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婚約破棄?では監査に提出します。三日後に嘘を公開して終わりです

作者: 夢見叶

「――婚約は破棄だ。横領犯を妻にする気はない」


 王宮の廊下に、よく通る声が響き渡った。


 昼下がりの人通りが多い時間帯だ。すれ違う貴族や文官たちが足を止め、好奇心に満ちた視線を向けてくる。

 その視線の中心で、私は目の前の男――婚約者であるエイモスを見上げた。


 整った顔立ちには軽蔑の色が浮かんでいる。隣には、派手なドレスを纏った令嬢が寄り添い、扇で口元を隠しながら私を嘲笑っていた。


 エイモスが掲げているのは、一枚の書類だ。宮廷書庫の管理台帳の写しだろう。


「書庫の維持費を水増しし、差額を着服していただろう? 証拠は挙がっている。君の署名が入った請求書が見つかったからな」


 周囲からざわめきが起こる。


「まさか、あの地味な記録係が?」

「魔力がないから金に目がくらんだのかしら」

「婚約者に泥を塗るなんて」


 侮蔑の言葉が、物理的な重さを持って降り注ぐようだった。

 私はゆっくりと瞬きをする。


 悔しさはある。喉の奥が焼けつくように熱い。

 けれど、それ以上に私の頭の中は冷え切っていた。職業病と言ってもいいかもしれない。感情よりも先に、事実と記録を整理しようとする思考が働くのだ。


 横領などしていない。署名は私の筆跡を真似た偽物だ。


 エイモスは最近、昇進の話と共に、より有力な貴族の娘との縁談を持ちかけられていた。私という魔力のない、家柄も低い婚約者が邪魔になったのだろう。

 だからといって、犯罪者に仕立て上げるなんて。


 私は手に持っていた鞄の留め金に触れた。

 この中には、私の無実を証明する『記録水晶』が入っている。


 今ここで出して、潔白を叫ぶこともできる。

 だが、私はそれをしなかった。


 今出せば、彼は「偽造だ」と言い張るだろう。あるいは、権力を使って水晶そのものを没収し、破壊するかもしれない。

 ここで騒いで感情的に否定しても、周囲は「見苦しい言い訳」としか受け取らない。


 勝つためには、手順が必要だ。


 私は顔を上げ、エイモスの目を真っ直ぐに見返した。


「……聞こえているのか? 罪を認めるなら、衛兵には突き出さないでやっていい。その代わり、今すぐここから消えてくれ」


 彼は慈悲深い男を演じている。隣の令嬢が「まあ、なんてお優しいの」と甘い声を上げた。


 私は鞄を強く握りしめ、一度だけ深く息を吸う。

 そして、静かに、けれどはっきりとした声で告げた。


「承知しました」


 エイモスの顔に、勝ち誇ったような笑みが広がる。

 だが、私の言葉はそこで終わらなかった。


「では、提出します。三日後の監査に」


 エイモスの眉がぴくりと動く。


「……は? 監査だと?」


「はい。ちょうど三日後は、四半期に一度の定期監査の日です。そこで貴方がおっしゃった横領の件について、正式に反証資料を提出し、身の潔白を証明させていただきます」


 私は淡々と続けた。


「私が横領犯だというなら、それは公的な監査で裁かれるべきです。婚約破棄の理由として受理されるのは、その後で構いませんよね?」


 周囲の空気が変わった。泣き崩れるか、罵倒するかと思っていた女が、妙に落ち着いた声で事務的な提案をしてきたからだ。

 エイモスが焦ったように声を荒らげる。


「なっ……何を言っている! 君の温情を思って、内々に済ませてやろうと――」


「いいえ、結構です。濡れ衣を着せられたまま消えるつもりはありません」


 私は一歩前へ出た。


「三日後、監査官と全職員の前ですべてを公開し、白黒をつけましょう。誰が嘘をついているのか、はっきりと」


 宣戦布告だった。


 エイモスの表情が引きつる。彼にとって、これは想定外の事態だ。適当に私を追い出し、被害者面をして新しい婚約者と結ばれるはずだったのだから。


「ふざけるな! そんなことが認められるとでも――」


 彼が私の腕を掴もうと手を伸ばした、その時だ。

 背後で、重い足音が響いた。


 廊下の温度が、一瞬で数度下がったような錯覚を覚える。

 騒めいていた野次馬たちが、波が引くように左右へ道を開けた。


「騒がしいな」


 低く、感情の読めない声。

 現れたのは、漆黒のローブを纏った長身の男だった。銀色の髪に、氷のような青い瞳。


 この国で知らぬ者はいない。筆頭魔導師、クライヴ様だ。

 王宮内でも最強の魔力を持ち、その冷徹さから『氷の魔導師』と恐れられている。


