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釈迦堂洲

作者: ぎーこ
掲載日:2026/09/26

 そういや、あれは去年の暮れも近い十一月だったかな。不思議な体験をしてよ。

 夏になる前に北海道へ渡って、啖呵売(ばい)をしながら、青森、岩手に宮城とずぅ〜っと南へ下ってきたわけだ。東北の冬は厳しいからなぁ。雪で立ち往生する前に、せめて関東まで。贅沢を言や、たまには新年を故郷の深川で迎えようと思ってな。ゆく先々でその土地の連中と仲良くなっては、もてなしを受けて、その恩を返す。金がなくなりゃ商売で日銭を稼ぐ。そうやって、数ヶ月かけてようやく福島まで下りてきたところで、起きたことなんだが……。


 ***


「お客さん、お客さん」

 国鉄の駅舎内のベンチでコートの襟を立て、縮こまるように寝ていた慶次郎を起こしたのは駅員だった。目を開けたときはここがどこなのか、一瞬わからなかった。片腕を枕にしていたせいか、じんわりと左腕が痺れていた。

「もう終電終わったし、駅も閉めないといけないからさ」

 そう言うと駅員は寝ぼけまなこの慶次郎の肩をゆすった。

「ん、んん、わかった。わかった。起きるから」

 慶次郎はゆっくり立ち上がり、凝り固まった体をほぐすように、大きく伸びをした。駅舎の中にいたのは、今にもシャッターを閉めたくて、早く出ていけと言わんばかりの顔をした駅員だけだった。

「おっと、こいつぁいけねえ。邪魔したな」

 足元にあったトランクの取っ手を持って、外へ出た瞬間、思わず目を細めた。奥羽山脈の向こう、日本海側から山を越えてやってくる冷たい季節風が顔と首元に吹き付け、慶次郎はぶるっと身震いした。

 しかし、まいったな。まさかこんな時間まで寝てしまうとは。駅の待合室はストーブが思いのほか暖かく、隣のおばちゃん連中と駄弁っていたことまでは覚えていたのだが、すっかり白河夜船だったわけだ。

 腕時計の針はすでに夜の十一時半を過ぎており、バス停乗り場の時刻表を見てみると、なんと最終バスが二十時前に終わっていることに驚きつつも、何かないかと周りを見回した。見晴らしのいい駅前は、何軒か店はあったが、とっくに暖簾(のれん)を下げていた。

 何もねえ街だね。宿の類いもなさそうだし、これは本格的に詰んだのではないかと慶次郎はまたも震えた。

 こんな十一月の東北で野宿なんてしてみろ。たちまち凍死して、地方新聞の朝刊の片隅に書かれてしまうではないか。そんな小さな記事は深川にいる莉緒やおいちゃん、おばちゃんにわかるわけもなく、「あら、そういえばお兄ちゃん全然帰ってこないわねえ」とそのうち忘れ去られてしまう。

 こいつぁいけねえと、思ったところで、通りの向こうにポツンと明かりを灯す商店があることに気がついた。随分宵っぱりの店もあったものだ。ひとまずあそこへ行ってみるか、と慶次郎は早足で向かった。


