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遊牧民たちは、たった一日で音をあげた少年を軽蔑していたが、別れ際にたくさんの荷物を持たせてくれた。
族長いわく、
「お前さんは見どころの無い軟弱者だったが、そういう奴を身一つで放り出したとあっちゃあ、それは俺たちの名折れだ。餞別はくれてやる。それでも野垂れ死ぬんなら、そいつはお前さんの責任だ。せいぜい勝手に生き延びろ、もう助けんぞ」
とのことだった。
受け取った物資は、干肉、羊の乳を固めたもの、小さな天幕、毛皮など多岐にわたり、じゅうぶんな親切だった。イルハムはかれらに深く頭を下げ、また一人歩き出した。
そして、夜が訪れた。百角族から夜営の仕方を教わっていたイルハムは、今度こそオアシスに一夜の寝床を作ることに成功した。
天幕が寒風を遮り、毛布が堅い大地から肌を守った。遠くで草原が風にそよぐのを子守唄にして、少年は穏やかに眠りについた。
目が覚めたのは深夜だった。天幕の外に気配を感じたのだ。
幾つかの足音が周りを取り囲んでいる。
恐怖で心臓が早鐘をついた。やがて、その何者かが、天幕をめくって中に入ってきた。三人組だった。かれらは、中の荷物を勝手に漁り、食料を持ち出そうとした。イルハムは必死に寝たふりをした。
しかし、出ていこうとした盗人が、イルハムの足に蹴つまづいた。「いっ」声が漏れた。盗人は一斉に振り向いた。
「こいつ」
「おい何して」
「起きてやがる」
かれらは腰に手を添えた。全員、剣を提げていた。
イルハムは叫んだ。
「な、何もしない! 持ってっていいから! 殺さないで!」
盗人たちは顔を見合わせ、イルハムを縄でぐるぐるに縛ると、揃って天幕に入ってきて、我が物顔で座り込んだ。
「なら寄せてもらうぜ。腹減って、疲れてたんでな」
三人の男たちは盗みを生業としていた。盗賊だったのだ。かれらは、イルハムが百角族からもらった食料を奪い、ガツガツと食べた。
全員が髭面で、痩せていて、垢じみていた。頬や首には塩がふいていて、長く体を洗っていないことが分かった。不思議なことに、みな胸には金属製の立派な鎧をつけていて、腰の剣もきちんと専用の鞘と帯がついていた。
「兵隊……?」
思わず呟いた。盗賊は、意外にも怒鳴ったりせず、「おう」と唸った。かれらは聞き手を待ち望んでいたかのように、おのずと身の上話を始めた。
「俺たちゃ、もともとは兵士だったんだ。傭兵じゃない、ちゃんとした正規兵だぜ。下っ端だったけどよ」
「こんな砂漠じゃねえ、海の向こうのでっかい国のな。戦争に来たんだ。拝み屋どもをぶっ倒すために」
「知ってんだろ、預言者がどうとか抜かす神官どもだ。こっちじゃ宜しくやってるようだが、俺らの国じゃ邪魔者でしかない」
「だが、戦争はあいつらの方が強かった。上官は、負けてるなんて間違っても言わなかったが、正直バレバレだったよな」
「奴らがおかしな鉄のからくりなんか使うせいだ。砲の威力も段違いだった。ぼろ敗けだ」
「退却の時、下っ端は船に乗せてもらえなかったんだ。大急ぎでよ、お偉方が先に逃げて、俺たちはついに置き去りよ」
「敵国の兵士だ。神官どもが幅きかせてる町で、暮らしていけるわけがねえ。俺たちにゃ腕っぷししか残らなかった」
「奪って、盗んで、食うしかねえよ。こんな何にもねえ砂漠の国じゃ」
「どうでもいいんだ、俺たちは、もう。帰る家もねえ、守るものもねえ、なら誰の言うことも聞かねえ、好きにやるしかねえ」
