い甘さが合わさり、更にカシューナッツがこりこりの食感と食味のまろやかさを出していて食べた者に非常に強い甘みを感じさせるのだ。
食べた先から鼻を通っていく甘美に、一堂は最初こそうっとりとする。
だが、次第に舌先に痺れを感じ始め、頬を、そして喉元、やがて顔を真っ赤にしていく。
これは、刻んだ三種の野菜による発汗作用。
これらを口にした事により、脳が勝手に勘違いしてしまうのだ。『今は暑いのだ』と。
そうして身体は誤った命令を伝え、とにかく汗を流させようとする。
これによって体温が跳ね上がる。汗が止まらなくなる。
吸血鬼も娘達も、当然ベイクも、気がつけば汗だくになっていた。
更に煮えたぎるスープである。
これも野菜の辛さが際立つかと思えば、最初に煮詰めておいたナナコリッパーのダシが効いているおかげで果実酒の甘みが際立ち、見た目ほどに熱くは感じさせない。
だが、一口飲み下せば胃の底から熱くなってくる感覚。
余計な具材が入っていないので逃れようも無く、スープを飲めば熱くなり、具を食すれば汗が止まらなくなる。
どちらを喉に通しても熱くなり、汗が出て、そして水が欲しくなる。
このような寒い世界ではありがたいメニューであった。
とにかく、止まらないのだ。止まったら水が欲しくなってしまう。
だが、水などという無粋なものを口にしたら、折角のこの素敵な辛さが、幸せな気分まで冷めてしまうのではないかという幻想に駆られてしまう。
全員が、折角用意した水を一口も飲む事無く食べ続ける。
喉に詰まりそうになればスープを啜る。そしてまた、止まらなくなる。
美味の悪循環。終わる事の無いかのような無間の境地。
食べながら幸せそうな顔をしている者など一人とていない。皆必死である。
だが、誰一人、手を止める事無く。余計な事など言わず。
一心不乱に食べるさまに、料理人ライチは、ただ一人、幸せそうに優しく微笑んでいた。
「……くはぁっ」
「か、から……」
「うう……お腹が、熱い……」
「こんな辛いの、初めて食べたわ」
「でも、すごく美味しかった……」
完食の瞬間。
皆、一様に大きなため息をつき、それでようやく、身体から力が抜けていく。
張り詰めた空気は薄れ、やがて場に、穏やかな風が流れ込む。
「美味かったなあ」
「本当ですね」
「こんなに美味しいなら、また食べたいかも……」
「すごいよね……ゾンビの中からこんな……」
「どうしよう、ハマってしまいそうだわ」
気がつけば、吸血鬼と娘達は団欒していた。
楽しげに料理の感想など話したりしている。
そこにはもう、数時間前までの捕食者と獲物という関係は存在していなかった。
「ふふん、皆さん満足していただけたようですね」
「いやー、今回も美味かったよ。はるばる北の端まで来てよかった!」
ベイクもご満悦である。
全員の幸せそうな顔に、ライチは満足げであった。
その後、ナナコリッパー料理に心を奪われた吸血鬼は改心。
さらわれた娘達はライチ達が帰るついでに送るつもりであったが、吸血鬼と共にナナコリッパー料理を研究するサークルを立ち上げる事を誓い、城に居残る。
後の世において、結託した吸血鬼組織による世界を揺るがすバイオハザードを喰い止める『奇跡のパーティー』。
伝説のゾンビキラーとして語り継がれる事になる四人の娘達と吸血鬼の物語が、ここから始まる。