「よぉ、邪魔するぜ」

 慶次郎が店内に入ると、東京で見かける店とはどこか様子が違い、置いてあるものは、食品のほかに雑貨品がほとんどで、どうやら個人商店のようだ。

 すると、店の奥からエプロンをつけた若い店員が出てきて、怪訝な顔を慶次郎へ向けた。

「すみません。もう閉店なので……」


「おう、そうなのかい。そいつは悪かったな。ちょいと訊きたいんだがね。ここいらに泊まれるところはないかね?旅館といった大層なもんじゃなくていいんだ。民宿でもよ」


「ないですよ」ぶっきらぼうに即答する店員は、レジを締めるのか、紙幣を取り出して、売上レポートと見比べ始めた。

「じゃあ、適当な物置でも、家畜小屋でもなんでもいいんだ。雨風さえしのげればよ」


「ないですね」


「おい、青年。ないですね、じゃないんだよ。なにも俺はお前んとこの狭い部屋に泊めてくれとは言ってないんだよ。居間の片隅でも貸してくれればいいんだ」


「はぁ……」


「それとな、あとは『あら旅のお方、この寒い中大変でしたわね。こちらは厚手の毛布、この熱燗(あつかん)で冷えた体を温めてください。それと気に入ってくださるといいのですが、名物のいかにんじんです』『かたじけない。いただくとするよ、女将』ってな。これが粋ってもんだろ。わかるか?」

 声色を作って一人芝居をしながらいろいろと注文をつけるが、店員はあきれた様子で、てきぱきとレジ締めを行っていた。


「あら、どうしたの?」

 そんなところに別の声とともに、ひとりの女性が奥から出てきた。

 若者の店員と同じく、店のエプロンを巻いた女性を前にして、慶次郎は微動だにできなかった。

 東北女性らしい白い肌。艶やかな黒髪を纏め、首元に覗く色香の漂う細いうなじ。凛とした佇まいはどこか儚げで、凍てつくような寒空の下に咲く一輪の華を思わせた。


「いらっしゃいませ。なにかお探しですか?」

 じいと顔を見る慶次郎に、女性は首を傾げた。

「お客様?」

 その問いかけに、慶次郎は我に返ったのか、襟元を直して姿勢を正した。

「いえね、うっかり終電を逃しちまって、ここいらに泊まれるところはないか、この無愛想な若者に訊いていたところなんですよ。あはは」


「まぁ、それは大変失礼しました。昭彦、もう少し愛想よくしなきゃダメじゃない」


「でも姉ちゃん……」


「へ?このお坊ちゃんは貴女様の弟さんでございましたか。どおりで利発そうな顔をしていらっしゃる」

 慶次郎は顔をニヤつかせながら答えると、若者の隣に立つ女性は、まぁ、とコロコロと鈴を鳴らすように笑った。


「でも、困ったわ。見ての通りの田舎でございましょう。このあたりには泊まれる宿なんてないんですよ。でも中町まで行けば、旅館はありますわ」

 女性が顎に指を当てて答えると、すぐさま慶次郎が食い気味に被せた。

「本当ですかい?そいつぁよかった。で、中町とやらにはどう行けば?」


「前の道を真っ直ぐ歩いて、釈迦堂川の橋を渡って、坂を上がったところですよ。歩いて二〇分くらいかしら。でももう遅いですし、暗くて迷われたら危ないわ」


「へへへ、大丈夫ですよ。あちこち旅してますからね。夜道なんて慣れっこだ」


「でも……」

 心配そうな顔をする女性の言葉を遮るように慶次郎は答えた。

「止めないでおくなまし。あっしは旅がらす。これが渡世人のつれえところです」


 この寒空の下、送り出すのはあんたもつらかろう、俺も同じだ。簡単に甘えるわけにはいかないのが男ってもの。けどね、貴女がどうしてもと言うのであれば、今夜はここに留まりましょう。そう思いながら襟元をかき寄せた。


「あら、そうですか。わかりました。無理に引き留めても悪いものねぇ」


 女性は慶次郎の思いとは裏腹に、あっさりと引いてしまったのだ。いや、そこは止めてほしいんだが。しかし、ここまで言ってしまった手前、やっぱり泊めてくださいとは言えずに背を向けた。


