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ゲルニカの郷姫ドーニャ・キホーテの聡明なる冒険  作者: 桝田道也
第3章 セゴビア
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ブルゴスからセゴビアまで

 自分たちがはっきりとおたずね者扱いになっていることを知り、ブルゴスからセゴビアへは慎重に移動した。途中、食事のためにリュックを開けた姉がけげんそうな顔をした。

「これ、あんたが買ったの?そんなお金わたしたっけ?」

見ると、そこにはオペラグラスが押し込まれていた。ペリーヌさんが使っていたやつだ。そのことを説明し、あらためて深く感謝した。


 オペラグラスは大活躍をした。検問や戦闘地域を遠くから発見しては迂回しながら、農道や森の中、巡礼の道などを通って南へすすんだ。


 商店のあるような街へ立ち寄るのが難しいときは、姉とロシナンテは森に隠れ、僕が買い出しに行った。もっとも内戦のせいでモノがないのはどこの街も同じだった。ぼくたちは非常用のビスケットを非常用に残しておき、食事の半分はロビンソンクルーソー式にして餓えをしのいだ。


 季節が春の終わりごろだったのが幸いした。ピクニック気分とまではいかないが、森に入ればキイチゴ・クサイチゴなどベリー類が山ほどとれた。周囲一面がクサイチゴの藪を見つけたときの多幸感を都会生まれ都会育ちの人は知っているだろうか?そのあと体中にできる細かい切り傷・スリ傷の痛みがもたらす誇らしさを知っているだろうか?


 オオバコにタンポポ・イタドリ・ツユクサにシロツメグサなども、普段だったら好んで食べたい食材ではないが、サバイバルな状況下ではあるだけマシと言えた。川の水を汲み、枯木を集めて火を起こし、材料を鍋に入れてゆでて、塩とコショウと我慢で食べるだけの簡単な料理。セリ・ノニンジンなど素人が毒草と間違えやすいものはひとまず避けた。


 銃や弓は弾薬や矢の入手が難しいと思ったので、ブルゴスではスリングショットを購入した。僕も姉も本格的に狩りを学んだことはなかったが、ウズラや野ウサギくらいなら、姉の運動神経をもってすればしとめられるだろうと考えたのだ。しかし、これは期待したほどの成果はあげられなかった。


 実際、何匹かはしとめることができた。しかし、血抜きして羽をむしり皮をはぎ、食べられるようにするのは素人には大変すぎた。逃亡中の身とあっては処理に時間がかかるのも困りものだった。それに、そもそも捕まえるのに労力のかかることかかること!

「余計なことしてないで、とっとと先に進んだ方がよさそうね」

と、さすがの姉も素人の狩りが労力に見合わないことを認めた。僕は、僕らの遠い遠いご先祖様が狩猟採集から農耕へと転職した理由を理解した。


 そういう風にゆっくりと進んだので、セゴビアに到着したのはブルゴスを脱出して五日後のことだった。


 セゴビアは首都マドリードの北西へだいたい80キロくらいに位置している。直線距離ではそれほどではないが、両都市のあいだにはグアダラマ山脈が横たわっている。セゴビアはすでにナショナリスト派の支配下に置かれていたが、マドリードがスペイン内戦が終結するまで陥落しなかったのはグアダラマ山脈が天然の防塁になっていたからだと言えるだろう。


 ペリーヌさんが紹介してくれたのは、このセゴビアの郊外の小さな教会だ。名を聖アントニオ教会という。ようするに中世から村々にあった素朴で小さな教会だ。神父のグリエゴ氏はカスティーリャ人だが、アンダルシア人やバスク人だからといって差別するような人ではない──これはペリーヌさんの弁だが──ということだった。


 その郊外の小さな教会へ向かっている途中のこと。すれちがったT型フォードの運転手から声をかけられた。

「ねえ!そこのあなたたち!セゴビアに行くの?」

運転していたのは若いシスターだった。後部座席の窓からも別のシスターが顔を出した。


 20世紀に入って三分の一が過ぎたころだ。さすがに自動車が珍しいということはなかったが、それでも庶民がおいそれと持てるものではなかった。それを、若いシスターが自分で運転しているのだ。一部の教会関係者はそれほどに裕福だった。


 それが当時のスペインに頑として存在していた格差だった。何かが起こるとき、原因は当然に存在する。なぜ、スペインで革命が起きて共和制が選択され、ろくな教育も受けていない人々がマルキシズムに染まったのか。その理由のひとつを目の前のT型フォードが示していた。


「セゴビアの大広場に行くつもりだったら、用心しなさいね」

と運転していた方のシスターが言った。姉はずっとブルゴスでもらった修道服を着つづけていたから、同業者と間違われたのだろう。姉はにっこり微笑んで問い返した。

「ありがとう。でも、どうして?」


 後部座席のシスターが口をはさんだ。

「街中、検問所だらけなのよ。なんでも、フランコ軍の一個連隊を一人で壊滅させたガラ・キホーテっていうゴリラ女が、セゴビアに向かったんですって!なんとしてでも捕まえるって、やっきになってるのよ」

そして、思い出しみぶるいをしながら、つけ加えた。

「検問所の男たちときたら、身体検査だと言いながら、あたしの体のあちこちをもんだり、つまんだり……。もー、サイアクだったんだから!」

「修道院じゃできない体験なんだから、割り切って愉しめばよかったのに」

と運転席のシスターがまぜっかえした。

「よしてよ!あんなブサイク願い下げよ!」

ブサイクじゃなければアリだったのだろうか?ブルゴスからこっち、ぼくの中でシスターの清らかなイメージが壊れまくりである。


 運転手が姉に向きなおして言った。

「だから、あなたも大広場に行くなら注意しなさいね。あ、そうそう、そのガラって女にも気をつけないとね」

そして、いたずらっぽく笑った。

「……もしかして、あなたがそのガラ・キホーテだったりして?」

「あたしがそんなバケモノ女に見えます?」

笑顔で返した姉に、T型フォードの二人のシスターは

「ぜーんぜん!キャハハハハ……じゃあねー」

と笑い声を残して去っていった。排気ガスのいやな匂いがひろがる中で、姉はあきらかに不機嫌になった。

「だれがゴリラ女よ、だれが。……だいたい人間が一個連隊を倒せるわけないでしょ、あたしが倒したのは一個小隊だっての!」


 検問のことを聞き、前にもまして僕たちは慎重に進んだ。なるほど、たしかに主要な通りに検問所が設けられており、身を隠しながら注意して進まねばならなかった。郊外だからそれが可能だったが、郊外でこれなら、中心部を抜けるのは不可能だと推測された。しかし、セゴビアの中心を避けてマドリードに向かとなると、グアダラマ山脈の山越えをするしかない。できることなら山越えは避けたかった。


 ほどなくしてペリーヌさんに教えられた住所へたどりついた。だが、小さくて素朴な教会はそこにはなかった。あったのは破壊された建物の残骸や瓦礫と、異様なほど一面にまき散らされた糞便・尿だった。鼻を突くひどい臭気がたちこめていた。


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