夏祭りのあの匂い
夏休みの思い出といえば、真っ先に浮かぶのが「夏祭り」ではないでしょうか。
日が暮れてもまだ蒸し暑い夜、いつもは静かな自分のまちが、その夜だけはきらびやかに変わります。
子どもにとっては(大人にもかな)あの空気感こそが特別でした。
普段は夜に出歩くことなんて許されないのに、夏祭りの日だけは家族と一緒に外に出られる。暗い夜道を歩くだけで胸が高鳴り、まるで自分が大人になったような気持ちになれる。あのワクワク感は、今でも忘れられないと思います。
夏祭りの情緒は、五感すべてに焼き付いています。
夜空を彩る花火の音は、お腹の底まで響き、視界いっぱいに広がる光の花は一瞬で消えていく。その儚さに、子どもながら「永遠に続いてほしい」と思ったことを覚えています。
そして花火の帰りは父親が運転する車の助手席で安心して眠る。最高です。なぜなら、自分が車を運転するようになると車の怖さを知って、他人の運転中に眠ることはできなくなってしまったからですね。
また、夏祭りは、友達のいつもと違う一面を見せてくれる場所でもありました。
学校で毎日顔を合わせている同級生が、浴衣を着て髪をまとめているだけで、なんだか胸がドキドキしてしまう。これは男の子なら“あるある”ではないでしょうか。
普段は部活でジャージ姿だった子、教室でなんとなく話していた子が、その夜だけは特別に輝いて見える。小さな会話すらぎこちなくなってしまう、あの甘酸っぱい気持ちは、きっと多くの人が心に残していると思います。
夏祭りといえば屋台も外せませんよね!
金魚すくいやヨーヨー釣り、射的に型抜き。子どもにとってはどれも宝物のように見えました。
ちなみにあの頃は「カメすくい」なんてものもあって、僕の家にはそこで手に入れたミドリガメがいまだに生きています。もう25年以上も前のことなのに、いまでも家族に大切に育てられていて、元気に生きています。
ただ、今ではミドリガメは外来種として扱われるようになり、祭りの屋台であの小さくて可愛らしいカメの姿を見ることはできなくなりました。時代の流れとして仕方のないことですが、あの頃の光景がもう戻らないと思うと、やっぱり少し寂しい気持ちになります。
大人になると、夏祭りは「人混みで疲れる」とか「屋台は値段が高い」とか、つい現実的に見てしまいがちです。
でも子どもの頃の心の輝きは、大人の目にはもう戻ってきません。だからこそ、あの夜の花火や屋台の光景は、今思えば宝物のように大切な記憶だと思います。
同級生の浴衣姿に胸をときめかせた瞬間、手に入れた小さなカメとの出会い、花火の一瞬の光。それらすべてが、今の自分の感性や記憶を形づくっているのだと感じます。
◆ まとめ――
夏祭りは、その時の自分とその一夜限りの非日常です。花火のように一瞬で消えてしまう儚さがありながら、その記憶は子どもの心に一生残ります。
あの夜に見た浴衣姿の友達の笑顔も、金魚やカメをすくった小さな手の感覚も、夜空に咲いた花火の音も、全部が僕たちにとっての時間を閉じ込めた宝箱のようなものです。
だからこそ僕は、子どもの頃の夏祭りを思い出すたびに、なんとも言えない気持ちになります。
とかなんとか言いながら、最近は外に出るのが億劫で行けてないんですけどね。
このエッセイは、この僕がすでにこのアカウントで執筆、投稿した【30分読破シリーズ】の1作品を書いていて思ったことを書き綴ったものです。
作品名は
『【30分読破シリーズ⑦】月と太陽が重なる夏祭り 』
です。ぜひ、合わせてこちらもお読みください!