イルハムは静かにそれを聞いていた。かれらが話し終えたのち、少年は小さくうなずいた。
「大変だったんだ」
「おう。大変さ」
「でも、今は自由だ」
「そりゃあまあ、そうだな」
「俺は町に入れるよ」
何を言ってるんだこいつ、という目で、盗賊たちはイルハムを見た。少年は真剣だった。これは賭けだ。
「俺は町に入れる、敵国の兵士じゃないから。だからたとえば、金を盗んで手に入れた後、町に入って、必要なものを買ってくることができる。あんたたちが俺を仲間に入れるなら」
「……どういう意味だ」
盗賊は身を乗り出した。いける、と思った。かれらは剣を持っていてイルハムをいつでも殺せるが、それ以上に困窮していた。そこに付け入る。
意を決して、イルハムははっきりと言った。
「俺を仲間に入れてくれ。あんたたちには出来ないことが、俺には出来る。それに、俺は……あんたたちしか持っていない自由を手に入れたくて、ここまでずっと逃げてきたんだ」
イルハムは盗賊たちと旅立った。
途中で、獣か何かに襲われたのか、行商人の死体が落ちていた。一行はこれ幸いと荷物を漁り、食料や衣服を得た。夜はその鹵獲品を用いて快適に過ごした。
もしかすると、あの行商人を殺したのはイルハムたちということにされるかも知れない。しかし、そんな体面を気にする必要はもう無かった。
盗賊たちは、いくつかの変わった道具を持っていた。
たとえば、鋼の筒の火打ち石。小さな引き金が付いていて、カチリと引くだけで青い炎がまっすぐに伸びた。それを使えば、生木に火を灯すことさえ容易かった。
また、たとえば白色ランタン。火種がなくても、横の突起を押し込むだけで、眩しすぎるほど光るのだ。昼間に太陽の光をよく当てておけば、夜もじゅうぶん使えるのだと、盗賊は得意気に笑った。光を吸い込んで貯めておく道具など、イルハムは生まれて初めて見た。
「こいつらは、ぜんぶ魔道具だ」
死体から奪った干魚を噛みながら、盗賊の親分が言った。その首元には半透明の奇妙な札が提げてあり、かれはそれを指でつまんで弾いた。
「これもな。拝み屋との戦争の時に拾ったんだ。激しい戦いがあって……敵が退却した跡の駐屯地に落ちていた。俺たちは、これがあったから、ここまでぎりぎり生き延びることができた。皮肉なもんだよ。あいつらがいなけりゃ、こんな、町の名前ひとつ知らねえような砂漠なんかに来る必要無かったってのに、あいつらの忘れ物のお陰で、まだ死なずにいる。ハハハ……クソッ!」
親分は齧りかけの干魚を地面に吐き捨て、憎らしげに踏みにじった。
他の盗賊たちは、親分の癇癪を見ても、慰めたり諌めたりしなかった。ただ各々が食事を済ませ、さっさと眠りについた。その居心地のよさを噛み締め、イルハムも寝た。
翌日、遠見のできる一人が、遠くにおかしなものが見えると言い出した。
「おかしなものってのは何だ。はっきり言え、この野郎。お前の頭のことか?」
「笑うなよ。城だ。城壁があって、その向こうにばかでかい建物がある。ぴかぴか光って、ありゃあ、城だ」
「ガッハッハ! こいつ狂いやがった! よし、そんなら城にかちこむぞ。全軍、突撃!」
半刻後、辿り着いた場所にあったのは、確かに城としか言いようがなかったが、王宮などとは似ても似つかない代物であった。
見たこともないほど長大な白い壁に包まれて、窓の無いのっぺりとした四角い建物があった。天を貫くほどの鋼の櫓が、敷地内に無数に立ち並び、それらは何故か、太い黒色の線のようなもので網のように連結していた。
愕然とそれを見上げていると、見たことのない白衣の集団が現れ、イルハムらを歓迎した。
