第十一話 今は敵艦にただ体当たり
「……そこで連合艦隊より申し入れがあり、陸軍航空は天一号作戦への専心が不足しており今後更なる推進を、となった。もちろん我々陸軍も、不足しているとは心外であるとは抗議したがね」
小林少佐は松林の中の”作戦室”で、伊吹と本田、そして特攻隊である第二十八振武隊の隊長、竹内中尉を前に、第五航空艦隊司令部での打ち合わせの内容を説明していた。伊吹が訝しげに言った。
「空母機動部隊ですか」
本来、空母機動部隊の撃滅は海軍の担当であり、陸軍は沖縄周辺の輸送船や艦砲射撃を行う水上艦艇が目標とされていた。
「そうだ。残念ながら、沖縄本島の飛行場が急速に整備されてきた。敵が空母を引っ込めても地上の航空戦力だけで持ちこたえられてしまう。それでは機動部隊を撃滅する機会を逸する。今が勝負、というのが海軍の見立てだ。私もそこは同意見だ」
小林少佐は竹内中尉に向き直った。
「君の第二十八振武隊は一式戦装備で航続距離も長い精鋭部隊だ。そこで君たちのうちの四名には沖縄周辺の艦艇ではなく、敵機動部隊の攻撃を行ってもらいたい。問題は洋上航法だが、これは鹿屋にいる海軍の攻撃隊に敵空母まで誘導してもらえるから大丈夫だろう」
第二十八振武隊隊長の、竹内中尉は困惑した表情で答えた。
「お言葉ですが参謀殿、我々はここまで一丸となって訓練を積んできました。最期は皆一緒の覚悟です。目標は同じでお願いしたいと考えます。それに自分以外は小飛十五期の伍長ばかりで、二隊に分ければどちらかの指揮官がいなくなります」
元々いた副隊長の少尉は、指宿への前進途中に事故死していた。
「君たちの気持ちはわかるが、全員が空母機動部隊に向かうと沖縄近海にいる艦隊への攻撃戦力が不足するのだ」
小林少佐は伊吹に向き直って続けた。
「ところで第六航空軍では昨今の状況を鑑み、戦果確認を徹底することにした。君たちを呼んだのは他でもない、空母機動部隊攻撃に際して、戦果確認機を一機、出してもらいたい。これは直掩機を兼ねることになる」
伊吹と本田は顔を見合わせた。伊吹がためらいながら口を開いた。
「洋上航法の訓練を行っていないのは我々も同じですが」
攻撃に向かう往路は海軍機についていけばよいだろうが問題は帰りだ。特攻隊となる振武隊に帰りの心配は無用だったが——
「問題ない。明日は桜花が出撃する」
「桜花とは……」
「一式陸攻に懸吊するロケット特攻機だ。一撃で戦艦をも撃沈できる強力な機体らしい。桜花を切り離した後、母機となる一式陸攻は帰還するから、それに随伴して帰れば良い」
”桜花”は初耳だったが、一式陸攻はもちろん二人とも知っていた。陸軍でいう重爆撃機相当の大型機だ。つまり、敵の戦闘機に捕まったら、ひとたまりもない。陸攻自体は特攻でないとは言え、帰還は難しいのではないか。
本田は下を向いて手を上げた。
「自分が行きます」
「ありがとう本田曹長、頼りにしているぞ」
小林少佐は満面の笑顔で竹内中尉に言った。
「これで指揮官も決まったな。本田曹長なら立派に指揮できるだろう」
打ち合わせが終わり、伊吹と本田は”作戦室”を出ると、松林の中を無言のままピストまで歩いていった。ふと、伊吹が思い出したように口を開いた。
「そういえばお前の営外居住の許可が出たぞ」
操縦者に限らず、将校は基地の外に居住する。本田たち下士官や兵は基地内で生活するが、曹長(下士官の最上位)になると将校と同じように基地の外で生活することもできた。指宿北飛行場にいる、地上部隊も含めた将校達は近隣の旅館を宿舎としていた。