 エイモスが凍りついたように動きを止めた。


「ひ、筆頭魔導師閣下……」


 クライヴ様はエイモスを一瞥もしなかった。その視線は、真っ直ぐに私に向けられている。

 私は思わず息を呑んだ。何の用だろうか。まさか、騒ぎを起こした私を処罰しに来たのか。


 彼は私の前で立ち止まると、無表情のまま言った。


「監査局へ連絡しろ」


「え?」


「お前が言ったんだろう。監査に提出すると」


 彼は視線をわずかに動かし、エイモスを見た。それだけで、エイモスが青ざめて後ずさる。


「三日後の定期監査まで、本件に関わる全職員の職務権限を凍結する。および、関係者の王都からの出国を禁止する監査令を発行させる」


 その言葉に、私は目を見開いた。

 出国禁止。

 それは、エイモスが逃げる道を完全に塞ぐ一手だった。


「か、閣下! これはただの痴話喧嘩で……!」


 エイモスが言い募ろうとするが、クライヴ様は冷たく切り捨てた。


「横領疑惑は痴話喧嘩ではない。国庫に関わる重大事案だ。徹底的に調べる必要がある」


 正論だ。ぐうの音も出ないほどの正論で、彼はエイモスを黙らせた。

 そして再び私を見ると、短く命じた。


「来い」


「ど、どこへですか?」


「塔だ」


 魔導塔。筆頭魔導師の居城であり、関係者以外立ち入り禁止の聖域。


「お前は重要参考人だ。監査の日まで、私が身柄を管理する。外野に潰されないようにな」


 それは、命令というよりは宣言だった。

 私は鞄を抱きしめ直す。


 状況は動いた。私の想定よりもずっと大きく、劇的に。

 三日後。私は必ず勝つ。

 痛快に終わらせて、この泥沼から抜け出すのだ。


 私はクライヴ様の背中を追い、一度も振り返ることなくその場を後にした。


          ◇


 魔導塔の最上階に近い一室に通された時、私はそのあまりの殺風景さに驚いた。

 広い部屋には、大きな執務机と本棚、そしてシンプルな寝台があるだけだ。生活感というものがまるでなく、研ぎ澄まされた静寂だけが満ちている。


「ここを使え」


 クライヴ様は部屋の鍵を机の上に置いた。金属音がやけに大きく響く。


「……よろしいのですか? こんな、部外者の私が」


「外よりはマシだろう」


 彼は窓の方へ歩み寄り、分厚いカーテンを少しだけ開けた。そこからは王宮の中庭と、その向こうにある監査局の建物が見える。


「元婚約者の家は、早くも動き出しているようだ。お前の実家に圧力をかけ、証言を撤回させようとしているという報告が入った」


 私は唇を噛んだ。やっぱりだ。エイモスはそういう男だ。自分に都合が悪いとなれば、権力を使って力ずくでねじ伏せようとする。


「実家の両親は……」


「心配するな。私の名義で兵を回した。手出しはさせない」


 私は驚いて顔を上げた。


「え……あ、ありがとうございます。ですが、なぜそこまで?」


 私はただの記録係だ。魔力もなく、家柄も低い。筆頭魔導師である彼が、個人的に庇う理由なんてないはずだ。

 クライヴ様は振り返り、私を見下ろした。その瞳は相変わらず冷ややかだが、不思議と怖さは感じない。


「お前が『提出する』と言い切ったからだ」


「え?」


「泣いて縋るでもなく、喚き散らすでもなく、ただ手続きとして戦うと言った。その覚悟を、私は買った」


 淡々とした口調だった。けれど、その言葉は私の胸の奥にすとんと落ちた。

 同情されたわけではない。私の選択を、評価してくれたのだ。


「それに、私の管理下にある書庫で不正が行われたのなら、看過できない。徹底的に膿を出す」


 彼はそう付け加えると、扉の方へ向かった。


「食事は運ばせる。風呂も好きに使え。ただし、監査の日まで一歩もここから出るな」


「はい。……あの、クライヴ様」


 私は彼の背中に声をかけた。


「私は、やっていません。横領なんて」


 彼は足を止めず、背中越しに短く答えた。


「知っている」


 扉が閉まり、鍵がかかる音がした。

 部屋に残された私は、ようやく大きく息を吐き出した。


 膝が震えていたことに、今更気づく。

 怖かった。大広間でのあの視線、エイモスの嘲笑。本当は、泣き出してしまいたかった。

 でも、泣いたら負けだ。


 私は机に鞄を置き、慎重に留め金を外した。

 中から取り出したのは、掌サイズの透明な多面体――『記録水晶』だ。


 これは書庫の出入り口に設置されている防犯用のものではない。私が個人的に、父の形見として持っていた古い型のものだ。魔力がない私でも使えるよう、父が調整してくれた特別な水晶。

