セゴビアの大通りを抜ける方法
これまでのいきさつと、僕たちの目的が安全にモロッコまで行くことだと聞いて、グリエゴ神父は不思議そうにたずねた。
「なんで、よりによって、内戦中の危険なスペインを縦断してモロッコなんじゃね?」
「だって……さっき説明した通り、モロッコには私たちの叔父がいるから」
「それはたしかに聞いたがのう。なにも南に逃げなくても」
「東も西も敵に囲まれてたわ。それに、北は海だもの」
「その北の港から、ゲルニカの子供たちはフランスに疎開したとわしは聞いたぞ」
「…………え?…………」
沈黙が降りた。
グリエゴ神父が人づてに聞いた話によれば、ゲルニカは空爆のあと、反乱軍が駐留した。その際に民間人の虐殺やレイプといった戦争につきものの各種イベントが反乱軍によって開催されたものの、共和国派が主張するほど華々しくはなかったらしい。
「海外のメディアが大きく報道して、記者が何人も現地入りしていたらしいからのう。そうそう無茶はできん」
とグリエゴ神父は言った。
「そこで、平穏をとりもどしたゲルニカの人々は、すぐ北のベルメオの港や、バスク自治政府の首都・ビルバオから船でフランスに疎開したそうじゃ」
「……マジで?」
「身寄りがおらんでも、フランスなら難民保護の施設くらいあるじゃろ。パリは出稼ぎ外国人向けの仕事も多い。お嬢ちゃんの年齢なら、働きながら弟ひとりを養うのも不可能じゃない」
「………………はやまった…………はやまったああああああっ…………」
ここへきて、ゲルニカを出てはじめて姉ががっくりうなだれるのを見た。
「まあ、フランスに行くのが正しいとも限らんからな」
とグリエゴ神父はヒゲをなでながら言った。
「どうして?」
と姉。
「お前さんたちはナチスの兵がフランコ軍といっしょに戦ってるのを見たと言ったじゃろ。ナチスがただ善意で協力してると思うかね?まさか。実戦でつちかった経験は、いずれ隣国で活かすつもりにちがいあるまいて。……はてさて、その矛先はポーランドかフランスか、あるいはその両方か……こわいのう、こわいのう」
「……………………」
ぼくたち姉弟は、神妙な顔つきで話を聞いた。
第一次世界大戦――1937年には単に世界大戦争と呼ばれていた――について、ぼくたちはもちろん学校で習ったし、ついこのあいだのことだと大人たちは口々に言い、大戦の悲惨さを伝えていかねばと、ことあるごとに説教していた。だが、ぼくはもちろん姉にとっても、生まれる前に終わった戦争だった。ついこのあいだのこと?19年も前に終わった戦争じゃないか!
そんな遠い昔の戦争のことより、いま自分たちの国でおきている内戦の方がはるかに重要な問題だった。イタリアでファシスト党が台頭しようが、ドイツでナチスが政権をとろうが、遠い遠い東洋でチャイナとジャパンが紛争しようが、それが僕たちの生活に何の関係がある?
