その名はクッコ
(姉による談話のつづき)
もちろん、カップルのふりをしてその場をやりすごそうとしてるのは、あたしも即座に理解したわよ。でも、服の中に手を入れて直接あたしの胸をさわるのはありえないと思わない?あたしの、だれにもさわらせたことのない小さくて清らかな大事なおっぱいを、なにが悲しゅうて見知らぬオッサンに弄られなきゃならないのっていう。
え?うそをつくなって?ドルシニオとつきあってただろう?……彼とはプラトニックよ。若者らしい健全なお付き合いよ。バスクのアイドル、ガラ・キホーテちゃんの公式回答ではそういうことになってるの!追求はやめて!
まあ、とにかく、あたしもしかたなしに、その作戦にのることにしたわ。でも、オッサンが役得ついでにおっぱいだけじゃなくておへそより下に手を伸ばしてたら、演技をやめて橋の下に突き落としてたかもね。……それをしないだけの分別がオッサンにあってよかったと思うわ。オッサンにとって、ね。
警備兵が小声で
「チッ…ミル・カラニアヤシじゃなかったか……ただのバカップルかよ」
とつぶやくのが聞こえたわ。それから威圧的に叱咤してきたの。
「場所をわきまえろ!ここは史跡だぞ!」
そりゃまあ、そう言うわよね。
警備兵の持つ20世紀の大発明・懐中電灯のまぶしい光があたしたちをなめまわしてたわ。この間ずっと、あたしは乳首をつままれたり、下乳をなでなでされたり、されるがままよ。あれ?気持ちよかったかって聞かないの?そんな生々しい質問はしない?ああそう……。じゃ、あたしも答えないわ。勝手に想像して。
「うん?軍服をきてるな。我が軍の者か?階級章は……」
警備兵はあたしのおっぱいを愛撫するのに夢中なオッサンの袖に懐中電灯の光を当てて、驚いて叫んだわ。
「たっ……大尉!? しっ…失礼しましたァ!」
やっと胸をまさぐるのをやめて、オッサンは落ち着いた声で言ったわ。
「いや、たしかに私が悪い。そうかしこまるな」
「し…識別番号と名前をうかがえますか?」
「識別番号なんとかかんとか(※「覚えてるわけないじゃない!」と姉の弁)、名前はレオン・ヴィンク。所属部隊は明かせない。“王の小道”作戦に関与する者だからだ。きみも作戦名くらい聞いているだろう」
「あ、あの例の大量殺戮へい……」
「シッ」
その、レオンと名乗ったオッサンは警備兵を制止させたわ。あたしに聞かせたくない話だったみたい。
で、その『王の小道』よ。また出たー!って思ったわ。ほら、あれよ。前に倒したスペイン忍者、オセロー・なんとかの財布に入ってたメモにあった謎の走り書き。とりあえず、作戦名だってことはオッサンの言葉で判明したわね。大量殺戮兵器って言いかけた?でも、あたしにとっては何の意味もない……と、そのときは思ったけど。
警備兵はすっかり及び腰で、なんとかとりつくろうとするわけよ。そりゃ、するわよね。
「…そのようなお方が、なんでわざわざこんな場所で……」
たかが野外エッチするために、警備の目を盗んでこんなところまで来なくてもって話よね。
レオンと名乗ったオッサンは、ここで再びあたしのおっぱいをもみもみしながら、おどけて言ったわ。
「……ここだけの話だが、実は私はモンタギュー家の跡取りで、彼女はキャピュレット家の人間なんだ。な?そうだろう?」
くっだらない冗談でうやむやにするつもりね。でも、そううまくいくかしら?……とは思ったけど、調子を合わせるしかないじゃない?大げさに演技しながら言ったわよ。
「ん……あんっ……おおロミオ、どうしてあなたが…んんっ…ロミオなの…ぁふぅ」
言っとくけど、ほんとに感じてたわけじゃないからね!ほんとよ!
そしたら警備兵、なんて言ったと思う?あたしはあきれて見逃すか、いぶかしんで上司を呼ぶかのどっちかだと思ってたわ。ところがぎっちょん、すっとんきょうな顔で
「えぇっ!?」
て驚きの声をあげたのよ。マジ予想外。
何が起こったのかわからないじゃない?それはオッサンも同じだった見たいで、乳首をこねくり回す手の動きが止まってたわ。
「ちょっ……ちょっと顔をよく見せてくださいっ!」
って言うやいなや警備兵は懐中電灯をあたしの顔に向けて、絶叫したの。
「!!!ッわああーーーーーっ!!!
