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ゲルニカの郷姫ドーニャ・キホーテの聡明なる冒険  作者: 桝田道也
第1章 ゲルニカ
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ゲルニカのオーク

 ロレンソ氏は自らも重い資材を運びながら、塹壕を掘っている仲間達にはっぱをかけていた。

「救援はこないそうだ。国際旅団は俺たちを見捨てたんだ、自分の命は自分で守るしかないぞ!死にたくないなら休むのは後回しだ!」

中世に築かれた土塁に立つロレンソ氏に向かって姉は声をかけた。


「ねえ!ドルシニオ!そこから町の外へ出られるかしら?」

場違いな甲冑騎士にきょとんとしたロレンソ氏は、1秒後に目を大きく見開いた。

「その声は、ガラ、きみかっ?いったいどうしたんだその格好は!気でも狂ったのかっ?」

「あたしは正気よ。すくなくとも飛行機から爆弾を落としてくるような相手に即席のバリケードと塹壕で立ち向かおうとしているあなたよりは、ずっと正気」

「皮肉をえなにして生まれてきたような性格はあいかわらずだな、ガラ」

「あなたもね、ドルシニオ」

にらみ合う二人。先に口を開いたのは姉だった。

「モロッコへ行きたいのよ。親戚がいるから。この甲冑は途中で売ってお金にするつもり。かついでいくより着ていくほうが、多少はラクかと思って」

「うら若い女性が着た鎧だ。その手の趣味の男に高く売れるだろうな。モロッコだと?反乱軍の本拠地じゃないか!」

「それがなに?モロッコには伯父さんがいるの!あたしはまだ16で弟は12才!あたしたちには保護者が必要なの!」

語調を強める姉。ロレンソ氏は動じない。


「右派の土地で右派に媚びて右派と暮らすのか?」

「すてきじゃない!ヒダリもミギも、もうたくさん!あたしはここで死にたくないの!なぐさみものにされたくもないの!生きのびるためなら思想なんて、夏服から冬服に衣替えするくらい簡単に変えてみせるわ!」

「ああ、そうだろうな。そして生きのびるためにフランコとも寝るんだろう」

「最低な賛辞をありがとう。いまの言葉を毎晩、寝る前に復唱して自分の器の小ささに身悶えしてろ、ゲス野郎」

ロレンソ氏は肩をすくめ、ためいきをひとつつき、言った。

「……本気なんだな。町の外には反乱軍が迫っているかもしれない。見つかったらまわされたあげく殺されるのがオチだ。……きみに、そうなってほしくない」

「ありがとう。でも、この町にとどまってもそうなるかもしれないから。もう決めたのよ」

「わかったよ。行くがいいさ」

とロレンソ氏。しかし続けて言った。

「だが、ここから町の外に出るのは難しいな。バリケードも塹壕も、簡単には通れないし動かせないからバリケードであり塹壕なんだ」

そういうとロレンソ氏は塹壕を掘っている仲間の一人に呼びかけた。

「おーい!ニコラス親方!はしごはどこ?」


 ニコラス親方と呼ばれた屈強な男は、太陽のようにほがらかな赤褐色の顔を塹壕の上に向けて言った。

「昨日の今日だ!はしご様はいまや人気絶頂で、どこで営業中か誰も知らないし予約は3年先まで埋まってる!だいいち、はしごじゃロシナンテが渡れねぇぜ、ドロシー!」

「ドロシーはやめてくれっつってんのに!」

と、ロレンソ氏。ニコラス親方はかまわず、姉に向かって芝居がかった口調で言った。

「おお!ガラ姫!我らを捨てて行ってしまわれるのですか!ニコラスは悲しゅうございますぞ!」


 流浪の没落貴族となったキホーテ十世は、それはそれは「あたたかく」ゲルニカの人々に迎えられた。つまり、バスク人たちはそれからずっと、なにかにつけて、キホーテ家の人間をバスク地方を治める諸侯の一人という設定でいじり続けたのである。父ホアンは「王」、母ロリは「王妃」、姉ガラは「姫」、僕サンチョはといえば「王子」という案配。もちろん僕ら一家は繰り返される冗談にうんざりしていたが、まあ、ラ・マンチャから来たよそ者の貧乏一家にしては、悪くない扱かわれかただった(厳密に言えばよそ者は祖父と父だけで、母と姉と僕はゲルニカで生まれたのだが)。ニコラス親方は続けた。