 私はこれを、自分の作業机の影に隠しておいたのだ。


 書庫荒らしが出るという噂があったから、用心のために。

 まさか、それが婚約者の裏切りを記録することになるなんて思いもしなかったけれど。


 水晶の中には、決定的な証拠が眠っている。

 今これを確認して安心したい気持ちを抑え、私は再び鞄に水晶を戻した。


 見てはいけない。一度再生してしまえば、魔力残滓が上書きされてしまう可能性がある。

 これは「原本」でなければならないのだ。

 三日後の監査まで、この証拠を死守する。それが私の戦いだ。


 翌日、私はクライヴ様の許可を得て、監査局の書記官を塔に呼んでもらった。

 やってきたのは、真面目を絵に描いたような年配の女性書記官だった。彼女は私の顔を見ても眉一つ動かさず、事務的な口調で言った。


「証拠品の事前封印手続きですね」


「はい。監査当日の改竄を疑われないよう、第三者の立ち会いのもとで封印をお願いします」


 私は鞄を差し出した。

 今、ここで中身を見せるわけにはいかない。敵に手の内を晒すことになるからだ。

 だから、鞄ごと封印する。


「中身の確認は監査官の前で行います。それまでは、誰も触れられないように」


 書記官は頷き、鞄の留め金部分に魔法の封蝋を垂らした。赤い蝋が固まり、監査局の紋章が刻印される。


「手続き完了です。この封蝋が破られていない限り、証拠能力は保証されます」


「ありがとうございます」


 これで第一段階はクリアだ。

 エイモスたちがどんなに工作しようとも、この鞄の中身には手出しできない。無理にこじ開ければ封蝋が砕け、証拠隠滅を図ったことが露見する。


 書記官が帰った後、私は窓の外を見下ろした。

 塔の入り口付近に、見覚えのある紋章をつけた馬車が停まっているのが見えた。エイモスの家のものだ。


 彼らは焦っている。

 私と接触しようと必死なのだ。きっと、金で解決しようとするか、あるいは脅して証拠を取り上げようとしているのだろう。


 だが、ここは魔導塔。

 クライヴ様の結界に守られた、絶対の安全圏。

 馬車から降りてきた男が、塔の衛兵に何かを喚き散らしているのが見えたが、衛兵は微動だにせず追い返していた。


 ざまあみろ、と小さく呟く。


 今まで散々、魔力がないからと私を見下し、都合よく利用してきた彼らが、今は手も足も出せずに門前払いされている。

 胸のすくような光景だった。


 けれど、まだ終わりではない。

 これはただの時間稼ぎ。

 本当の勝負は、明後日の監査だ。


 その夜、クライヴ様が夕食を持って部屋に現れた。

 使用人に任せればいいのに、彼はなぜか自分で運んでくる。


「外は騒がしいな」


 彼はパンとスープを机に置きながら言った。


「エイモス卿が、私との面会を求めて騒いでいたようですね」


「ああ。『彼女は精神的に不安定で、あることないこと吹き込んでいる』と言っていたぞ」


 私は苦笑した。相変わらずの言い草だ。


「信じますか?」


「まさか。精神的に不安定な人間が、監査局の正規手順で証拠保全を行ったりはしない」


 クライヴ様は椅子に座り、私に対面した。


「奴らは焦っている。出国禁止令が効いているようだ」


「出国……やはり、逃げるつもりだったんですか?」


「昇進と縁談が決まる前に、お前を処分してほとぼりが冷めるまで隣国の別荘にでも行くつもりだったのだろう。だが、監査令が出た以上、王都からは一歩も出られない」


 逃げ道は塞がれた。

 エイモスは今、袋小路の中で必死にもがいている。

 その姿を想像すると、怒りよりも哀れみを感じた。


 なぜ、普通に話し合えなかったのだろう。

 婚約を解消したいなら、そう言ってくれればよかった。私は縋り付いたりしなかったはずだ。

 それなのに、彼は私を犯罪者に仕立て上げ、自分の経歴に傷がつかないよう画策した。その浅はかさと卑怯さが、今は許せなかった。


「……悔しいか」


 不意に、クライヴ様が尋ねた。

 私は顔を上げた。彼はじっと私を見ている。