やっぱりガラ・キホーテちゃんだああああああああーーーーっ!!!!!!」
「アドミラドル(※スペイン語でファンの意味)です!公演は毎年見に行ってます!追われてると聞いて、絶対ぼくが見つけて逃がしてあげようと、みずから検問の部隊に志願したんです!」
……ですって。もつべきものはアドミラドルよねえ……。あー、しみじみしちゃった。あ、そうそう。その警備兵は名前をフアン・ポーロって言ってたわ。ファンのフアン。どうでもいい?そう言わないでよ。
「自分はファシストであるまえに、ガラちゃんのいちファンです!」
フアンさんはきっぱり言ったわ。言い切ったわ。イデオロギーなにするものぞ。リビドーは正義!あたしはファシストが嫌いだけど、フアンさんのことは憎めないと思ったね。でも、フアンさんはあたしの方を見て、急に声のトーンを落としてボソボソつぶやきはじめたの。
「……そ、そのガラちゃんが、いま……目の前で男に胸をもまれてる……」
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
その場にいた三人が一様に押し黙ったわ。体感ではものすごい長い沈黙だった。
({筆者であるサンチョ・キホーテによる註}内戦終結後、フアン・ポーロ氏もなんとか探し当て、このときのことを聞くことができた。もちろん氏も覚えており、姉の談話とのくいちがいはほとんどなかった。ポーロ氏がこの沈黙のとき考えていたことは、「……混ざりたいなあ……夢の3P……いや!なんというはしたないことを僕は想像してるんだ!不純な!ガラちゃんに対して畏れ多いことを!僕のバカバカ!」だったそうだ)
沈黙に耐えられなくなったあたしは嘘八百をならべてごまかすことにしたわ。
「え、えーとね…、フアンさんに見つかったからとっさにカップルのフリをしただけで、本当はこの人は恋人でもなんでもないのよ」
「えっ!?」
その瞬間、市場に並んだ冷凍マグロのそれになってたフアンさんの目が生後3ヶ月の子猫の目に変わったわ。
「うん。…ゲルニカが空爆されたの知ってる?あれ、本当は共和国派の焦土作戦だったのよ」
あたしは真実を知ってたけど、世間はまだ人民戦線とフランコ軍の、どちらの言い分が正しいのか判断できずにいたからね。フアンさんがファシストなら、彼の信じたいことを言って信頼させるのがいいと思ったの。
「やっぱり!」
と、フアンさん。
「だから、あたしは共和国派に嫌気がさして逃げ出したの。でも、ささいな誤解から身を守らなきゃいけなくなって一個小隊を倒しちゃって……それで反乱軍から追われる身になったのね」
「うう、ガラちゃんかわいそうです……」
すなおに信じるフアンさんをだますのは気が引けたけど、しかたがないでしょ?あたしは嘘を続けたわ。
「あたし、困っちゃって、遠い親戚のレオンに相談したのね。そしたらレオンおじさんは
『軍の決定を覆すのは難しいけど、自分は“王の小道”作戦の関係者だから、そこを使ってこっそり安全な場所まで逃がすことができる』
って……そういうわけで、あたしを追ってるフランコ軍に見つからないよう“王の小道”へ手引きしてもらってたの。あたりまえだけど、おじさんは、恋人なんかじゃないの」
「そうだったんだ!よかった!」
夜空の月が移りこむほどきらっきらに目を輝かせて、フアンさんは納得したわ。
そして、フアンさんから意外な話題も振られちゃった。
「あ!ゲルニカから逃げてきたってことは、例のアカと別れたって噂は本当だったんですね!」
噂になってたことはうすうす知ってたけど、あからさまに『例のアカ』とか『別れた』なんて言われると、やっぱり凹んだわ。フアンさんに悪気がないのがあきらかだから、よけいにね。
「……あー…うん、そうね……」
と、虚をつかれて演技のない素の返事をしちゃったんだけど、フアンさんは気付かなかったみたい。
「やっぱり!信じてました!きっと目を覚ましてくれるって!」
「……………………」
別れたのは本当だけどさ。そんな、人がカルトにでもハマっていたみたいな言い方ってないと思わない?え?フアンさんがファシストでフランコ支持であるのを見て、どう思ってたかって?……いやー、たぶん、いつかきっと目を覚ましてくれるはずだと……(笑)。
「じゃあ、自分は報告してきます!橋の上に不審者はいなかったと!……あ、そうそう。さっきレジスタンスが広場に現れてほとんどの兵士はみんなそいつを追って南西に向かったんで、今夜のうちならこの街を脱出できると思いますよ」
結果オーライでしょ?警備兵には見つかっちゃったけれども、これで橋の終わりにまで行けると思った。
あたしはフアンのそばに立って手をとると、じっと見つめて、彼のほっぺたにお礼のキスをしたわ。それくらいの価値のあることを彼はしてくれるって言うんだから。
「ありがとう。恩に着るわ(チュッ♡)」
「!!!! うわーっうわーっうわーっ ♡♡ もう死んでもいいや……♡♡」
フアンはその目を子猫から酔っ払いのそれに変えて、あぼつかない足取りで報告に向かっていったわ。
「……いってきます!」
橋から落ちなきゃいいんだけど……と、キスしたことをちょっぴり後悔したりして。
フアンの姿が見えなくなるまでは、しばらく様子を見た。だって、あたしが南東に行くのにレオン氏とやらが北西に向かったら、さすがのフアンも変だって気付くでしょ?
