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ゲルニカの郷姫ドーニャ・キホーテの聡明なる冒険  作者: 桝田道也
第4章 マドリード
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王室の武器庫

 スペイン広場から王宮まではあっというまだった。王宮を囲む柵はばかげて高く、ロシナンテの脚力をもってしても飛び越えるのは不可能に思えた。たとえ、都合よくT型フォードやトラックが停まっていたとしても、それを足場にして華麗に飛び越えるなんていうのは、ワイヤーアクションの領域だろう。


 したがって、ぼくたちは開いている正門から堂々と普通に突入した。

 

 王宮正門に門兵はいなかった。彼らも例の公開殺人ショーを見物しているのだろう。当然のように、この頃のリベラルは王や貴族を憎んでいたから、いかに歴史のある文化財とはいえ、その警備に熱心ではなかった。


 驚いたことに、姉ははじめて入ったはずの王宮で少しも迷わずロシナンテを走らせ続け、宮殿の隅の、やや地味な出入口の前で止まった。まるで、王宮の地図が頭の中に入っているかのように。

 

 扉は施錠されており、窓の格子は鋳鉄製で、たとえロシナンテで体当たりしてもぶち破れるものではなかった。さて、どうしたものか。しかし姉はあわてずさわがず、ポケットから紙テープのついたクロワッサンのようなものを取り出した。手榴弾だった。

 

 僕が少年兵として働く少年と、つかのまの親交を温めていたとき、姉は抜かりなく例の紙テープ式の暴発しやすい危険きわまりないパイナップルを(この紙テープ式の手榴弾はパイナップルに似ていなかったが)、こっそりちょろまかしてポケットに忍ばせたのだ。姉は、

「だって、身の危険を感じたんだもん。ほら、堕落した北部のメス猿って言われたし」

と言ったが、たぶん、うそだろう。単に戦士という職業柄、珍しい武器を見て好奇心や所有欲が発動してしまっただけにちがいない。


 ともあれ、姉はリュックからターフを取り出して自分たち二人と一匹を破片から守りながら、紙テープを引きはがして、王宮の古ぼけた入り口に向かって投げつけた。

 

「ドガァァァン!」

閉ざされたドアは煙を立てて吹き飛んだ。

「ロシナンテ、ここで待ってるのよ!いいわね」

言うなり姉はまだ煙の立ち込める入口へ飛び込んだ。僕もあわてて後を追う。姉はわきめもふらず通路を進んでいく。どこまで地図がインプットされているのだろうか?姉がよく王宮博物館についての本を読んでいるのは見ていたが、これほどとは。僕はそれまで、さして勉強が好きじゃない姉の知力を侮って見ていたが、このときを境に評価を変えるようになった。


 廊下の角を何回か曲がったところで、僕たちはついに、目的の場所にたどりついた。

 

 王宮武具博物館――


 そこにはスペイン王室代々に伝わる武器・鎧・盾の数々が所狭しと飾られている。いずれ劣らぬ名品ぞろい。360度、全方位的に名宝。窓から差し込む光に銀の鎧・金の兜がキラキラ輝いている。圧巻。壮観。至宝館。おお、太陽の沈まぬ国、偉大なるスペイン大海圏!ピサロ・コステロ、よくやった!手を汚したのは彼らであって僕らじゃない。かわいそうな新大陸の原住民に心が痛む背徳の美、ここにあり。

 

「ななな、なんですかあんたたちィィィ!!!」

拳銃を片手に、この展示室を一人で番をしていたらしい警備兵が走り寄ってきた。反射的に姉は彼に向ってオーク板をブン投げた。イッツ問答無用。

「ゴフッ」

もろに喉元に食らって、彼はその場にうずくまった。マンガのように都合よく気絶なんかしてくれなかったので、僕と姉は手早くリュックからロープを出して彼をしばりあげ、ハンカチを即席のさるぐつわにした。すくなくとも彼が

「おーい!ここだー!」

と叫べないように。姉は縛られた警備兵に向って弁解するように言った。

「ちょっと鎧をひとつ借りるだけよ。人の命がかかってるの。非常事態だから許してね」


 いくら警備の手が薄いとはいえ、手榴弾の轟音は、王宮中の警備員を呼び寄せるには十分だ。賊の目的が王宮博物館のほかの展示室――絵画でも彫刻でも王冠でも装飾品でもタペストリーでも歴史的文書の類ではなく武器防具だとバレるまでの、時間が勝負だった。姉は数々の名宝に見とれもせず、まるで最初から決めていたかのように、ある金色の鎧を目ざとく見つけだした。

「あった!これよこれ!サファイア王女の鎧!夢にまで見たこの鎧!これを着たいならば強盗するしかない、やるとすればどうやって……って、あれこれ夢想してたものだけど、まさかあの妄想が役立つ日が来るなんて!」

鼻息荒く姉は言った。姉がなぜここまで正確に王宮博物館の地図を頭に叩き込んでいたか、謎が解けた。姉も一人の若い女性だった。ただ、憧れの対象がパリで流行ってる帽子ではなく王族の鎧だっただけのことだ。