「いえ。悔しいというよりは……情けないです。あんな人のことを、少しでも信じていた自分が」


「見る目がなかったな」


 容赦のない言葉に、私は思わず笑ってしまった。


「はい、おっしゃる通りです。魔導書や古文書の真贋を見分けるのは得意なんですけど、人間の本性は記録に残っていませんから」


「これからは記録に残るさ」


 彼はコーヒーを一口飲み、静かに言った。


「今回の件で、奴の本性は公文書に刻まれる。二度と消えない汚点としてな」


 その言葉は、どんな慰めよりも力強く響いた。


 そうだ。私は記録係だ。

 事実を正確に残すことが仕事だ。

 エイモスの嘘を暴き、真実を記録する。それが、私なりの彼への、そして自分自身への決着なのだ。


「明日は監査だ。準備はいいか」


「はい。完璧です」


 私は鞄に視線を落とした。赤い封蝋は、まだ誰にも破られていない。


「期待している」


 クライヴ様はそれだけ言い残し、部屋を出て行った。

 私はベッドに入り、目を閉じた。

 不思議と不安はなかった。

 この塔に来てから、私は一度も悪夢を見ていない。

 冷徹と言われる彼の、不器用な優しさに守られているからかもしれない。


 そして、運命の朝が来た。

 監査局の大会議室には、重苦しい空気が漂っていた。


 長机の中央には三人の監査官が座り、その左右に書記官たちが控えている。

 正面右側の席には、私。

 左側の席には、エイモスとその父親、そして弁護士らしき男が座っていた。


 傍聴席には、噂を聞きつけた貴族たちや、書庫の関係者が詰めかけている。中にはあの日、エイモスの隣にいた令嬢の姿もあった。彼女は不安げに扇を揺らしている。


 クライヴ様は、監査官の後ろにある特別席に座っていた。立会人としての参加だ。その威圧感だけで、室内の空気が引き締まっている。


「これより、宮廷書庫における不正経理に関する臨時監査を行う」


 監査官長が宣言した。


「被告発人は、記録係リリアナ。告発内容は、公金横領および文書偽造である。告発人、エイモス卿。説明を」


 エイモスが立ち上がった。三日前より少しやつれているが、表情には自信を取り戻しているように見えた。何か策があるのだろうか。


「はい。先日も申し上げた通り、彼女は書庫の維持費を水増し請求し、その差額を懐に入れていました。これが証拠の請求書です」


 彼が提出したのは、私の筆跡で署名された数枚の書類だ。


「彼女は魔力がないため、昇進の見込みがないと常々不満を漏らしていました。金銭的な欲求が動機であることは明白です」


 もっともらしい嘘を並べ立てる。傍聴席から「やはりか」という囁きが漏れた。

 監査官長が私に向く。


「被告発人リリアナ。これに対する反論は?」


 私はゆっくりと立ち上がった。

 手元には、封印された鞄がある。


「全面的に否認します。その署名は偽造されたものです」


「証拠は?」


「ここに」


 私は鞄を持ち上げ、机の上に置いた。

 書記官が確認に来る。封蝋は無傷だ。


「封印、確認しました。異常ありません」


 私は鞄の留め金に手をかけた。パキリ、と乾いた音を立てて封蝋が割れる。

 三日間、決して開かなかった鞄が開く。


 中から取り出したのは、一つの記録水晶だ。

 それを見た瞬間、エイモスの顔色がさっと変わったのが分かった。


「それは……!」


「これは私が個人的に所有していた記録水晶です。私の作業机の影に設置していました。書庫内での出来事が、映像と音声で記録されています」


 会場がざわめく。


「で、出鱈目だ! そんなもの、いくらでも捏造できる!」


 エイモスが叫んだ。

 私は冷静に返す。


「この水晶は、映像に魔力署名が焼き付く旧式のものです。捏造すれば署名が乱れます。監査局の解析班なら、すぐに真贋が判定できるはずですが」


 監査官長が頷く。


「よろしい。直ちに再生し、解析せよ」


 技官が水晶を受け取り、再生装置にセットした。

 エイモスが立ち上がろうとするが、衛兵に制止される。