「それじゃお達者で」

 慶次郎は軽く頭を下げると店をあとにした。外は相変わらず凍えるような風が吹き、旅館に着く前におっ死んじまうんじゃないかと思うほどの寒さに首をすくめた。

 窓の向こうで若者が後片付けをしている姿が目に映った。あの美人なお姉さんは奥に引っ込んじまったのかな、と店内に視線を巡らせたが見つからなかった。

 そういや女性の名前さえも聞いてなかった。少しの後悔と、これはいい出会いがあったかもしれないと、胸に込み上げる気持ちを抱きながら歩き出した。


「また、明日にでも来てみるか」


 夜道を歩いてゆくと、街灯が照らす橋のたもとにさしかかった。すると、突然街灯の明かりが消えて、慶次郎の姿はあっという間に闇夜へと包まれてしまった。

 一体どうしてしまったんだと、戸惑う慶次郎が振り返ると、さきほどの暗がりに佇む商店の軒先の照明も落とされていた。距離にしてわずか五〇メートルほどしか離れていない。時間にしてまだ一分、二分程度なのに。それにもかかわらず、店の明かりが消えてしまっていた。いや、店じまいとかで明かりを落としたのではない。建物そのものがなくなっていたのだ。目を凝らすと、その商店があった場所には、見慣れたものがあった。

 あれは墓場だ。見間違えるはずがない。

「ひぇ」小さな悲鳴を上げた慶次郎は、肌が粟立ち、思わず尻もちをついた。

 こ、ここはどこなんだ……。手をついた地面は妙に冷たく濡れた感触がした。いつの間にか周りは河原になっており、目の前には釈迦堂川と書かれた看板が立っていた。

「釈迦堂川」さっきの女性が言っていた川の名前だ。よくよく見ると、河原には何人もの子どもの姿があった。

 彼らは石を積み上げて塔を作っているが、すぐに崩れてしまう。そしてまた石を積み上げる。まさしくここは賽(さい)の河原。

 ――駅の待合室に貼られた街の歴史案内を思い出した。そこには釈迦堂川の名前の、由来として、「釈迦堂洲(しゃかどうす)」と呼ばれる場所や、釈迦堂川にまつわる河童の民話(馬場八郎左衛門の伝説)が紹介されていた。そして、釈迦堂川の源流エリアには『賽の河原』という場所があることも。

 まさか、ここが――


「どうされたんですか?」

 慶次郎がこの事態に肝を縮ませていると、今度はさっき商店にいた女性の声が聞こえた。あの心地よい声。

 ようやく助かったと思い、声の方を向くと、そこに立っていたのは深緑色の顔をした目鼻のない長い髪の女だった。


「河童だとぉ!?」


「お兄さん、お兄さん」

 冷や汗で顔を濡らし、うめき声をあげる慶次郎が目をこじ開けた。目の前には、シワだらけの婆さんが顔を覗かせていたものだから、慌てふためき悲鳴とともに慶次郎は椅子から転げ落ちた。

「ナンマイダ、ナンマイダ。河童さん、俺みたいなやつはうまくもなんともねえ。だから勘弁してくれえ」

 慶次郎は怯えるように拝んで頭を下げた。


「何言ってんだい、失礼しちゃうね。あんたがバスの時間になったら起こせと言うから起こしてやったのに」


「へ?」

 慶次郎は辺りを見回すと、そこは田んぼの中を切り拓くように延びるアスファルト道路の傍にあるバス停だった。太陽もまだ沈んでおらず、西陽が目に沁みた。

 ちょうど道の真ん中にはバスが停車している。


「なんだよ、夢かよ。とんだ夢オチだ。ばあちゃん、脅かすんじゃねえぜ」

 人騒がせな婆さんだと息をついて、手拭いで顔を拭いていると、バスがゆっくりと動き出した。


「あ、こいつぁいけねえ」

 すぐに立ち上がり、トランクを持つとバスを追いかけた。

「お〜い、待ってくれえ。俺も乗せてくれえ」


 跳ねるように走ってバスを追いかける慶次郎の姿を、車内の子供たちが指を差して笑っていた。

 しかし、バスは止まるどころか、どんどんスピードを上げて、慶次郎と距離が遠ざかってゆく。

 ついには諦めたのか、慶次郎は息を切らして、道路に倒れ込み大の字になった。

「ば、馬鹿野郎……止まりやがれ……」


 そのバスの行き先表示が「釈迦堂川」となっていたことに、慶次郎はまったくもって気づかなかったのだった。


 ***


「結局、歩いて駅まで行く羽目になりやがってよ。えらい目にあったってわけだ」

 慶次郎はガラスのコップに入った酒を一口飲んで喉を潤した。昨年、身に起きたことを、旅先でふらっと立ち寄った居酒屋で、店主に身振り手ぶりを交えて話してやったのだ。店主はその話に耳を傾けて、食い入るように聞いていた。