このとき僕や姉や、ほかのゲルニカの子供たちが一番に考えていたことは、どうやったら敵の勢力をやっつけることができるか、だった。平均的なバスク人はスペイン王家や貴族を憎んでいた。いきおい子供たちも多くが共和国派になびいていたものの、ナショナリスト派支持のクラスメートがいないわけでもなかったので、ここでは「敵の勢力」としておく。「味方」か「敵」しかいないのが、僕の把握する戦争というもののすべてだった。ぼくより4つ年長の姉はもう少し複雑に世界を考えていたかもしれないが、それでも4年分程度に、だろう。
だが、グリエゴ神父は明らかに、スペインだけにとどまらない「世界戦争」がまもなく起きるという確信をもって話していた。おそらく、大人たちはみな、そう思っていたのだろう。ぼくは、神父の話ではじめて、単純にとらえていたスペイン内戦を〝ただならぬ戦争〟と見ることができるようになった。
そう、ナチスや世界各国からやってきた共産主義の義勇兵を見て、気付くべきだったのだ。このスペイン内戦は第二次世界大戦のロケテストなのだと。
だが、姉は強引に自分たちの今後に話を戻した。
「とにかく、一日でも早く共和国派の勢力圏に逃げ込みたいの。できれば助力が得られるかもしれないマドリードに」
「今のマドリードの連中に他人の面倒を見る余力はないと思うがのう」
「新聞は、人民戦線があたしを幹部待遇で迎えたいと言ったって。……軍隊に入るつもりはないけど……」
「つもりはないけど、助力は欲しいか。虫が良すぎるとは言わんが、見通しが楽観すぎる。それを言ったのは〝バスクの〟人民戦線じゃろう?」
とグリエゴ神父は冷ややかに言った。
「それがなに?」
と姉は食ってかかりぎみに聞き返した。それに、グリエゴ神父はポツリと返した。
「……マドリードは、カスティーリャ人の街じゃ」
神父は続けた。
「スペイン北部のバスクやカタルーニャはカスティーリャ人の作った国・スペイン王国に征服された地域じゃな?。したがって、この地域の労働階級はスペインをも否定るアナキスト《無支配主義者》が多い。ところがカスティーリャ人は、そのスペインを打ち立てた人々じゃ。カスティーリャ人の労働階級は、王室・貴族を否定するコミュニスト(共産主義者)が多いが、スペインという国を否定はせん」
「…………」
ぼくは、姉がこんなにだまって人の話を聞いているのをひさびさに見た。
「いちおう、ファシストと戦うということでアナキストとコミュニストは共闘しておる。自由主義者らしく、身分制を否定して万人平等の精神で戦っておるが……何百年も続いた差別意識は、そう簡単に消せぬものじゃて」
「差別?あたしたちが」
と姉。顔が険しい。自由主義者としての誇りを傷つけられた、といわんばかりの顔だ。
神父は眉の下の目をわずかに動かして言った。
「言ったじゃろ?カスティーリャ人には自分たちがスペインを作ったという自負がある。彼らは征服された非カスティーリャ人を何百年も見下してきた。上から目線であるがゆえに、バスクやカタルーニャの独立運動を憎み、内心では馬鹿にしている。身に覚えがないかの?」
あった。なければ、バスク人もカタルーニャ人もアナキストになったり、独立運動をしたりしない。実際、一部の過激な独立主義者は共和国政府に対してもテロ行為をしていた。この無差別なテロのために、アナキストとはいっしょに戦えないと主張するカスティーリャ人コミュニストも少なくなかった。このことが共和国派の足並みを乱す原因になっていた。
「そして、カスティーリャ人もバスク人もカタルーニャ人も、アンダルシア人を見下しておる。身に覚えがあるじゃろ?」
あった。先に産業革命が始まったイギリス・ドイツ・フランスに近いスペイン北部とちがって、南部のアンダルシア地方は20世紀に入って近代化が遅れだしたのが誰の目にも明らかだった。アンダルシア地方の人々を田舎者・未開人扱いするダーティ・ジョークは北部人の定番となっていた。アンダルシア地方が地中海をはさんでアフリカ北岸の対岸であることから、日に焼けたアンダルシア人を、ここにはとても書けない黒人への蔑称で呼ぶ人さえいた。
