空爆の日
1937年のぬけるような青空の月曜日、うららかな春の午後だった。僕は学校帰り。マーケットの行商人たちが店じまいのしたくをはじめていた夕方のいっぽてまえ。急ぐでもなくぶらぶらと石ころを蹴飛ばしながら家へ帰る途中だった。
どこからともなく聞こえてくるプロペラ音。
僕たち一家が住んでいたゲルニカは、スペイン北部の交通の要衝として栄えた町だ。つまり広域で見ればピレネー山脈の南西端の、やや交通の不便な高原とも森林とも渓谷とも言える微妙な地域に位置している。簡単に言えば田舎ということ。さすがに知識として飛行機というものは知っていても、乗ったことはおろか見たことも無い人間が、そのころは大半だった。
新聞で、共和国派とナショナリスト派が互いに無差別な空襲を行っていることは伝わっていたが、誰もが、まさかこんな田舎町に空から爆弾を落とすなんて考えもしていなかった。大きな基地や工場があった町ではなかった。上空をこっちに向かって飛んでくる編隊に気づくのが遅れたのは無理からぬことだった。もっとも気づいたところで防空壕なんて無かったけれども。
爆弾は破裂し、轟音と閃光と爆風を生み、建物も人間もわけへだてなく吹き飛ばした。
悲鳴。破片。煙。炎。血。肉片。死体。怒号。パニック。
マーケットに集まっていた人々は逃げ惑い、質問に質問が返され、混乱がいっそう深まる悪循環がいたるところで発生していた。
僕はぼうぜんとして立ち尽くしていた。爆撃を受けた建物から吹き飛ばされた大きなレンガの破片が頭上に迫っていることにも気づかず──
「危ない!」
と、いきなり首根っこをつかまれ、後ろに引き寄せられた。目の前をレンガが通過し、足元で砕けた。
「なにやってんのサンチョ!しっかりしなさい!」
ふりむくと、爆炎に照らされて持ち前の赤毛がルビーのように輝いている姉が立っていた。背中に大きな木箱を背負って。
姉は言った。
「これ?この憎ったらしい大きさと重さ!家宝の鎧に決まってるじゃない。打ち直しに出してたのが完成したの」
来月の春祭りのパレードで、父は第11代キホーテを引退して、姉が第12代キホーテを襲名する予定だった。鎧は代々、持ち主の体型に合わせて打ち直されていた。
「そんなことより今は逃げないと……でも、どこへ逃げればいいと思う?」
空から爆弾がふってくるなんてことは誰も想定していなかった。往来にいては爆発の直撃をくらうかもしれなかったが、建物の中に避難して生き埋めの可能性もあった。
さっき言ったとおり、ゲルニカにはそれほど大きな基地や工場や武器庫はなかった。だが、交通の要衝だった。だとすれば、爆撃の目的は流通を麻痺させることだろう。というようなことを、僕は姉に説明した。
「わかった、じゃあ、道路からはなれて畑の中にかくれよう」
僕たち姉弟はアレグロさんだったかディアスさんだったかの畑のくぼ地に身を寄せ合って、爆撃がすむまで隠れていた。姉とて落ち着いていたわけではなかった。ぴったりと身を寄せた姉の小ぶりな胸から、僕は荒い心臓の鼓動を聞いた。
爆撃が止むまでの数十分は数時間にも感じられた。ゲルニカに振舞われたプレゼントはただの爆弾ではなく、数十分間燃えつづける悪夢のような爆弾だった。それが焼夷弾だと呼ばれる新兵器だと知ったのはずいぶんあとになってからだ。爆撃のあとはご丁寧にも機関銃の掃射で人々が殺された。鎧を入れた木箱の影になっていたから、見つからなかったのかもしれない。ともあれ、僕と姉が助かったのは運が良かったからにすぎないと思えた。
ゲルニカ爆撃の実際の死者数は当初、考えられていたよりはずっと少なかったけれども、さして人口の多くないゲルニカにしてみれば、数百名の死者はたいへんな数だった。
爆撃が止んでしばらくして、僕たちは家路を急いだ。
「大丈夫よ、うちは郊外だし、キホーテⅩⅠ世ともあろうひとがこんなことで死ぬわけないって」
と、姉は半分は自分に言い聞かせるように僕をはげましながら、重い木箱をかついで走った。
だが、見えてきたのは無惨にも瓦解した我が家だった。
「父ちゃん!母ちゃん!」
姉はさけびながら瓦礫と化した屋内へ進んだ。父も母も頭から血を流して倒れていた。開かれた瞳孔。床に流れた大量の血。冷たい体。もはや魂が宿っていないのは明らかだった。
呆然自失の姉。こんどは僕が姉を我にかえらせる番だ。姉の背中を軽く叩き、爆撃のあと、軍隊がやってくる可能性があることを説明した。
共和国派とナショナリスト派は互いに無差別な空襲を行っていたから、爆撃したのがどちらかはわからなかった。が、このときスペイン北部は共和国派の勢力が強かったので、おそらく爆撃を行ったのはフランコ将軍の率いる反乱軍だと思われた。
爆撃を行った者がどちらの勢力かはともかく、破壊した都市を制圧するため部隊が来て住民を虐殺・レイプする……ありえそうなことだった。そうしたことは戦争や内戦では必ず起こりうる。いくら軍規を厳しくしても、兵士教育を徹底しても、必ず発生する人間の消せない獣性だ。
さいわいにも姉はすぐに理性をとりもどし、判断を下した。
「……モロッコの伯父さんを頼ろう。だいぶ遠いけど他に頼れそうな親戚はいないもん。サンチョ、荷物をまとめて。夜が明けたらすぐに出発するわよ」
いくつかの問題があると思った。姉はバスク地方ではちょっと名の知られた有名人だった。そして共和国派でもあった。これもそこそこ知れ渡っていた。
姉は14のとき4つ年上の地元労働党の若手リーダーであるドルシニオ・ロレンソに恋をし、ふたりは付き合い始めた。もともと政治的な活動にはとんと興味の無かった姉だったが、好きになった人の色に染まるのは人間の常であり、姉も例にもれなかった。
ようするに、姉は〝若い女性でキホーテの子孫〟として特に男性から人気があり、〝アカと付き合ってるキホーテの子孫〟として特に右翼陣営から不評があった。
実はこの爆撃のとき、姉とロレンソ氏の関係はとっくに破局をむかえていた。しかし、もはや〝アカのスケ〟じゃないからといって、反乱軍が姉に対して紳士的にふるまうとは思えなかった。
モロッコは反乱軍の勢力下であり、本拠地とも言えた。だから、僕は姉が正体を隠してひそかにモロッコ入りし、伯父さんのもとで偽名で生活するものだと、そう思った。だから、まさか、姉があんな格好で旅に出るとは──
翌朝。
「サンチョ、ちょっと手伝ってー」
呼ばれて振り向くと、箱からだしたフル・プレート・アーマーのかたわらに下着姿の姉が立っていた。
「一人じゃ着られないのよ、これ」