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ゲルニカの郷姫ドーニャ・キホーテの聡明なる冒険  作者: 桝田道也
第2章 ブルゴス
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ゲルニカからブルゴスまで

 真っ二つにされたオーク板は、結局もっていくことにした。

「まだ投げ槍くらいの長さはあるし、最悪たきぎになるでしょ」

と姉は言った。うれしい誤算として、オーク板はたきぎにされることはなかった。

幅30センチ、長さ150センチの厚板は、決してすぐれたベッドではなかったが、冷たい地面に直に寝るより数段よかった。草地に寝るのは昼間は快適だが、夜になるとそうではなかった。


 平和な生活を突然うばわれた激動の36時間が終わり、寝ようとして、ようやく落ち着いて自分たちの状況を考えることができた。ふいに、父と母の死が強烈な実感として襲い掛かってきた。もう、あの声を聞くことはできない。母の特製の塩タラ煮込みスープの味。父が語るキホーテ家の歴史。学校のテストで僕が100点をとったときの両親の喜びよう。姉がはじめて春祭りのパレードに立ったときの母の誇らしげな顔。さまざまな思い出が胸をしめつけた。


 僕たちは両親を埋葬することもできずにゲルニカを逃げ出した。やったことといえば、うつぶせに倒れていたのをあおむけにし、血をぬぐい、顔に白いハンカチをのせてあげたくらい。町の人へあてた書き置きを残して僕らは出発した。信心深いマラドーナ爺さんが僕らの罪深い脱走に怒っているころだろう。いまになって懺悔の念が僕をさいなませた。


 嗚咽おえつをなんとかおさえようと努力したが、無理だった。姉は無言で僕の頭をなでた。一枚しかない毛布の中で僕らは抱き合って眠った。姉の体は〝とてもいいにおい〟がした。つまり、たっぷり汗をかいたあとシャワーを浴びなかったひとのにおいが。


 ブルゴスまでの旅路の途中、オカ川の上流で体を洗おうと試みなかったわけではない。だが四月の、ピレネーの雪解け水がまじるオカ川で水浴するというのは、脆弱な20世紀人の僕たちには無理だった。


 僕たちは巡礼の道の1本を逆にたどった。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の道のひとつとして有名な「北の道」はゲルニカの北を通っている。が、名も無きマイナーな巡礼の道はそれこそ毛細血管のようにフランスとスペインの縦横に存在しているのだ。僕たちはゲルニカの南から直接ブルゴスへ向かう道を進んだ。


 ブルゴスはスペイン北部の大都市で、このときすでに反乱軍の拠点となっていた。できることなら反乱軍の支配地域は避けたかった。しかし、ゲルニカはすでに北以外の三方向とも反乱軍が優勢になっていた。唯一残された北は、15キロもいけば大西洋にぶつかった。つまり、陸路をいくかぎり反乱軍の支配地域を通るしかなかったのである。僕たちの先行きは暗かった。


 翌日、姉はつとめて明るくふるまった。

「心配ないって!ブルゴスにはペリーヌがいるわ。覚えているでしょ、お向かいに住んでた、あたしよりふたつ年上のペリーヌ。きっと力になってくれる」

覚えている。マロニエのように美しいこげ茶色をしたロングヘアーの、冗談がすきなお姉さんだった。もっとも僕は自閉症児だったので、自分からしゃべりかけたことはなかったけど。

「ペリーヌがブルゴスの修道院に入るためにゲルニカを出て行って二年……さびしくなったけど、おかげでペリーヌも命拾いしたようなものよね」

と姉。まったくだ。


 姉はしゃべり続けた。

「とにかく、旅を楽しみましょう。こうして二人で旅していると、まるで初代の二人みたいじゃない?あたしたち」

歴代のキホーテたちは、留学や派兵で海外にいったりはしたけど、初代のように従士を連れてスペイン国内を遍歴はしなかった。しいて言えば領地を失って故郷からゲルニカまで流浪した10世と、その子で僕らの父である11世のホアンくらいか。姉が自分を初代になぞらえてまんざらでもない風だったので、僕は謹んでサンチョ・パンサになりきって、狂ってしまった証拠を見せて欲しいと主人にお願い申し上げた。


 説明しよう。とある森の奥深いところで初代キホーテは、修行として狂乱することを決意するのだ(初代キホーテが騎士道物語にハマったあげく自分が伝説の騎士だと思い込んでいること──つまり、修行せずともとっくに狂っていることは、ここでは問題とすまい)。狂う理由がないのに狂ったら、愛しのドゥルシネア姫はさぞかし心配するにちがいない、とドン・キホーテは言う。そして主人が狂ったことをドゥルシネアに伝える役目を仰せつかったサンチョ・パンサは、安心して役目を果たせるよう、狂ったところを見せて欲しいと頼むのだ。


 狂った証拠を見せて欲しいと求められた初代キホーテは、二つ返事で快諾し、ズボンをぬいで下半身だけ生まれたままの姿になると、ナニが従士によく見えるように宙返りをするのである。


 ……というわけで、そのくだりを踏まえてサンチョになりきって証拠を求めた結果、僕は姉にグーで殴られたのだった。


 僕たちの自慢の名馬、ロシナンテは姉と僕とヨロイ、そしてオーク板の重荷をものともせず、ゲルニカを出て二日目の日没前にはブルゴスへ着いた。姉は何よりも優先してヨロイを質屋へ入れに行き、その間に僕はちょっとした大工道具を購入した。ブルゴスの街中には警備の反乱軍兵士がいたるところにいた。

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