ナショナリズム
僕の兄貴の作品です。
ちょい思想的なので、お嫌いな方や、苦手な方は
ブラウザバックをお勧めします。
まあ、たまにはこんなマジもいいか?て事で…
国を愛するのがナショナリズム。
それが何故日本と云う国では、危険な思想と勘違いされ
興奮や嫌なイメージを抱かずには、語る事が出来ないのか。
それは根本的な間違いが我々日本人の根底にあるのだろう。
日本人は1945年8月15日以前のナショナリズムの在り方や、家族やその他の思想を含めて、
1945年8月15日以降では明らかに異なる。
それは歴史の断絶であり、それ以前の戦前の日本を全て悪と位置付けたものに過ぎない。
また、そうする事が知的で善良な日本人かの様な幻想を大衆は抱いたのだ。
それは日本と云う国は、1945年8月15日以降は、全くの別の国になってしまったと
考えられる。
歴史を放棄した日本人は、絶対的な基準を失ってしまい、
誰かの意見や評判でしか自分自身を見る事が、出来ない可笑しな人種が生まれた。
歴史の断絶は我々日本人の価値観を奪い去り、日本の風土に合わない欧米主観が流入し、それがあたかも国際基準であり、松岡洋右によって国際連盟から脱退した国際社会への復帰であると考えたのだろう。
しかし、それは大きな間違いだ。
日本は日本でなくなる事と引き換えにまで国際社会に認められるべきであったかは疑問である。
ただ、日本人もハンバーガーでもステーキでも好きなだけ食べればいいし、若者もハンバーガをいくらでも食べればいい。
しかしハンバーガーを頬張りながらも日本的ユニークな感性を持っていてくれればそれで十分なのである。
我々は国を愛する気持ちを、先人の様に国の為に赤紙一つで無謀な作戦も参加する事が、あたかも真のナショナリズムかの様なイメージを持ち、戦前の日本の否定と一緒にナショナリズムも同様に否定し、又ナショナリズムを戦前の日本を戦争に導いた悪の根源かの様に誤って認識している。
そんな人間はナショナリズムと全体主義を同義に捉え、あたかもナショナリストを、
全体主義者の様な否定的な視線を浴びせる。
ナショナリズムとは単に国を愛する気持ちであり、全体主義の様なファシズムに通じる危険な
思想とは全くの別ものだ。
しかし、ここまで日本の戦後を否定し戦後は、日本文化は完全に潰えたかのように思われる書き方をしてきた。
それは大きな間違いだ。最も日本的で日本と他国を比較した時にはっきりと日本だとわかるメルクマールである存在、天皇の存在を我々日本人は手放しはしなかった。
これは日本が日本だと分かりえるたった一つの歴史的、文化的な根幹だと言える。
天皇の存在はこれからも我々を日本人たらしめ、ナショナリズムの象徴で在る事には、変わりないだろう。
お読み頂きありがとうございました。