「さらに、戦争中は、必ず体格と筋力で劣る女性が軽んじられるものじゃ。身に覚えはないかな?」
あった。少なくとも姉にはあった。姉がドルシニオ氏と付き合っていたころだ。バスク社会党ゲルニカ支所にかいがいしく通っていた姉であったが、そのとき、姉のことをよく知らない党員から尻をなでられるなどのセクハラがしばしばあったらしい(もちろん、その党員は半殺しにされた)。平等を錦の幟にかかげた社会党員・共産党員たちは、身分の差別には敏感でも男女の差別には鈍感だった。戦争は男の仕事、女子供はひっこんでろ、という無意識の見下しが内戦中のスペインの男性に蔓延していた。実際には女性兵士がたくさんいたにも関わらずだ。
「つまりはじゃ、バスク人でアナキストで女であるお前さんを、カスティーリャ人でコミュニストで男中心である彼らは歓迎せんということじゃ。期待は裏切られる」
姉はしばらくだまっていたが、やがて言った。
「わかったわ。たぶん、その通りなんでしょう……。でも、とにかく共和国派の勢力下に逃げ込めば、逃亡の日々からは解放されるわ。バルセロナが陥落するまではね。共和国政府が降伏するまでに、戦闘地じゃない安全な道を通ってアルメリアに着けさえすれば、それでいい」
スペインの首都はマドリードで、このときも名目上はそうではあったけど、共和国政府は前線に近いマドリードを捨ててバルセロナに暫定的に避難していた。アルメリアというのはスペイン南岸の都市で、モロッコへの航路の出発地のひとつだ。
「どうやって検問をやりすごす?おまえたちが来た道さえ、もはや戻れるかどうかわからんぞい」
「道路を使わずグアダラマ山脈を山越えするのは無謀かしら?」
「無理じゃな」
姉の提案はにべもなく否定された。
「マドリード北西のグアダラマ山脈は両軍が激突する前線地帯じゃ。拳銃すら持たん人間があそこをのこのこ通っていくなど、自殺しに行くようなものじゃて。この街の住人がマドリードに行かねばならん用事があったとしても、山越えのような馬鹿なマネはせん」
この言葉に、姉はひらめいたように言った。
「とにかく検問さえやりすごせば、民間人はマドリードに入れるってこと?」
「非武装で、ファシストの手先でないことが明らかならな。お前さんなら心配あるまい」
グリエゴ神父は、あたりまえじゃろう?というような顔で答えた。
「大都市というものは、周辺からの物流が止まれば簡単に死ぬ。内戦中でもそれは変わらん。中世の城塞都市のような籠城は現代じゃ不可能じゃ」
「…………でも、検問を突破する方法がない」
「最初に戻ったのう」
と、グリエゴ神父はいいながら、ブリキ缶の灯明に油を注ぎ足した。小さな炎がチラチラとまたたいた。
神父は、ひと呼吸置いて、言葉を続けた。
「……あえて、セゴビアの街の中心を抜けて、マドリードに向かう国道を行くしかあるまい。『街の中心の検問を抜けて国道に入るのは不可能だ』と、国道で検問しとる連中は油断しとるじゃろうからな」
「だから、そもそもどうやってセゴビアの大広場を抜けるかっていう話をしてるんでしょ!」
神父は、危険な賭けになるが、他に手はないと前置きして言った。
「道は、あるのじゃよ…… 悪魔の橋がな……」
「悪魔の橋……?」
姉は聞き返した。
悪魔の橋。ぼくはそれが何か知っている。姉ももちろん知っている。この国に住む人間ならだれもが知っている。セゴビアの象徴でもある歴史文化遺産『セゴビア水道橋』の俗称だ。この、古代ローマの技術の粋を集めて作られた連続アーチの水道橋は、その巨大さから〝悪魔の(力で作ったとしか思えない)橋〟と呼ばれているのだ。ぼくはひそかに、イスラム勢力に一部を破壊された橋を修復できなかった中世スペイン人(古代ローマの技術はロストテクノロジーになっていた!)技術者が、修復できないいいわけとして悪魔を持ち出したのではないかと思っている。
「あの有名で巨大な橋の上部に、人間がひとり通れるか通れないかというくらいの細い溝がある。そのむかし、水を渡らせていた部分じゃな。安心せい、いまは水は枯れておる。雨水くらいは溜まっているかもしれんがな」
