不思議な夢
恋をすると、相手はどこまでも尊い存在になるのに、自分自身は耐えがたいくらいに醜く見えてしまいます。
ーー緋色の月が見える。
愛しい貴方の肩越しに。ーー
薄紅の花が咲き乱れる林のなかにいた。
香ることを忘れた早春の歌花が鮮やかに舞う。
愛らしい薄紅色の花弁は、その姿とは裏腹に人の血を吸って鮮やかに輝くという話をどこかで聞いた。
冷たい刃を深く受け入れた脇腹は燃えるようで、溢れていく暖かい流れは止まる気配はない。
このまま、大樹の根元で果てたなら、自分もあの月に上っていけるだろうか。
貴方が飽くことなく見上げていたあの、紅い月に。
焼けるような痛みも、溢れていくほどに抜けていく体の力も、今はただどうでもよかった。
愛する貴方の肩越しに、静かな息遣いを感じている今は、貴方以外の全てがどうでも良かった。
貴方は今、どんな顔をしているのか。
自分の命が尽きて行くのを感じて、何かを感じてくれているのか。
いつもの涼やかな瞳にどんな色が浮かんでいるのか確かめたくて、一歩下がった。
貴方が月を背に見つめている。
支えを失って膝から崩れ落ちる。そのまま冷たい土の上に倒れ伏す。
ーーあぁ、やっぱり。ーー
貴方の瞳にはなんの色も浮かんではいない。
出会ったときと変わらず、涼やかな目元はなんの感情も宿さずにただただ冷たかった。
「ーー様...」
愛しくて堪らなくて、だけど憎くて堪らない貴方の名を呼ぶ。
貴方は答えずにしゃがみこむと脇に突き刺さった小刀を一気に引き抜くと、更に突き立てた。
今度は背中に焼ける痛みが走る。
声すらでない。
「...せめてもの情けだ。」
貴方はひどく冷めた声で言うと、背中から小刀を抜き、うつ伏せの体をひっくり返して抱き上げた。
大樹の木肌に背を預ける形で座らせられ、正面から見つめられる。
「...生まれ変われたなら、桜になりたい。がお前の口癖だったな。」
ーー覚えていてくれた...ーー
「...済まねえ。」
ーー謝らないで...ーー
「...お前、何で笑ってんだ?」
「...あり...が...と...ござい..ま...」
「......」
貴方が唇を噛み締めて俯いてしまう。
「...ど、うか...ご、武運...を...」
貴方が息を飲むのが分かった。
もう、重くて瞼を開けていられない。
ーーあぁ、貴方は傷ついてくれるのか。ーー
歪んだ喜びが心に満ちて行く。ゆっくりと瞼を閉じて最後の息を吐き出すと、貴方の抑えた啜り泣きが聞こえてきた気がした。
また、あの人だ。
あの人の夢は、何年かに一度見る。
いつも冷たい目をして誰からも恐れられているのに、私はあの人を愛している。
時には口に出すこともできず、時にはただあの人に会えるのを待つしかなく。
あの人はいつだって、私を満たしてはくれないのに、それを分かっても出会えば愛してしまう。
そして、あの人はいつだって血のように紅い月を背に背負っている。
「...なんだかなぁ。」
あの人の夢は何だか妙に生々しくて、正直寝覚めは悪い。
あの人に刺されたらしい脇腹がまだ痛む気がして、パジャマの裾をめくってみる。
もちろん、傷なんてあるわけもない。
ーーあほくさ。ーー
馬鹿な自分を笑いながら、ベットを出る。
平凡で、代わり映えのな私の毎日が始まる。