夜風がゆるやかに頬をなでるなか、残ったあたしたちは小声で会話したわ。
「……きみに助けられたな」
「あなたにも、助けられたわ」
「キホーテの子孫か」
「そうよ。で、あなたの本当の名前はなに?」
「頭の切れる娘だ、かなわんな……」
そうかしら?ああいう場合なら、普通は偽名を使うものじゃない?スパイならなおさら、ちゃんと通用する偽名と識別番号を用意してるだろうと思ったもの。
「私が何者か、どうでもいいんじゃなかったか?」
「でも、あなたは私の名前を知ったもの」
正直に言えば、彼とこの先二度と会うことはないだろうから、名前を聞いたってしょうがないと思ってたわ。でも、名前も知らない男におっぱいをもまれて、なでなでされて、つままれて、ひっぱられて、ねじられて、つぶされて、クリクリされたっていうのもシャクじゃない?せめてこのオッサンの名前だけでも知っておかなきゃ、腹の虫がおさまらなかったのよ。
あたしの腹のうちは見透かされてたみたいね。オッサンはニヤニヤと含むものがあるような笑みを浮かべて言ったわ。
「わかったわかった…。胸をもませてもらったお礼に教えよう……。私の名はクッコだ」
「クッコ・なに?」
「ロセ。クッコ・ロセだ」
「クッコ・ロセ?……変な名前」
「キホーテほどには、変じゃない」
あたしはキホーテっていう姓が変だと思ったことはないけど、サンチョ、あんたはどう思う?珍しい苗字にはちがいない?そうかしら?…そうかもね。
ついでに、あたしはもうひとつ質問したわ。
「……王の小道って?」
「いろいろ知りたがるんだな。お互いぐずぐずしてる時間はないんじゃないか?」
あきらかにはぐらかされたと思った。でも、あたしも自分が『王の小道』に関わることになるなんて、このときはこれっぽっちも思っていなかったから、それ以上はなにも聞かなかった。
「そうだったわ。もう行くわね」
「グッバイかわいこちゃん。オレはきみのほど引き締まった胸をもんだのは初めてだ。生ハムの原木を抱いてるのかと思ったぞ!」
「あなた生ハムを抱いたことがあるの?じゃあ次はメロンをファックすることね!」
これでさよならだと思ったわ。だけど、クッコから予想しない言葉が返ってきたの。
「ああ、それは治したほうがいい」
言葉につまるじゃない?なんのこと?なんのこと?ってなるじゃない?頭のちょっと斜め上あたりの空間にハテナマークが浮かぶじゃない?困惑するあたしに、クッコはさらに言葉を投げてきたわ。
「その、皮肉を言うクセさ。若いうちはそれでもいい。皮肉とウィットの区別もつかないアホなオヤジが『小気味よい娘だ』とかなんとか誉めそやすだろう。だが、チヤホヤされるのも二十五までだ。皮肉屋の中年女になってしまったら、その末路はあわれなもんだぞ。男と別れたというのも、おおかた、その口の悪さが原因だろう?今のうちに治しておくことだ」
大きなお世話よねー。このクッコ・ロセという人も、あたしやドルシニオと同じ“会話が自分の言葉で終わらないと気がすまないタイプ”だったってわけ。あたしってほんと男運がわるすぎー。類は友を呼ぶのかしら?だいたい、皮肉屋の“中年女”の末路はあわれなもんだってんなら、皮肉屋の“中年男”はそれほどあわれじゃないってことじゃない。事実かもしれないけど、不当な女性差別だわ。
「偏見にあふれたアドバイスをありがとう。じゃあね、クッコ・ロセさん!」
それだけ言い返すと、あとは振り返らずに匍匐前身を続けたわ。急がないと夜明けも近くなってたし。
「なんだ、手遅れか」
とクッコがつぶやくのが聞こえたけど、返事はしなかった。クッコが“会話を自分の言葉で終えたがる”タイプだとわかった以上、彼と同じレベルに堕ちたくなかったから。
橋の南東側の終わりには、なんとか夜が明ける前に到着できたわ。サンチョ、あんたの顔が見えたとき、どれほどうれしかったと思う?あんたはあのときあたしが顔を少し赤らめていたっていうけど、無事に再会できた嬉しさで興奮しただけよ。
……男におっぱいもまれてドキドキしてたわけじゃないんだから!
(姉の談話、ここまで)