「別に今の兵舎で構わないですよ。みんなあそこで寝泊まりしてるんですし」
「いいじゃないか。他の連中と違って、お前はここにきてから出ずっぱりだ。こんなご時世だ、一人一部屋使えるそうだし、少しは休め。」
指宿に進出して以来二週間、桜隊は主に奄美大島での制空戦闘、九州南部を攻撃するB29の迎撃戦闘、そして本田は夜間の飛行場銃撃と、多い時には一日二回の出撃もある有様だった。
「休めって言ったって、出番が減るわけじゃないでしょう」
本田は小林少佐の丸顔を思い出して言った。小林少佐は参謀にしては相当に人当たりが良い方だが、どうしても元々航空兵科ではない参謀にあれこれ指示されるのは癇に障る。
「すまんな。お前以外にできる奴がいない」
本田は頭を振って笑った。
「いえ、真面目に返されても困るんですが」
「今の旅館が手狭になってきたから経理の方でもう一つ手配したんだ。ちょうどいいだろう、俺もそっちに移るから。お前も一緒に来い」
本田は肩をすくめた。
「そうですね。伊吹さんが一人で寂しいっていうなら、ついて行ってもいいですよ」
「空中勤務者は俺一人だったからな。そうしてくれると助かる」
伊吹は苦笑いで返した。
伊吹以外の桜隊唯一の将校だった村瀬少尉は、最初の出撃で未帰還になった。他にも三名の操縦者が戦死もしくは未帰還になり、十二人で赤羽から進出した桜隊の操縦者は残り八名になっていた。
「とはいえ、さすがに今回ばかりは戻って来れなさそうな気もします」
本田は肩をすくめた。
特攻でないとはいえ鈍重な一式陸攻が、雲霞のようなグラマンの攻撃を逃れて帰還できるとは到底思えなかった。そうすると本田も海の藻屑と化す可能性も高い。であれば——と、本田は思った。
「帰ってこい。絶対につられて突っ込むなよ、それに、ああは言ったが、洋上航法もニューギニアで散々やったじゃないか。絶対に戻ってこい」
本田はもう一度肩をすくめた。
「まあ、がんばります」
伊吹達がピストについてしばらくすると、特攻隊員数人がやってきた。その場にいた百九十一戦隊の操縦者全員が立ち上がり敬礼した。まだ少年のような幼さを残した一人の伍長が口を開いた。
「第二十八振武隊の坂戸伍長以下四名であります。明日の出撃では本田曹長殿に指揮いただけると聞いて、ご挨拶に伺いました」
四名はそれぞれに名乗った。竹内中尉の言った通り、全員が小飛十五期の伍長、おそらく一七、八の少年たちだ。
「わざわざご苦労、俺は伊吹大尉、こっちが本田曹長で小飛十期、お前たちの先輩だ。本田はラバウル帰りの古強者で、むこうでは”技の本田”で鳴らした撃墜王だ、三十機撃墜している。安心してくれ」
少年たちの顔が、明るくなったように見えた。
本田の声は、かすかに震えていた。
「本田史郎だ、よろしく。明日は全力でやらせてもらう。細かい打ち合わせは、この後そっちの兵舎でやろう」
「よろしくお願いします!」
四人はあらためて敬礼した。
◆◆
翌朝早く、伊吹の率いる徳之島上空の制空任務七機が滑走路から舞い上がっていくのを、本田は整備員や他の地上勤務者たちと見送った。五式戦闘機の姿が空の彼方に消えていくと、基地に静寂が戻る。そのあとは海軍の偵察機が敵機動部隊を発見するまで、本田たちは待機だった。来なければいい、ふと本田は思った。
二時間後、通信室から出撃命令が伝えられた。
すっかり日の上った指宿北飛行場のピスト前で、宮城遥拝が行われた。暖機運転の轟音が響く中、全員が皇居のある北東の方角に向かって最敬礼を捧げる。
続けて小林少佐が集まった全員に作戦命令を伝達した。
「目標は喜界島南方五十浬を北上中の、空母二隻を中心とする敵機動部隊である。離陸後は鹿屋まで向かい、海軍の攻撃隊と合流後、進撃する。必ず空母を狙うこと。戦果確認機は攻撃完了後、速やかに無線で報告を行うこと。想定外ではあるが、もし戦果確認機が突入する場合には連続長音を発すること。以上」
ピスト前には白布のかけられたテーブルが置かれ、別盃の準備がされていた。一列に並んだ特攻隊員四名の隣に、本田も並んで立つ。小林少佐と基地司令が、一人ずつ盃に酒を注いでいく。
「成功を祈る」
基地司令の言葉と共に、全員が盃を口に運んだ。本田は思わずむせそうになった。水だと思って飲んだ盃の中身は本物の酒だった。本田は盃をテーブルに置くと、隣に並ぶ少年たちを見た。坂戸伍長をはじめ、四人とも緊張した面持ちでじっと彼を見つめている。十七、八歳の彼らの顔は、紅潮していた。
本田の胸に、割り切れない思いが込み上げた。こんな少年達を十死零生の死地に送り出す、自分が率いて。そして自分は——
「手筈は昨日打ち合わせた通りだ。お前達は俺が全力で守り、戦果は必ず見届け、報告する。にわか仕立ての隊長ですまないが、ついてきてくれ」
本田の言葉に、四人は力強くうなずいた。
「では行こう」
小林少佐の掛け声で、五人はそれぞれの乗機に向かって走り出した。
本田の五式戦闘機と第二十八振武隊の隼四機、計五機は指宿を離陸し、鹿屋へと向かった。十分足らずで鹿屋上空に到着すると、爆装した零戦四機が旋回しながら待機していた。
本田は一式陸攻を探したが、どこにも見当たらない。零戦は胴体下に大型爆弾を抱えており、どう見てもすべて特攻機だ。連絡の間違いか、編成が変わったのか。
「まあいいか」
どっちにしても敵機動部隊には向かうのだろう。こうなったら帰りの心配は無用だ。
本田は苦笑いで頭を振ると、先頭の零戦に近づき、天蓋を開いて手を上げた。本田を確認した零戦の搭乗員も手を上げ、翼を振ると南に進路を取った。本田たち五機はその少し後方を、編隊を組んでついていく。
洋上に出てしばらく進むと、零戦隊は二手に分かれた。二機が高度二百メートルを維持し、おそらくレーダーからの捕捉を避けるためだろう、残る二機は高度五十メートルを進んでいく。上を進む零戦の一機が本田機に近づき、低高度を進むよう促した。本田は両翼の落下タンクを示して自分が特攻機ではないことを伝えると、振武隊の四機に近づき彼らには低高度を進むよう指示した。
一時間ほど、九機は前方を凝視し、周囲を警戒しながら飛行を続けた。そして——
艦影が見えた。
本田の横を飛ぶ零戦の一機が激しく翼を振り、進路を修正する。
本田はゴーグルについたフリップ式のシールドを下ろし、太陽の方角を注意深く見つめたその時、太陽の光の中に敵編隊を発見した。
「敵機!上から来る!」
本田は無線で叫んだが、無線機を外している特攻機には伝わらない。翼を激しく振って零戦に警告を送るが、前方の敵艦を凝視している搭乗員は気づかない。本田は両翼の機関砲を短く射撃し、急降下に移った。
少し前方を進む六機の特攻機の前方に機銃弾を放ちつつ翼を振り、彼らの進路を横切る。そのまま反転して急上昇する本田の眼前に、太陽の中から次々とF6Fヘルキャットの群れが現れた。
本田の脳裏に、昨夜の坂戸たちの顔がよぎった。故郷の話をする時の彼らの笑顔、家族への最後の手紙を書いている時の真剣な横顔——
犬死にはさせない、せめて——差し違えてでも。
本田は全ての機関砲を撃ちまくりながら、ヘルキャットの群れに突入していった。