「そこの崩れかけた倉庫の二階に、バリケード用の固いオーク材の板がございます。それを橋にするとよろしいかと存じます」

いつものことなので姉も芝居に乗って答える。

「うむ、さようか。されど、二階へ登る階段が崩れているようじゃが?」 


 ニコラス親方は芝居をやめて、いつもの底抜けに明るい口調で言った。

「よじ登ればいいじゃねーか、このおてんば娘!階段?ハハッ、ぬかしやがる!いつものように、はねて、とんで、よじのぼって、モロッコまですっとんでいきな!」

「ひとをサルみたいに言わないで!あたしだって階段くらいつかうわよ、あれば!」


 そう言い返すと、姉は手綱を引き、助走をつけてロシナンテをジャンプさせた。そして空中でロシナンテの背中にすっくと立つと、そこからさらにひらりとジャンプした。キホーテ三世が〝ダブル・ジャンプ〟と名付けたキホーテ流の基本スキルのひとつだ。


 姉は通風窓に飛びつき、中に入り込むと、オーク材の板(以下、オーク板と呼ぶ)を手にして戻ってきた。ヘラクレスの胸板のように厚くて固い、オーク材でできた厚板だ。ゲルニカはやや森深い場所にあったためカシやナラ、すなわちヨーロッパでオークと総称されるブナ科の良質な木材が採れた。


 オークはゲルニカ市民──つまりバスク地方ビスカヤ県の領民にとって、特別な意味を持つ樹木だ。村の話し合いが青空の下で行われた中世のころ、ビスカヤの人々はここゲルニカの中心にあった大きなオークの木の下を議会の開催地としていた。ビスカヤ地方のルールはここで決められ、この地を治める領主はオークの木の下で誓いを立てた。そのような時代が何百年も続いた。近代になり議会のためにわざわざ議事堂が作られると、天井にはオークの木の下で誓いを立てる人々を描いたステンドグラスがはめられれた。


 簡潔に言って、オークはゲルニカ市民にとって特別な樹木・神聖な樹木だった。


 それはともかく、いかに固いオーク材とはいえ、姉と僕が乗ったままではさすがに折れそうだったため、僕たち二人と一匹はバリケードや塹壕にオーク板を架けては、一人づつ慎重に渡った。


 もはや、あとは町を出るだけとなった。姉は言った。

「よく見ておきなさい、サンチョ。これが見納めになるのかもしれないのだから」

振り返ると、変わり果てたゲルニカの町がそこにあった。崩れた建物。破壊された道路。死体死体死体さらに死体。まだくすぶり続けている焼け跡。黒い煙と青い空。機関銃の弾痕と血痕。近隣の人々を集めるにぎやかなマーケットも、12年の人生の3割を過ごした小学校も、もはや無かった。涙でそれ以上見ていられなくなった僕は森のほうを向きなおした。

「……ドルシニオやマリアの言うとおりかもしれない。まだ、敵軍が来ると決まったわけじゃないし……いまならまだ引き返せるわ。どうする?サンチョ」

僕はかぶりをふった。一刻も早くこの町から離れたかった。姉は明るく言った。

「だよね。〝行動こそ騎兵の本領〟とキホーテ8世も言ってるもの」

しかし言葉とはうらはらに、姉は名残惜しそうにロレンソ氏を見つめた。


 なにが原因で二人が別れたのか、僕は知らない。ただ、別れてなお姉はロレンソ氏への思いをひきずっているように見えたし、ロレンソ氏もまた同様だった。


「ドルシニオ……」

続く言葉が見つからない、とでも言わんばかりの姉。だが、ロレンソ氏は冷ややかに言った。

「どうした?やっぱり引き止めてほしいのか?すがりついて『行かないでくれ!愛しているんだ』とでも叫んで欲しいのか?」


 なにが原因で二人が別れたのか、僕は理解した。二人とも互いに譲らぬ皮肉屋だったのだ。会話の上でマウントポジションを争いベッドの上でもマウントポジションを争っていたのでは、恋愛関係の維持に必要な安らぎがあるわけなかった。


 「そうね、三秒前まではそう思っていたわ!じゃあね」

そう言うと姉はロシナンテをうながし振り向きもせず町の外へ向かった。姉の旅路に対するニコラス親方のはなむけの言葉が聞こえた。

「あばよセニョリータ!俺たちが愛してやまぬゲルニカの姫君!死ぬんじゃねーぞ!」


 このとき、反乱軍のモラ将軍が率いる地上軍が町から15キロの地点まで迫っており、斥候を務める連隊長オセロー・マルケスの偵察隊はゲルニカの目と鼻の先までやってきていた。むろん、僕ら姉弟はそれを知らない。

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