 壁に投影された魔導スクリーンに、映像が浮かび上がった。

 映し出されたのは、夜の書庫だ。


 誰もいないはずの時間帯。ランプの灯りを手に、一人の人物が入ってくる。

 エイモスだ。


 彼は周囲を警戒しながら、私の作業机に近づいてくる。

 そして、懐から数枚の書類を取り出し、私の机の上に置いた請求書の束に混ぜ込んだ。

 さらに、羽ペンを取り出し、私の筆跡を真似てサラサラと署名をしていく。


 その時、彼がいつもの癖で、ペン先を机でトントンと二回叩く仕草まで、はっきりと映っていた。

 映像の中で、彼はニヤリと笑い、独り言を呟いた。


『これでいい。魔力なしの女が小銭を稼ごうとした、哀れな事件の完成だ』


 音声までもが、クリアに再生された。

 会場は静まり返った。


 誰もが言葉を失い、スクリーンと、青ざめたエイモスを交互に見ている。

 言い逃れようのない、完璧な証拠だった。


「……これは」


 監査官長が低い声で言った。


「解析結果は?」


 技官が答える。


「魔力署名に乱れはありません。また、封印されていた期間の魔力干渉も皆無です。この映像は、間違いなく『原本』であり、改竄された形跡はありません」


 決定打だった。

 エイモスが膝から崩れ落ちる。


「ち、違う……これは、何かの間違いだ……罠だ……!」


 見苦しい言い訳が響くが、もはや誰も耳を貸さない。

 傍聴席からは、軽蔑と怒りの視線が彼に突き刺さっていた。


 隣にいた父親は顔を覆い、弁護士はさっさと書類を片付け始めている。

 あの令嬢はといえば、真っ赤な顔でエイモスを睨みつけ、扇で彼の手を払いのけていた。


 監査官長が木槌を叩いた。


「判決を言い渡す」


 厳粛な声が響く。


「被告発人リリアナの横領疑惑は、事実無根と認定する。対して、告発人エイモス卿による公文書偽造、および虚偽告発の罪は明白である」


 エイモスが顔を上げる。その目には絶望の色が浮かんでいた。


「よって、エイモス卿を直ちに拘束し、詳細な取り調べを行うものとする。また、現職の解任、およびリリアナ嬢への慰謝料として、相当額の賠償を命じる」


「ま、待ってください! 私は……!」


 衛兵たちが彼を取り囲む。


「連れて行け」


 クライヴ様の一声で、エイモスは引きずられるようにして連行されていった。


「リリアナ! 待ってくれ、話を聞いてくれ! 愛していたんだ、本当だ!」


 往生際の悪い叫び声が遠ざかっていく。

 私はそれを、ただ冷めた目で見送った。


 愛していた、なんて。

 最後まで嘘つきな人。


 扉が閉まり、彼の姿が見えなくなると、会場の空気がふっと緩んだ。

 監査官長が私に向かって頷く。


「リリアナ嬢。不愉快な思いをさせたな。君の潔白は証明された。名誉は回復されるだろう」


「ありがとうございます」


 私は深く頭を下げた。


 終わった。

 すべて、計画通りに。


 逃げ道を塞ぎ、公衆の面前で証拠を突きつけ、社会的に抹殺する。

 これ以上ないほどの完全勝利だった。


 胸のつかえが取れ、重荷が消えていくのを感じる。

 私は顔を上げた。

 視線の先、特別席に座るクライヴ様と目が合った。

 彼は微かに、本当に微かにだが、口元を緩めたように見えた。

 よくやった、と言われている気がした。


 監査終了後、私は再び魔導塔に戻ってきた。

 荷物をまとめるためだ。


 潔白が証明された以上、これ以上ここに厄介になる理由はない。元の寮に戻り、記録係としての仕事に復帰することになるだろう。


 部屋に入り、鞄に荷物を詰めながら、私は少しだけ寂しさを感じていた。

 たった三日間だったけれど、ここは静かで、居心地がよかった。


 誰にも邪魔されず、怯えることもなく過ごせた日々。

 そして何より、クライヴ様という絶対的な味方が近くにいるという安心感。

 それがなくなるのが、少し怖かった。


「帰るのか」


 不意に背後から声をかけられ、私はびくりと肩を震わせた。

 振り返ると、扉のところにクライヴ様が立っていた。


