スペイン内戦とは
バリケードと塹壕は越えたが、オーク板はもっていくことにした。長く続く内戦で、この先も橋が落ちていたり、砲撃であいた大穴があったりしないとも限らなかったからだ。それにゲルニカの象徴であるオークの古樹は爆撃でも無事だった。だもんだから、ゲルニカ産のオークでできた木材を持っていくのはなんとなく心強く思えた。
「ちょっと重くなるけど、ごめんね」
と姉はロシナンテにあやまった。ロシナンテはまかせとけと言わんばかりにブルルッと鼻を鳴らした。
僕たちは町の南端に出た。眼前には畑と森や林が広がっていた。
「国際旅団は救援を断ったって言ってたね。やっぱり爆撃したのはフランコかな?それとも人民戦線上層部の焦土作戦かな?」
と姉。どちらもありえた。
読者諸氏はスペイン内戦について、それほど詳しくご存知ないと思う。
「ああ、あのピカソが『ゲルニカ』を描いた内戦でしょ?第二次世界大戦の前だっけ?ん?あれ?じゃあ、第二次世界大戦の最中はスペインってなにしてたの?」
「ロバート・キャパが『崩れ落ちる兵士』を撮った内戦でしょ?あれヤラセなんでしょ?ヤダー」
「ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の舞台となった戦争だよね。読んでないけど映画は見た」
くらいが言えたら、まずまず成績優秀だ。
かいつまんで説明しよう。
ピサロとコルテスがインカやアステカで無双し、16世紀のスペインは資本(金銀財宝)と土地(南米)と生産者(奴隷)の三位一体を手に入れた。卑怯にもほどがある最強装備を手にしながら、なぜ、20世紀の世界はスペインによって支配されてないのだろうか。
17世紀はスペインにとって黄金の世紀だった。南米の生みだす巨大は富はスペイン国王カール五世を神聖ローマ皇帝にのしあげた。
領土が拡大しカソリックの盟主として責任が拡大し、「太陽の沈まぬ国」とおだてられた肥えた豚はその後300年、周辺諸国にかじられつづけた。エスパーニャ黄金の味である。無敵艦隊(自称)がイングランドに破れたのは皆さんもご存知の通り。そして19世紀にはナポレオンによってスペインは一時的にせよ征服されてしまった。
わがスペインの国民はこの歴史から
「悪銭身につかず」
「お上がアホやから世界征服でけへん」
という二つの教訓を学んだ。富や資源は国家間の競争において有利に働くが絶対ではない。国家の強さは国家を動かす「しくみ」の完成度に依存するらしい、と。
それに気付いたスペイン人たちは、隣国フランスで始まった市民革命、自由主義思想に強く影響された。スペイン人じゃなくても、イギリス人もドイツ人もロシア人も「あれ?王制ってもしかして時代遅れ……?」と思ったわけだが。それはともかく、「絶対王政」と「立憲君主制」と「議会制民主主義」の三国志がここスペインでも始まった。もっとも「絶対王政」はこのレースから早々に脱落した。王族が憲法に縛られないというしくみはブレーキのない車も同然だったからだ。それからは、たびたび新体制派の革命政府が樹立されては王や貴族たち旧体制派が盛り返すという花いちもんめが繰り返された。「絶対王政」の抜けた穴をうめるように「軍人政権」がゲームに参加した。
さて、19世紀。ヨーロッパに一匹の幽霊が生まれた。共産主義という幽霊だ。絶対王制を退け議会制民主主義を導入した先進国では、封建制の時代よりさらに、貧富の格差が広がっていた。「それっておかしくね?」と思ったマルクスというおっさんは共産主義という「しくみ」を思いついた。富と生産義務をシェアしたら格差がなくなるんじゃねーの?という「しくみ」。このお花畑な思想は、だが、貧富の「貧」に属する自由主義者に熱烈に支持された。
初期の共産主義者にとって資本主義から共産主義への転換は〝全世界規模で実現されなければ意味が無い〟とされていたので、共産主義者たちは国境を越えて団結した。
共産主義の台頭に際し、各国の政府はこの動きを封じ込めようとやっきになった。なぜなら、たいがいの国で王制に代わって権力を握ったのは貧富の格差の「富」の側の人々だったからだ。国境をこえて団結する共産主義者に対し、反対勢力は国境という単位で団結した。
共産主義者から自分たちの財産を守らねばならぬ!国民は自由や平等を我慢して結束しよう、と。この結束という言葉にも使われている「束」─イタリア語で「ファッショ」という──から、この「しくみ」はファシズムと呼ばれた。ファシズムは当然に富裕層に指示されたが、富裕層ではないが社会の変革を望まない人々からも指示された。千年以上も続いてきた「しくみ」を突然廃止するといわれて、ハイそうですかと受け入れられる人間ばかりじゃなかったからだ。
そして20世紀は第一次世界大戦後のスペイン。自由主義と反自由主義の熾烈なラリーは自由主義の側にサーブ権がうつっていた。無血革命により王が退位し、選挙によって第二共和制が成立したのだ。しかし、急速に自由主義的な改革をすすめる左派政権とそれに反対する保守的な右派の争いで議会は紛糾し、国内経済はほったらかしだった。おりからの世界不況が追い討ちをかけた。スペインの人々は、ナウでヤングな国の「しくみ」のはずだった議会制民主主義に幻滅し、王制の復活を望むようになっていった。
