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ゲルニカの郷姫ドーニャ・キホーテの聡明なる冒険  作者: 桝田道也
第2章 ブルゴス
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前門のファシスト、後門のアカ

 兵士たちは油断なく拳銃をかまえ、銃口をこちらに向けた。小隊ひとつとはいえ、二十数名もの兵士がたった一人に壊滅させられたという事実を重く受け止めたものとみえる。ただし反乱軍は姉とペリーヌさんの両方に銃をつきつけていた。どちらがキホーテか、わからなかったのだろう。


 ペリーヌさんに迷惑をかけるわけにはいかない。

「私がキホーテ12世よ!」

と言いたそうにうずうずしているペリーヌさんを目で制して姉は両手を上げた。もはや万事休すか。僕たちの逃避行はわずか三十数キロで終わった。


 そう落胆した矢先のことだ。部屋のもう一方のドアから(無計画な建て増しの結果と思われるが、僕たちが止まった部屋には出入り口が二つあり通り抜けできるようになっていた)反乱軍とはまったく様相の異なる兵士の一群が現れたのである。これには僕も驚いた。事態は思わぬ方向に急転回した。


 完全に私服と思われる、まちまちでボロボロの軍服らしくない軍服。全員、スカーフと帽子をつけている。そして身につけているもののどこかに必ず赤または赤と黒の2色のものをあしらっていた。赤は言うまでもなく共産主義の色、そして赤と黒はアナキズム(無支配主義)を象徴する色だ。──人民戦線の民兵だ。彼らは入るや否や、状況を確認せず明るくさわやかな口調で言った。

「キホーテさんですね?ぜひ、我が軍の幹部になってください!」


 おそらく、入ったらこう言おうと心に決めて、好印象に聞こえるよう何度も練習したことを練習した通りにやってのけたのだろう。そうしてようやく、あっけにとられている僕たちと反乱軍に気付いた。


 反乱軍の兵士は分別があった。いきなり銃撃戦を始めたりはしなかった。民間人、それも聖職者であるペリーヌさんがいたからかもしれない。拳銃を構えなおし、居丈高に言った。

「やや!アカめ!まだブルゴスに潜んでいたのか!」


 人民戦線の民兵たちは予想外の先客に驚きつつも、即座に反応し横っ飛びに跳んで暖炉やタンスの陰に隠れ自分の銃をとりだし叫んだ。

「だまれ!古い人間たちよ、よく聞け!革命は社会の牽引けんいん車なのだ!」


 うん、会話になってない。このころよく聞いたスローガンで、マルクスの著書からの引用だ。人民戦線の構成員はスローガンの連呼を好んだ。貧困層出身のため教育を受けていない者が少なくなく、耳学問でマルクス主義の思想を学び覚えるにはワンフレーズでなければならなかった。


 両派のにらみ合いで銃の狙いが僕たちから離れたのを姉は見逃さなかった。修理したオーク板をひっつかむと、

「逃げるわよサンチョ!」

と叫び、人民戦線が入ってきた方の、あいたままのドアに突進した。言われるまでもなく僕も続く。

「チィッ!」

と舌打ちして反乱軍は引金を引いた。


 バンッ!チュイン!チュイン!チュイン!チュイン!


「ぎゃっ!」

さいわい僕にも姉にも当たらなかった弾は跳弾をくりかえし、誰かに当たったらしく野太い男の悲鳴が聞こえた(後ろを振り返らず走り続けたので、当たったのが反乱軍か人民戦線かはわからない。撃った本人に当たっていてほしいと願った)。当たったのがペリーヌさんでなくてよかった。


 逃げる僕たちにペリーヌさんの呼びかけが聞こえた。

「ガラ!なるべく年代物の彫刻は壊さないでねーっ」

ブルゴス大聖堂は、柱という柱、壁という壁、梁という梁に見事なレリーフが刻まれており、祭壇や過去の偉大な司祭たちの墓や絵画など、それはそれは貴重な文化遺産が大量にあった。もっとも、ヨーロッパの歴史ある大聖堂はたいがいそういうものであるが。


 そこから先は、まるで迷宮の中で運動会をやっているようなものだった。近代的な設計になってない大聖堂。しかもこのブルゴス大聖堂は、純粋なスペイン建築でもない。数百年かけてフランス人の設計者やドイツ人の設計者によりいじくり回された、実にユニークな建築物なのだ。ここでいうユニークとは、もちろん〝観光客や研究者にとっては〟である。追う方も追われるほうも、どのドアがどこに通じるかなんてわからぬまま、ただやみくもに走り回っていた。


「キホーテさーん!待ってくださーい!どうか僕たちに協力をー」

と人民戦線。彼らは銃をこちらに使わないので、まだよかった。


 反乱軍は、さすがに頭が良かった。

「追うのは後回しでいい、先に建物の出入口を封鎖しろ!そうすれば、あとは収穫祭の日の豚も同然だ!」

と叫んでいるのが聞こえた。なかなかおもしろい表現をする男だ。ただし、その命令を受けた反乱軍兵士たちが、すみやかに建物の出入口すべてを発見できたかどうか。僕は発見できなかった方に持ち金を全部賭けてもいい。なぜなら、このあとで僕が脱出した裏口には反乱軍兵士がいなかったからだ。


 死角は多く、簡単に追っ手から隠れることができた。しかしすぐに迷って、逃げ切ったと思った追っ手と再会しそうになり、ふたたび物陰に隠れ……ということを何度もくりかえした。姉はともかく、体力のない僕は早々に音を上げた。もう走れそうにない僕を見て、姉は決断した。ちょうど、ブルゴス大聖堂の美しいステンドグラスのある、暗い廊下のあたり。

「追われてるのはあたしだけだから、サンチョ、あなたひとりならなんとか出て行けると思う」

そういうと、姉は貴重なステンドグラスに向かって、オーク板をぶん投げた。


「オーレ!」

かけ声よろしく、がしゃぱりーん!ああ、美しく貴重な文化財がこっぱみじんに砕け散った。オーク板はちょうつがいの部分で二つに折れ、窓枠にひっかかった。姉はちょっと驚いた顔で言った。

「そうなれと思って投げたけど、まさか狙いどおりになるとはね……自分の身体能力が怖いわ」

そして、窓の格子にとびつくと密林の王者のように、するすると登り始めた。


「ロシナンテを用意して下で待ってて!あたしはなんとか追っ手を処理して、あとから行くから!」


 ──処理。いま、たしかに処理と言った。〝振り切って〟ではなく〝処理して〟だ。いやな予感しかしない。

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