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まどろみの終わり

「かかれ!」

男が叫んだ。

相手が強大なる竜ならば、一人ずつ殺されるのは愚の骨頂。


二人の戦士が、一歩踏み込んだ。

赤毛の男は逆に退いて、戦士達と竜の動きを一瞬で掴む。


「退け!」

投擲用の短剣を引き抜き、男が叫ぶ。

剣の切っ先が届こうかという所で、戦士達は素早く地を蹴った。


直後、彼らのいた場所を、竜自身をも巻き込んで炎が薙いだ。

草色の長衣が、炎を吹いて焼け落ちる。


「効きそうにないわね、炎は」

散る火の粉の中に煌めいた、傷一つない金色の鱗を見て。

女は、少し笑った。


女の笑みが氷の詠唱に変わっていくのを聞きながら、

竜は片手で小さく印を切った。

長く口に上らせていなかった詠唱を、短く呟く。

鱗に覆われた肌が柔軟に動き、肩がしなる。

次の瞬間、襲い来る氷の矢を防いだのは、同じ氷の壁。


「ほう」

小さな声をひとつ。

竜の鱗を断つ大剣を、剣士は静かに背へと収めた。

代わりに腰から抜いたのは、磨き上げられた細い剣。


「相手は、魔術師だ!」

強く通る声に、三人が三人とも、一瞬の視線を投げた。

杖を持つ女は、詠唱句を組み替え。

赤毛の男は、竜の白い喉を見据え。

戦士の槌が、細い両腕を睨んだ。


竜の剣に刻まれた印が、応えるように輝く。

薄い唇から柔らかな響きの声が漏れるのを聞かないうちに、短剣が宙を走る。

走った短剣はしかし、喉を裂かないうちに長くしなる尾に絡め取られた。


地を打って元の位置に戻ろうとする尾へ、槌が振り下ろされる。

金属塊の先端を刃が擦る。

尾の先を打ち潰され、竜の額を汗が落ちた。


すかさず、槌ごと竜の身体を地面へ絡め取るべく、氷の術が地をゆく。

戦士が文句を叫ぶ。竜は詠唱を続けていた。

長く重い詠唱だった。

完成させてはならないと不意に感じ、戦士は文句を言いながらもその場を退かず、腕に力を込めた。


氷が竜の尾を、脚を絡め取る。

戦士は這い上がる冷たさに息を呑んだ。

ひとつ視線で合図して、剣士が地を蹴った。


竜は動けない。

凍って青くなる唇が、詠唱だけを紡ぎ続ける。

距離が縮まる。

狙うのは一箇所。

剣士は一点だけを見つめた。


剣士は雄叫びとともに刃を突き出した。

剣が白い喉へ食い込む直前に、最後の一言が放たれた。



───気がつくと、剣士は賑わう酒場に立っていた。

何もない空間へ突き出した切っ先に気づいて、

照れ笑いとともに剣を収める。


聞こえる声に振り向けば、戦士が大声で笑いながら杯を振り上げている。

魔術師の女はその側に無言で佇みながら、上気した顔で酒をちびりちびりと舐めている。

赤毛の男が、機嫌よく自分達の武勲を吹聴していた。


ああ、竜殺しは終わったのだ。

男は全身の緊張を解いた。


遠くで仲間達が、自分が席に着くのを待っている。

焼き上げられた豚肉から滴る脂のいい香りがする。

柔らかな灯りに照らされて、自分達の凱旋を讃える、冒険者達の笑顔が見える。


男は軋む床を踏んで、席に着こうと一歩歩んだ。



…術の集中を保ったまま、竜はゆっくりと剣を鞘走らせた。

ほとんど使ったことのない術だった。

この術は人にしか効かない。

人と同じ心を持つものにしか効かない。

すぐそばにいるものにしか、効かない。


蒸発していく氷を振りほどき、大声で笑う戦士の首へ刃を当てがう。

体重をかけた足が痛んだ。


─不意に重たいものが落ちる音を聞いた気がして、剣士は辺りを見回した。

身体の筋肉が、ひとりでに張り詰める。


仲間達は変わらず杯を酌み交わしていた。

赤毛の男がしたたかに酔い始め、大声で他の冒険者と冗談を言い合っていた。

女が、そんな様子を少し呆れた様子で見ていた。


剣士は頭を振り、祝宴に加わろうとした。張り詰めていく感覚が、意識に呼びかけ続けていた。

剣士にはそれが何なのか分からなかった。

板張りの床の向こうには、転がった杯以外には何もなかった。


剣士は一度深く息を吸って、剣を抜いた。


剣士は己の感覚に従った。

板張りの床の向こうに質量を感じ、脅威を感じ、その中心へ渾身の突きを放つ。


刃が鱗を貫いた。


剣士の視界が暗転する直前、刃は竜の燃え盛る心臓の、すぐ側を貫いていた。


…竜は大きく息を吸った。穴の開いた胸が痛み、息が苦しい。

小さな詠唱を唇に浮かべ、表面の傷を塞ぐ。

後は放っておけば癒えるはずだった。


術は途絶えていた。不利を悟り、女と赤毛の男は逃げ出していった。

竜は後を追わなかった。それよりもやることがあった。


冒険者が凱旋しなければ、次の竜殺しを狙う冒険者が旅立つだろう。

彼女らが酒場へ辿り着けば、金髪金眼の男が竜と知れるだろう。


竜は男達の懐を探って、銀貨と小さな宝石を拾い上げた。

墓標代わりに地面へ剣士の剣を突き立てると、彼らに背を向けた。


長衣の着替えを身に纏い、身体の鱗をひとつ撫でて肌へと覆い隠す。

投げ出された彼らの背鞄から荷物を出して、必要最低限の旅支度を詰め込み直す。


「行きましょう」


竜は洞窟の奥へ向かって呼びかけた。


「どこへ?」


不安そうに顔を出して、娘が問いかけた。

竜は柔らかな手を差し伸べて、安心させるように微笑んだ。



「どこか、遠いところへ」



そうして娘と竜は洞窟を出ていった。

互いにしっかりと手を繋いで。


最後に一度だけ、ぽっかり空いた洞窟の中を振り返った。

そうしてそれきり、振り返らずに出ていった。


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