幼なじみのシスター・ペリーヌ
姉はヨロイを質屋に入れ、かわりに旅に必要な寝袋や調理器具などを買って戻ってきた。日差しをさえぎるピクニック用のつばの広い帽子は反乱軍から姉の目立つ赤毛を隠して移動するのに都合がいいように思えた。これから夏に向かう季節だったので不自然なところはない。
夕暮れが夜にかわっていく中、姉は僕を後ろに乗せてロシナンテをブルゴス修道女院の裏口につけた。控えめに呼び鈴を鳴らすと、応対に出たシスターにこう言った。
「ペリーヌ・ルシエンはいますか?あたし、ペリーヌと同郷のゲルニカに住むマリア・ペドロサといいます。ゲルニカが空襲を受けたことは伝わっていますか?あたしたち戦火から逃げてきたんです」
ほどなく、シスター・ペリーヌがやってきた。ペリーヌさんは姉を見て目を見張ると
「ガ……」
と言いかけたが、すぐに察してあわてて言い直した。
「グアーウ!(まあ!)、無事でよかったわ、マリア。さ、中に入って。寮長、あたしの友達のために空き部屋を使ってかまいませんか?」
「もちろんですよ、ペリーヌ。迷える子羊を救わない教会に何の意味がありましょう」
と、年長のシスターはにっこり微笑んだ。
僕たちは修道士の宿舎ではなく、ブルゴス大聖堂の古ぼけた一室に案内された。ペリーヌさんは近くに他の修道士がいないのを確認して言った。
「こんなに大きい教会だと、空き部屋も多いのよ。この部屋には、数年前まではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼者を泊めていたんだけど、いまのスペインは巡礼できるような状態じゃないでしょ。ずっと使われてないの。ここなら他の修道士に見られる危険が少ないわ。なにかほかに必要なものはある?ガラ」
姉は幼なじみの、そして自分よりふたつ年上のペリーヌさんの好意におもいっきり甘えることにした。
「おふろに入れたら最高なんだけど。もう3日も体を洗ってないのよ」
ペリーヌさんは沸かしたお湯を大きなヤカンに入れて何度も往復してくれた。
「洗濯用のタライで悪いわね。シャワー室は他の修道士も使うから……うちの教会はバスク人がほとんどだけど、バスク人であっても教会関係者は反乱軍派が少なくないの」
とペリーヌさんは説明した。ブルゴスはすでに反乱軍の支配下だったから、姉に気付いた人がポイント稼ぎに反乱軍に通報する可能性は高かった。
「かくまってもらったうえにお湯までいただいてるのに、何の不満のあるもんですか。ありがとねペリーヌ」
と姉。ふたつ年上もひさびさの再会も関係なく呼び捨てだ。二人の関係が気の置けない親密な間柄であることがよくわかる。
ペリーヌさんは僕の方を向いてからかう口調でいった。
「ところで弟さんは?いっしょにおふろに入らないの?」
入るわけがない。僕はもう12歳だ。姉は家族にたいして裸や下着姿を隠そうとしない方ではあったけど、弟といっしょにおふろにはいりたがる妙な性癖があったわけではない。僕がむくれていると姉が笑いながらチャチャを入れた。
「弟さんはね~。お年頃なのよ~」
ああもう。これだから姉の友達が家に来るのはいやだ……おっと、ちがった。いまは僕が姉の友達のところに来ていたのだった。ペリーヌさんは僕の顔をのぞきこみ、ニヤニヤ笑いを浮かべて続ける。
「うわ~。すっごく嫌そうな顔してる~。『女ってやつは、どうしてこう、群れるとデリカシーがなくなるんだろう』って顔。そんなの、男が群れたときと同じに決まってるじゃないの、ねえ」
そして姉に向かって言った。
「ガラ!あんたのおっぱいが小さいからいっしょにおふろ入りたくないんだってさ!」
言ってない。僕はそんなこと言ってない。姉も負けずにやりかえす。
「あたしは騎士だもん。脂肪が少なくても問題ないの!あんたこそ神様と結婚なんかしちゃあ、せっかくの巨乳が持ち腐れじゃないの!」
そう、ペリーヌさんは見事でふくよかで焼きたての白パンのように柔らかそうな豊饒の丘をふたつ、その胸に持っていた。
ペリーヌさんは意味ありげに微笑んだ。
「そうでもないわよ~。司祭様も男ですもの」
タライのおふろから上がった姉は、引き締まった筋肉質の体をふきながら言った。
「う~わ~。あんた〝死後、裁きにあう〟わよ~」
ブルゴスの司祭様の名誉のために、そしてペリーヌさんの名誉のために、僕はこれを単なる冗談だと受け止めた。おそらく姉も同じだろう。実のところ、修道院に入る前からペリーヌさんは男性関係で乱れた所はまったくなかった。おっぱいの大きさに惹かれてアタックする男性は無数にいたが、身持ちの固さではゲルニカでも定評があった。ペリーヌさんが修道院に入って神様を生涯の伴侶とすると聞いたとき、町の男たちはみな嘆き悲しんだけど、
「あの敬虔なペリーヌなら、当然だ」
と口々に言ったのである。
ただ、ペリーヌさんは神様を敬っていたけど、それと同じくらい「冗談」を敬っていた。
あとになってわかったことだが、ペリーヌさんが積極的に僕をいじったのは、なんとか笑わせて僕の無口を治そうと考えたからだった。少年期の僕は、ほぼ自閉症児だった。家族以外で話ができるのは、ほんの一部の親友と学校の先生だけ。ペリーヌさんがやったことは症状が悪化しかねない迷惑な素人療法だった。
とはいえ、僕は運良く悪化しなかったので、なんとか社会に対応できる程度には他人と会話ができるようになった今、ペリーヌさんをうらんではいない。
話を戻そう。姉のあと僕がタライで体を洗っているあいだ、二人は背を向けてこちらを見ないように気づかってくれた。そのあと、街で購入したレーズンとクルミの入ったパンを夕食にして、しばし三人で思い出話などに花を咲かせた(話せない僕が聞き役に徹していたのは言うまでもない)
話がゲルニカ郊外で倒したスペインニンジャことオセロー・マルケス氏におよび、姉は財布を強奪したことを自慢気に語り、ペリーヌさんは顔をしかめた。
「おお、神様。あわれなオセローさんが、カソリックじゃありませんように」
姉はあきれながら言った。
「誰よ?この女が敬虔だとか言ったのは?」
そして戦利品の財布をとりだして、あらためて中身を数え始めた。すると、財布の中からメモが一枚出てきた。
手書きの地図。雑に書かれたイベリア半島。その南のほうに×が書いてある。そして汚い走り書きで〝エル・カミニート・デル・レイ(王の小道)〟と書かれていた。
「宝の地図かしら?」
と、誰もが思うことを姉がまっさきに口にした。ペリーヌさんは大げさに言った。
「これは……ダイイング・メッセージ!犯人につながる手がかりは王の小道エックス!」
「殺してないし、半殺しにした犯人はあたしだから」
姉は取り合わない。
結局のところ、考えても答えがでるものではないため、軍人さんの作戦メモかなにかだろうという結論に落ち着いた。夜もふけた。ペリーヌさんはおやすみを言うと修道女の宿舎に戻っていった。何年も使われておらずホコリまみれのベッドで、姉と僕はそれぞれ質屋で買った中古の寝袋に入って眠った。
ペリーヌさんの危惧は翌日、現実となった。質屋の主人か、教会の人か、ブルゴスの街の人か……とにかく姉に気付いた何人かがしかるべき筋にタレこんでいたのだ。