竜と竜殺し
かつて、竜には心が無かった。
竜としての心はあったのかもしれない。
だが、人が解るような形での心は無かった。
世界の中に植物が茂り、動物が棲んでいることは知っていた。
人という生き物が、数多く生きていることも知っていた。
しかし、それらを壊すことに何の疑問も、良心の呵責も生まれはしなかった。
竜は戯れに森を焼き、人を潰して遊んだ。
残酷だった訳ではない。人々の悲鳴を怨嗟を、楽しんでいた訳でもない。
ただ、竜には人が理解できなかったのだ。
あまりに大きな存在、大きな力を持つ存在だった故に。
地面の上を這い回る小さなもので、潰すと音を立てる。
同じようなものが沢山居て、突付いてやると慌てて逃げていく。
それくらいにしか思ってはいなかった。
竜は己の住処に棲み、戯れの日々を過ごしていた。
続いていく日々の流れさえ知らずに。
やがて時が流れ、剣を持っては住処に入ってくる人の中に、
本当に竜を倒しうる力の持ち主が現われたことも知らずに。
その日現われたのは、初老に差し掛かろうかという歳の男だった。
背に大剣を担ぎ、その巨体を射抜かんばかりの視線で男は竜を見据えた。
竜は丁度眠りの淵にあったので、不機嫌な唸りを上げ、一度翼を羽ばたかせた。
大体の人なら、風の一吹きで飛んでいく。
居なくなったかと、竜は軽くそちらへ視線を巡らせた。
しかし、その男は立っていた。
揺るぐこともなく、刃のように輝く両の瞳で竜を睨んでいた。
竜は、驚きにその金眼を見開いた。
「竜よ」
「お前は知っているか。人の叫びを」
男は答を求めなかった。
その言葉を合図の代わりとして、剣を抜き地を蹴った。
竜と人とが戦いを始めた。
竜が炎を吹けば、男は恐ろしく俊敏な動きでそれを掠るに止め、
爪を振るえば、その下を潜り抜けた。
竜にとって、それは初めてのことだった。
潰して遊んでいた虫の中に、実は自分を殺す毒虫が紛れていたのだ。
竜は驚いた。
久しく動いていなかった生存本能が、一斉に動き出した。
世界をも揺るがすというその力を、目の前を走る一人の男に向けた。
向けたつもりだった。
それなのに、住処を壊しこそすれ、男の四肢を傷つけこそすれ、
男の動きを止めることはできなかった。
やっと竜の爪が男の身体に掛かった時、剣は竜の腹を切り裂き
その心臓を捕らえていた。
「────、」
竜は叫んだ。
吼えたというよりもむしろ、それは叫びだった。
振るった爪は男を洞窟の壁に叩きつけ、深く突き刺さった剣を除いたが、
心臓から溢れ出す血を止めることは叶わなかった。
竜の身体が燃え滾る温度を失い、動きを止めていく。
生存本能が全力で警鐘を鳴らした。このままでは、滅びに至る。
本能は、竜に一つの手段を取らせた。
転生。
死にゆく身体を捨て、魂だけでも何処かへ逃れるのだ。
その日、何処かの街で一つの命が母の腹に宿った。