「橋そのものは警備されてないの?」
「警備の兵士がおるにはおるが、内戦中で観光客などおらんからな。警備は手薄じゃ。むしろネズミに噛まれんよう気をつけることじゃな。橋をつかえば、検問のもっとも厳しい広場の上を、ゆうゆうと抜けられるというわけじゃ」
いや、その作戦は無理がある……と、ぼくは思った。いくら巨大とはいえ、セゴビア水道橋は800メートルちょっとの長さしかない。橋の先端にたどりつくまでにも、橋の終わりから国道までにも、警備の反乱軍兵士はたくさんいるはずだ。
というようなことを僕は言わなかったが、表情には出ていたのだろう。神父はニヤリと笑みを浮かべて、説明した。
「教会を壊した街の連中が、左翼の去ったとたんに手のひらを返した話はしたな?連中は、わしに対して負い目を感じておる。街の中心以外の住宅街なら、建物から建物へバルコニーや廊下や屋根をつたって行くツテがあるのじゃ。ナショナリスト派の兵士とて、まさか建物の中に検問所を作るわけにもいくまい」
ここで、姉が質問した。
「人間がひとり通れるかって細い溝を、三人で行くの?神父様も通れる?」
グリエゴ神父は太っていたわけではないが、成人男性の平均よりは背の高い方だった。
「いや、橋を使うのはフランコ軍に追われているお前さんだけじゃ。わしとサンチョはマドリードに作物を売りに行く農夫とその孫娘に変装して、検問をやりすごす」
「……孫娘?」
「メガネを外して、カチューシャを頭にまけば、女の子っぽくなるわい。なんなら、お隣のばあさんからカツラも借りようかの。声変わりはまだじゃろ?」
「サンチョに受け答えさせるつもり!?無理よ!だって――」
「しゃべれないから、かな?」
と、声をうわずらせた姉と対照的に、落ち着いてグリエゴ神父は言った。
「おとなしい子だと思っておったが、そういうことじゃったか」
神父はぼくに向かってたずねた。
「さて、セニョール・パンチョ。きみは小学校に通ってたのじゃな?ひとつ聞きたいんじゃが、しゃべるのはできなくても、国語の授業での朗読はできたんじゃないかね?」
見つめられて顔から汗がふきでた。ぼくは何もいわず、ただ小さくうなずいた。それを聞いて姉は驚いて言った。
「え?そうなの?」
「そうじゃないかと思ったよ。いや、そうであって欲しいと思った……かな。なに、教会というものは、何百年もむかしから、この手の人間を拾ってきたんでな。わしの修行時代の仲間にもおった」
グリエゴ神父は説明した。
「しゃべれないわけじゃない。ただ、ちーっとばかし、人見知りがはげしくて、コミュニケーションが苦手なだけ……しかし頭は良いから、朗読だの暗誦だの、決められたことを言うだけなら問題ないタイプ」
「あたしだったら、むしろ朗読や暗誦のときのほうが緊張して声が出なくなっちゃうけど」
「緊張でしゃべれない人間はそっちの方が圧倒的じゃよ。ま、症状にもいろいろあるということじゃ」
言葉を区切り、さらに神父は持論をぶっちゃけた。
「こういうコミュニケーションは苦手だが頭の良い子は、修道士にして書写をやらせておくにはもってこいでな。教会としては食事と寝床さえ提供すればいい。本人も苦手な社会とつきあうよりよっぽどマシ。そんなわけで、教会は昔から、もちつもたれつで、こういう人間をよーく知っておるんじゃ」
そして、あらためてグリエゴ神父はぼくに言った。
「さてさて、セニョール・パンチョ。おぬしが朗読のできるタイプなら、なにより。なーんにも心配いらん。ポルトガル語はわかるかね?」
こくり。
「おお、けっこうけっこう!わしのにらんだ通り、やはり頭の良い子じゃったな。やることは簡単じゃ。わしが合図をしたときに、決められたセリフを言うだけ……暗誦と同じ要領じゃよ。明日になったら、そのセリフを書いてやるからな。さあ、もう夜も遅くなった。寝るとしよう」
トタン板のバラックはすきま風が多かったが、季節は寒さの気にならない初夏へと向かっていた。ぼくたちが眠るあいだも、セゴビア水道橋の下、アルティジェリア広場では夜通しの検問が行われていた。