「あ……はい。おかげさまで、無事に終わりましたので。本当にお世話になりました」


 私は丁寧に頭を下げた。


「クライヴ様のおかげで勝てました。出国禁止令がなければ、彼は逃げていたかもしれません。本当に、感謝してもしきれません」


 彼は何も言わず、部屋に入ってきた。

 そして、私が詰めかけた鞄の上に手を置き、その動きを止めた。


「リリアナ」


 名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。彼が私の名を呼んだのは、これが初めてだったかもしれない。


「はい」


「元の寮に戻って、どうするつもりだ」


「え? 仕事に戻りますが……」


「元婚約者の家は没落するだろうが、逆恨みされる可能性はゼロではない。それに、今回の件で有名になりすぎた。周囲の好奇の目は避けられないぞ」


 それは……確かにそうだ。

 私は「悲劇のヒロイン」として、しばらくは噂の的になるだろう。同情もされるだろうが、妬みや陰口もなくならないはずだ。

 魔力のない私が、筆頭魔導師の助けを借りて勝ったのだから。


「それは、覚悟の上です。私は記録係ですから、どんな視線も記録として受け止めます」


 強がって見せると、彼はふっと息を吐いた。


「お前は強いな」


「強くはありません。ただ、意地っ張りなだけです」


「だが、無防備すぎる」


 彼は鞄から手を離し、代わりに私の手を取った。

 大きくて、温かい手だった。

 氷の魔導師なんて呼ばれているけれど、その体温は驚くほど心地いい。


「この部屋は、そのままにしてある」


「え?」


「家具も、鍵も、そのままだ。お前の生活圏は、ここに置く」


 彼の言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。


「そ、それって……まだここにいていい、ということですか?」


「『いていい』ではない。『いろ』と言っている」


 彼は私の目を真っ直ぐに見つめ、断言した。


「私は、お前のその冷静さと、強さを気に入っている。私の側には、そういう人間が必要だ」


 それは、求愛の言葉には聞こえなかったかもしれない。

 けれど、私にはどんな甘い言葉よりも響いた。


 必要とされている。

 守られる対象としてだけでなく、一人の人間として、彼に選ばれたのだ。


「監査までに壊れられると困るから守った。だが、今は違う」


 彼は少しだけ顔を近づけ、低い声で囁いた。


「これからも、お前を守りたい。私の目の届く範囲で」


 顔が熱くなるのが分かった。

 これは、住居確保という名の、最大の溺愛ではないだろうか。


 塔という絶対安全圏。そこで彼と共に生きる未来。

 それは、私が望んでも手に入らないと思っていた、最高の居場所だ。


「……家賃は、高いですか?」


 照れ隠しにそう聞くと、彼は目元を緩めて笑った。


「ああ。高いぞ。一生、私の傍にいることが条件だ」


 それは、契約だった。

 書類も署名もいらない、口約束だけの契約。

 でも、記録水晶に残るどんな証拠よりも、確かな真実。


 私は鞄を置いた。

 もう、どこへも行く必要はない。


「承知しました。……謹んで、お受けします」


 私が答えると、彼は満足げに頷き、私の手を強く握り返した。


 窓の外では、監査局の灯りが小さく揺れている。

 けれど、私の場所はもう揺れない。


 鍵の音がして、扉が閉まる。

 私は塔の内側で、彼に抱き寄せられながら、静かな勝利と甘い安堵に身を委ねた。

 これから始まる新しい記録は、きっと幸せなものになる。そう確信して。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!


無実を証明して幸せを掴んだリリアナと、彼女を守り抜いたクライヴ様。二人の物語を楽しんでいただけたなら幸いです。

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