踏みつけながら降りていく
ものの本によると、建築中のビルから足を踏み外して建材の戸板といっしょに落下した男が、戸板を使って空気抵抗を利用して、なんとか一命をとりとめた例もあるという。
が、姉はそれを狙ったわけではなかった。姉が宙に舞ってすぐにそれは明らかになった。
「ドグワシャッ」
地上のぼくらには聞こえなかったが、おそらくそんな音が響いたことだろう。姉の下のオーク板の、その下で、大理石でできた雨どいが砕けていた(と、ペリーヌさんが言った)。
「ひいい……ガーゴイルが……」
とペリーヌさんが青ざめる。ブルゴス大聖堂の尖塔の上のほうの雨どいに動物や魔物のレリーフはほどこされていないので、厳密にはガーゴイルではない。とはいえ、古くて装飾性のある文化遺産の雨どいにはちがいない。
姉は次々に雨どいを破壊しては、落下の勢いを殺していた。
「ああ、また……」
ペリーヌさんの顔が青ざめていく。ただでさえ姉をかくまったことで、おそらくこのあとペリーヌさんの立場はまずいことになるだろう。そのうえさらに教会破壊までされては、僕たちといっしょにペリーヌさんも逃げ出さねばならなくなるかもしれない。
「壊さないでって言ったのに……」
半泣きのような顔でペリーヌさんは嘆いた。無理もない。
姉は、ガーゴイルを破壊しながら、ときどき反乱軍や人民戦線の追っ手も踏みつけながら(彼らは「展覧の騎士」で落下しなかった称賛すべき半数の方だ)、どんどん降ってきていた。もう半分くらいは降りただろうか。それでもまだ40メートルほど残っていた。ここから下は装飾がより凝ったものになっていく。
「聖母子像はやめてー!」
と絶叫するペリーヌさん。その言葉が聞こえたのだろうか、それともたまたまか、姉はそこから下で彫像を破壊することはなかった。窓のひさしやバルコニーの欄干など、勢いを殺すのに必要なでっぱりが豊富にあったからだろう。姉が偶像の破壊を目的としてなかったことがわかって、僕は胸をなでおろした。残り15メートル。もう少し……
だが、落下した追っ手の一人に、なんとか動ける者がいた。彼は軍人の誇りに突き動かされ──あるいは、このままでは自分は×××に見とれて女を逃がした恥ずかしい奴になってしまうと思ったか──最後の力をふりしぼって、拳銃を姉に向けて発射した。
短い金属筒の中で火薬が爆ぜる、特有の乾いた音。
「アウッ」
姉の悲鳴。鮮血が飛び散るのが僕の目にも見えた。もうそのくらい地上まで近づいていたが、このままでは着地に失敗してしまう。いまや姉はバランスを崩し、オーク板から足を踏み外してまっさかさまに落下していた。だが、姉とちがって僕は、こういうときにとっさに体が動く人間ではなかった。ペリーヌさんも同じく硬直していた。これはまずい。まずいが体は動かない──
いきなり後ろから声がした。
「行け!ロシナンテ!」
そしてロシナンテの尻をピシャリと叩く音。ふりかえるとメキシコの興行レスリングの選手にいるような、目と口だけを出した覆面の男が立っていた。誰だおまえ?