ああ、太陽の沈まぬ国スペインよ。あの栄光の日々をもたらした偉大な王族に、我々はなんと罪深いしうちをしてしまったのだろう……
過去の栄光に逃避した元王族や元貴族や聖職者はファシズム政権を熱望した。その意を汲んだ右派の軍人たちは、ついにクーデタを起こした。選挙?知らんがな。はじめにモロッコ(当時、スペイン領だった)で起きた小さなクーデターに、モロッコへ左遷させられていたフランシスコ・フランコ将軍が呼応してクーデターが拡大した。しばしば「フランコ将軍がクーデターを起こした」とはしょられしまうのはご愛嬌。
共和制政府に対するクーデターなので彼らは反乱軍と表記される。王族や貴族の側が反乱軍と呼ばれるというのは、実に近現代における内戦らしい。
では、ここでそれぞれの勢力をネストしてみよう。
共和国派(王様なんていらないよ派)
├─ 人民戦線(とりあえず反ファシズムでまとまったよ派)
│ ├─ 国際旅団(共産主義仲間を助けにきた外国人だよ派)
│ ├─ 穏健派(議会制民主主義さえ維持できればいいや派)
│ ├─ 共産主義者(いいね!シェアしよう!派)
│ ├─ 社会主義者(人生は革命だよ派)
│ ├─ 無政府主義者(王様どころかスペインがいらないよ派)
│ ├─ バスク人(バスク人はスペイン人じゃないよ派)
│ ├─ カタルーニャ人(カタルーニャ人は以下略)
│ └─ アンダルシア人(アンダルシア人は以下略)
├─ ソビエト(共産主義を応戦するよ派)
└─ メキシコ(ファシズムがこっちに伝染したら困るよ派)
ナショナリスト派(王様は必要だよ派)
├─ 反乱軍(実力行使に出たよ派)
│ ├─ファランヘ党(ファシズムで国内をひとつにするよ派)
│ │ └─フランシス・フランコ将軍(反乱軍の主導者だよ)
│ └─王党派(王制復古をもくろんでるよ)
├─ イタリア(ファシズム仲間を支援するよ派)
├─ ドイツ(反共仲間を支援するよ派)
└─ ポルトガル(共和制は役立たずだったよ派)
両陣営の戦いの結果をざっくり書いておこう。結果を知ってしまったからといって、この手記の面白さが損なわれるわけではないので安心してほしい。
共和国派は敗北し、内戦が終結するとスペインはフランコを元首とした独裁体制・ファシズム国家となった。ただし内戦の傷は深く、第二次世界大戦に参戦する余裕はなかった。そして、フランコが死ぬと彼の意向どおり王制が復活した。しかし不思議なことに王となったフアン・カルロス一世は、フランコの肝いりで帝王学の英才教育を受けていたにもかかわらず、みずから率先してスペインの民主化をはかった。スペインは夢からさめたように、ゆるやかに、平和的に、議会制民主主義国家へ変わっていった。
話を戻そう。ゲルニカを空爆したのはどちらだったのか。実はけっこうあとになるまで、反乱軍のしわざだという事実は明らかにならなかった。内戦に勝利したフランコ将軍はこれを人民戦線側の焦土作戦だったと言い張り非難を逃れようとしたからだ。しかしこのとき、森の向こうに見えた軍服の一団を見て、姉と僕は真相を知った。一団の中にナチス・ドイツのマークをつけた兵士がまじっていたのだ。爆撃はナチス・ドイツの支援を受けていた反乱軍のしわざだった。
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ゲルニカの南の郊外。大地に点在する小さな森のわき。耕作されてない岩盤質のくぼ地に数名の兵士が円陣を組んでいた。
「いいか。我々の任務は破壊状況の確認だ。市民が武器をもって抵抗するなら、やむをえんから射殺してもいい。だが、無抵抗の市民を虐殺するようなマネは絶対にするな!これは命令だ」
伍長のバッジをつけた小太りの男が偉そうに言った。彼の判断ではなく上からの命令を部下に伝達しているだけにすぎない。だが、ここから彼は自分の判断を追加した。
「なお〝おたのしみ〟は、ほどほどにな」
部下の兵士たちもニヤニヤしながら返事をした。
「バレ!(スペイン語で了解の意味) ほどほどにヒィヒィ言わせるであります!隊長どの!」
周りの兵たちがドッと笑う。ナチス・ドイツのマークをつけたドイツ人兵士もすこし遅れて笑った。
何人かの若い兵士は、これからの〝おたのしみ〟を想像して股間が熱気球になっていた。
そのときである。彼らが円陣をくんでいた空き地を眺め下ろす段丘の上に、一人の騎士が現れた。頭から爪先までをピカピカに磨かれた鉄の鎧に身を包み、立派な馬にのり、なぜか後ろに子供も乗せている。そして騎士はその手に長く厚い板っきれを持っていた。それがランスロットだと信じて疑わぬかのように。
かつて、この国には床屋の洗面器を騎士の兜だと信じて疑わぬ男がいた。かの人をドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャという。