ジャンヌダルクちゃんとDIY参政党
参政党? 「日本人ファースト参政党」でしょ? 滑稽よね。
「日本人ファースト」の主旨は「グローバリズム」との戦いだとは言うけど、実態は外国人問題への批判が民衆世論に刺さったにすぎないじゃない。
低価格な労働力を欲する財界の要求が、政策決定に横槍を挟み移民労働力が地域文化を破壊していく、それは米欧ではとうに顕在化しているけれど、格差拡大による中間層の没落でついに日本人も悲鳴を上げたみたいね。ひいては、戦後的対米関係の実態が事実上の植民地支配にすぎない現実にも目を開いて、民族浄化を前にして生存欲求が湧いてきたのね。
でもどうするの? 広島を予見できなかったから「大東亜戦争」を戦えたんじゃなくって? 何と戦っているか少しも理解できていないから、「グローバリズム」と戦って勝利しうるだなんて思っているんでしょう?w
いいわよね、「グローバリスト」という悪者がこの世のどこかに存在して、それをやっつければ幸せな世界が実現するだなんて世界観。子供向けの絵本に描かれたお花畑みたいじゃない。
でも彼らは財政出動つまり国債発行による減税を訴える一方で、社会保障費の抑制に真剣に切り込むことはできない。敵は本当に権力者だけなのかしら? 「正義」なるものの敵は、近代的消費社会に依存しきった一般国民全体ではなくって?
つまりはマルクス主義ほどの快感はないのよ。マルクス主義にどっぷり浸かった形でしか、人々はもう議会政治を戦うことなどできないんだわ。
マルクス主義、つまり「邪悪な権力vs善良な民衆」という概念モデル。陰謀論に酔えばどんな愚者でも世界一賢くなったような気分になって、他人を非難した分だけ自分が偉くなった喜びに満たされるってわけでしょう? 現実生活が破綻していく貧困国日本の民衆にとって、これ以上に美味しい麻薬ってないのよ。
さらには、邪悪な権力を善良な民衆が打倒する正義の勝利の反復によって人間社会が進歩しつづけてきたという世界観。近代というファンタジー。
すなわち、フランス革命に代表される市民革命こそがそもそも自由主義市場と資本家権力の拡大にすぎなかったわけだけど、大衆の心の弱さはその歴史を個人主義への進歩だと捉える誘惑から逃れ出ることはできない。
つまり、利己的な自己を今さら恥じるなんてことはできず、どんなに没落したとしても民衆の感情は必ず損得の利権構造に飲み込まれるものだから、「グローバリズム」への勝利だなんて絵に描いた餅ってわけ。
仮に参政党が与党になって国債発行しまくって国内需要をブーストしたところでどうするの? それこそ「グローバリスト」つまり国際的な超富裕層の悪意に敵視されて売り浴びせを受け、引き起こされたハイパーインフレによって資産を失った庶民を社会主義化した経済政策で下支えしながら、あらゆる経済制裁のなかで油にも飢えて北朝鮮みたく専制体制に転落してく以外になくなるじゃない。
なぜそれを、「経済政策」だなんて呼べるのかしら。かの民族、かの宗派が、古来から借金と契約によってこそ人も国も支配してきた歴史すら知らないのかもしれないわね。
でも、北朝鮮やイラン、米英メディアによって悪魔化された東側共産主義勢力や中東イスラム教過激派勢力について、戦後植民地日本がその悪魔化に骨の髄まで加担してきた事実まで反省する覚悟なんてあるはずもないでしょう? 単に目先の外国人問題に震えて、敵はどこかにいるっていう自己肯定感を取り戻したいだけなのだから。
「日本人ファースト」って、マルクス主義に堕落した反グローバリズムなんだわ。
ドイツでは政党AfDが台頭して違法化あるいは暗殺までされていると言うし、イタリアではジョルジャ・メローニ首相が政党「イタリアの同胞」を率いて「グローバリズム」と戦ってる。
でも、植民地日本の民衆に、「第二次世界大戦が正義の勝利であった」というナラティブに本気で挑戦する気概なんて起こらないわ。だって学校の教科書にまでそう書かされてるんだから、三国同盟が実は反グローバリズムだっただなんて暴露したら、現代の戦いもまた結局は広島に終わると予見させてしまうでしょう?
消費社会に溺れて、中間層の防衛は企図しても貧困層の救済まで考えない民衆が、正義なんてもののために命まで賭すわけはないのよ。
イエスや私は宗教的に言えば預言者だけど、哲学的に言えば目撃者よね。人間が真実つまり欺瞞なき正義を目撃するのは、世俗的な幸福追求への利害を超越して初めて可能なことだわ。
預言者なんて実は珍しくもないのよ。パレスチナのガザ地区に代表されるこの世の地獄、世界の最も周縁な部分では日常的に量産されてるわ。
単に、真実はそれが大衆によって必要とされるまで、隠蔽されつづけるってだけの話なのよ。そして必要がなくなれば、再び隠蔽され、預言者だった者達はゴミ捨て場で焼かれ、死んでくんだわ。
なぜだかわかる? 人の神経中枢における理性という機能は、肉体の苦楽について意味を配置するものだからよ。
つまり、目先の苦労が長期的な利益に適っているなら、人間は意欲的にそれを行えるように知的に作られている。
私的幸福が将来にわたって期待できない絶望のなかでも、人は愛や神によってその日々を意味づけ、個人的な痛みを社会のためのエネルギーへと変換することができるの。
例えばキリスト教のモチーフは父や兄弟などと露骨に疑似家族的でしょう? 精神医学的に言えばイマジナリーフレンドとも言えるし、世俗的利害に関する心理的解離と見なすこともできるわ。
自己の生に何ら快を見い出しえないほどの精神的な傷を心に背負ったとき、人は天下のために死ぬことを意味としてその後の生を歩むことになる。
宗教的に言ってみるなら、我欲を超越して博愛に臨み、人が生きたまま神になるということ。
そして暗雲の外側に頭を出すなら、知ることになるわ。愛と誠実だけがこの世界の権威であって、人の世に謳われるすべての権威は欲によって道を迷った幻にすぎないということに。
そして同時に、我欲を捨てずして真実を目撃しうる道など人間には一つもありえないと知らされることになる。
テクノロジーの発展は必然的に人類における力の分布の格差を拡大しつづけ、支配と搾取という加害は必ず自己正当化という正義の粉飾を洗脳として伴うことになる。
参政党なんかは主流報道をあげつらって「オールドメディア」などと嘲笑うけど、何が「オールド」なのかしら。有利な立場を利用してより不利な者に自己正当化を押しつけることは、人間が人間という動物である以上は永遠ではなくって?
つまりもし、AIが出現する時代にディストピア的な洗脳と搾取の社会構造を拒絶したいと欲するなら、超富裕層や特権層を「グローバリスト」と非難して何かわかったつもりになるんじゃ余りにも不十分であって、少なくとも市民革命や啓蒙思想、さらに言えばアブラハムの宗教や神のもとの平等が何だったのか、解体してみせる知的実力が備わってなければならない。
参政党なんかはグローバリズムを「全体主義」だと非難するけど、全体主義やファシズムや封建体制がなぜ絶対悪として悪魔化されてきたか、歴史観における「進歩」の粉飾をすべて分解していかなきゃならない。
そうすると実は、メソポタミア文明まで遡ったって実は「進歩」なんて一つもないのよ。「退歩」があるだけ。
賢く善良な人々が勝利してきたのではなく、技術発展によって支配と搾取が進展する構造変化のなかではむしろサイコパシーと共感的知性の欠落こそが報われる適者生存状況があったというだけ。
人間って、生物のなかで優れていたから文明を築いたわけじゃなくって、テクノロジーが力を自己増殖させるために最も都合の良い家畜だったにすぎないんだわ。
人類の文明はそもそも失敗で、実は人間という生き物が失敗作。
神になることができない人間達がそんな現実を直視することなんてできないのに、「グローバリズム」と戦っているつもりだなんて、笑っちゃうよね。
滑稽よ。