 サファイア・テレジア・デ・リボン。あまたのスペイン王女の中でも特に異色の経歴を持つ女性である。リボン朝スペイン王オルカイナ2世の13番目の庶子に生まれた王女サファイア。母テデューカは王妃つきの次女であった。王妃の怒りを買ったテデューカは宮廷を追い出され、その後の足取りはわかっていない。王女サファイアは誰にも引き取られず、ただひとり、だれからも教育らしい教育を受けず、王宮の中で放し飼いも同然に奔放に育った。王もまた、13番目の庶子の子育てに時間を割けるほど暇でもなかった。とどのつまり、サファイアは封建時代の王族のはしくれとしては、ありえないほど必要なマナーも女性らしさも身につけずに年頃になっってしまった。王はそれを不快とも思わず、逆に

「その手の数寄者に売り込めるわい」

と笑みを浮かべた。そしてサファイアの体形に合わせた鋼の甲冑を作らせ、純金で全体にエングレイヴを施し、サファイアに与えたのだった。王の目論見通りに事は運び、サファイアはめでたく、とあるトランスジェンダー好きの諸侯の嫁に行った。サファイアは夫を助け、ときには女領主として甲冑に身を包んで弱きを助け悪をくじき、戦場へおもむき、大スペインの繁栄に貢献したのだった。


「これならサイズが合うし、なんといっても金色だし!ムッハーッ!いまここで着なかったら、絶対、一生、着るチャンスないと思う!」

姉の鼻息は荒ぶる一方だ。すばやく上着を脱ぎスカートを脱ぎ、下着姿になると甲冑をまといながら僕に命令した。

「はやく着せてサンチョ!急がないとほかの警備兵が来ちゃう!」

繰り返すが、フル・プレートメイルはひとりでは着られないのだ。


 ガントレットを装着しながら姉はマジメな顔をしてつぶやいた。

「さすが王室御用達……実戦用としては華奢な造りではあるけど、品質は民生品と比べ物にならない」

僕にはよくわからない世界だ。

「……なーんてね。一定水準より上の道具の品質なんて、見ただけでわかるもんですか。使ってみなきゃ」

単に、それっぽいことを言ってプロを気取りたかっただけらしい。


 そうこうしているうちに、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。

まずい。まだ、鎧の装着は終わっていない。姉も焦って毒づく。

「もう来ちゃった!ラテン民族ののんびり気質はどこに行ったのよ!」


廊下の曲がり角の向こうから、こう怒鳴るのが聞こえた。

「相手は強盗だ!見つけ次第、射殺しろ!」

だめだ、間に合わない!!


 警備兵の姿が見えた。銃をかまえている。轟音が続けざまに何度も鳴り響いた。僕は眼をつぶった。心の十字を切った。神様お願い。第一希望は弾に当たりませんように。第二希望は当たっても死にませんように。


 無限のように長い一瞬が過ぎた。感覚をフル回転させる。――どこも痛くない。さては、第一希望がかなえられたか。やるじゃんジーザス。アナキストの姉はどうだか知らないが、僕はまだ、信仰を捨て去るほどイデオロギーに染まってないぜ?


 おそるおそる目を開くと、通路の向こうに重なるように倒れている警備兵が見えた。あまり言いたくないし思い出したくもないが、流れている血の量と傷口の位置から、全員が即死しているのがわかった。

「――お姫様の危機を間一髪で助ける。騎士道物語ってのは、こうじゃなくっちゃな」


 にやり。覆面その下はそんな表情だったにちがいない。聞き覚えのある声。謎の覆面テロリスト、ミル・カラニアヤシが僕たちの後ろに立っていた。手にした二丁拳銃の銃口からは新鮮な煙。逆光。背に陽の光。建物の外から聞こえる心配げなロシナンテのいななき。

 

 さすがの姉も、動揺を隠せず、うわずった声で言い返す。

「あいにく、あたしは偉大なるマンネリを偉大だと思わない派なのよ!ドルシニオ」


「ドルシニオとニコラスは、反乱軍のゲルニカ制圧後に行方不明になった。……公式にはな。俺は謎のバスク人テロリスト、ミル・カラニアヤシ!」

ドルシニオ氏があくまで正体を隠す、その理由はわからないが、僕らに向って見栄を切る必要はあるまいに。

「話はあとだ!その鎧を着たのは何のためだ?ここは俺に任せて早く行け!」


 その言葉に我にかえった姉は颯爽と金色の兜をかぶった。

「ありがと!私の覆面騎士様」

これ以上、しおらしい捨てゼリフがあるだろうか。そう言い残して姉はロシナンテの待つ出口へ駆けていった。僕もあわてて後に続く。背中の方で、ミル・カラニアヤシが残りの警備兵を血祭りにあげる音がしたが、もちろん、ふりかえって見物してる場合じゃなかった。


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