「へえ、しかし夢とはいえ世の中、不思議なことがございますね。旦那」

 店主はカウンターの向こうにいる慶次郎の空いたグラスに、並々と酒を注ぐと、感心したような口ぶりで言った。


「だろ?さすがの俺もおったまげちまったもんな」


「でも、旦那。そのバスには乗らなくてよかったのかもしれませんよ。だってそうでしょう。子供たちが乗っているなんて、おかしいじゃありませんか。もしかしたら、賽の河原へ向かうバスだったのかもしれませんよ」

 カウンターの上を台拭きで拭きながら、店主は続けて言う。


「お、おい。あまり怖いこと言うんじゃねえよ。そんなことあってたまるか。あれは駅に向かった普通のバスでい」

 苦笑いした慶次郎は注がれた酒を一気に流し込んだ。


「それはそうと、店主。ここはひとりでやってるのかい?もう長いのか?だいぶ年季が入った店だがよ」

 さびれた店を見回して、慶次郎は訊いた。


「いえ、女房とふたりでやっております。今は買い物へ出ておりまして、そろそろ帰ってくる頃かと」


「ほぅ、大したもんだ。俺と違って身を固めて、夫婦揃って切り盛りしてるなんてよ。えらいもんだぜ」

 それを聞いて、店主は待ってましたとばかりに、妻の話を始めた。そういえば、うちの女房は器量良しでしてね、あたくしにゃもったいないくらいなんです――と。美人に目がない慶次郎はその話を聞くや否や、興味が湧いてきたのだ。

 店主とあれこれ話していると、店の奥の勝手口が開いて、女性が入ってきた。

 あれがその女房か。どれどれ顔を拝ませてもらおうか、と慶次郎は店主の話を聞きながら、奥にいる女性を横目でじっと見た。しかし、珠のれんが邪魔で肝心の顔が見えない。


「あんたぁ、頼まれてたやつ。売ってなかったわよ」

 女性は珠のれんの向こうから店主に声をかける。店主はそんなことより、こっち来い。今お前のことを話していたんだよ、この旦那にさ。挨拶くらいしたらどうだ。

 そんなやり取りを、慶次郎は目の前に出された焼き鳥を食べながら聞いていた。鈴の鳴るような声じゃないか。早く顔を見せろ。このうだつの上がらなさそうな店主の嫁になったという女の顔を一目見たいのだ。


「はいはい、ちょっと待っておくれよ。お客さん、いらっしゃいませ」

 女は珠のれんをくぐると、慶次郎と顔を合わせた。


 慶次郎は手に持っていた焼き鳥の串を落とし、震えた。こ、こんなことって……だ、ダメだ。うまく呼吸ができねえ。

 顔面蒼白になった慶次郎が店主の方を向いた。


「へへ、旦那。どうです?美人でしょ」


 慶次郎はあまりの恐怖で声も出せずにひっくり返って、床に倒れてしまった。もうそれは口から泡を吹くほどだった。

 それもそのはず。店主の女房というのが、あの河原で見た緑色の顔で、目鼻がなく、耳元まで裂けている口でニタリと笑った女だったのだから。

 薄れゆく意識のなか、慶次郎の頭にぼんやり浮かんだのは深川に残してきた妹、莉緒ではなく、商店で出会った、あの凛とした女性の顔だった。

 店主は慶次郎のその様子を見て、自分の禿げ上がった頭をつるりと撫でた。

「おや、旦那。急にどうしたんですかい?ここからが面白いところなのに」


 (終)

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