「いらっしゃいませ。私どもは、皆様のご到着を心よりお待ちしておりました」
「待ってただと? 俺たちが今日ここに来ることが分かってたってのかよ」
「いつかはおいでくださるはずと願い、毎日、ここでこうしてお待ちしておりました。よくぞご無事で」
白衣の者たちは、汚れひとつない清潔な装いで、男も女も化粧をしていたが、その礼装を惜しみもせず、砂上に跪いた。あまりにへりくだった態度に、さすがの盗賊たちもたじろいだ。
かれらはここの門番だと名乗った。代表者と思われる先頭の男が、慇懃な態度で交渉を持ちかけてきた。
「私どもの目的は、皆様がお持ちの魔道具でございます。それらは便利かも知れませんが、本来は大変危険な物品です。人々の安寧を守るために、私どもは魔道具を回収し管理しているのです」
「だから全部返せってわけか。そうはいかねえ、これは俺たちが拾ったんだ。だから俺たちのもんだ」
「無論、ただでとは申しません。対価は用意してございます」
「へっ。今さら何をくれるってんだよ」
「皆様が望まれるもの、すべてを」
盗賊たちはぎょっとした。門番たちがあまりに平然としているので、イルハムもまた、かれらを恐れて後ずさった。
(こいつら、おかしい。信用できない)
盗賊の親分が、鼻で笑った。かれは門番たちにずかずかと歩み寄り、一人の女の肩を乱暴に掴んだ。
「馬鹿言ってんじゃねえぜ。じゃあそこの……、こいつだ。この女を俺のものにしてもいいってことだな? ええ?」
「勿論でございます。魔道具をすべてお渡しいただけるのならば」
代表はにっこりと笑って頷いた。無理矢理抱き寄せられた女も、頬を赤く染めて、親分の薄汚れた胸元にそっと手を添えた。
「ふつつかものですが……」
「ま、待て! どういう、どういうことだ! からかってんのか!」
盗賊たちは声を荒らげた。全員、混乱していた。代表は、微笑みを崩さないまま、ひとりひとりに目を合わせた。
「ですから、最初からお話ししている通りです。何もかもを用意してございます。安全な家、尽きぬ食料、家族や隣人……。拝見したところ、皆様は長く苦しい旅をしてきたように思われます。いかがでしょうか。魔道具をお渡しいただければ、これらすべてを手に入れることが出来るのです。決して悪い話ではございませんよ」
イルハムは、にこりと笑う代表の赤い唇をおぞましく感じた。この交渉に乗ってはいけない。絶対に罠だ。それに、家族や隣人を得てしまえば、また村で体験した不自由が再現されるだけではないか。すぐにここを離れなければ――
しかし、盗賊たちはそう思わなかった。親分は、自分に寄り添う女を見つめ、弱々しい声で呟いた。
「本当に、俺と暮らしてくれるのか……?」
「はい。そう望んでくださるのなら、いつまでもお傍に」
「嘘じゃないんだな? もう、どこにも行かなくていいんだな? 俺は、俺の家で、俺の家族と暮らせるんだな?」
「はい、あなた」
親分の頬を涙がつたった。それを見て、残りの二人も前に踏み出した。
「俺もだ。仲間に入れてくれ」
「風呂に入って着替えたいんだ。鎧を脱いで、寝台で寝たい、何にも怯えないで」
「ええ、ええ、お任せください。すべて準備してございます」
門番たちは、気味が悪いほどの笑顔で、盗賊たちを迎え入れた。イルハムは声をあげた。
「駄目だ! こんなの、騙されてるに決まってる! 魔道具を渡すな! だいたいこいつら、神官の仲間だろ。あんた達の戦争の敵じゃないか!」
「坊主、敵とか味方とか、んなことはもうどうだっていいんだ。こいつらは確かに俺たちの同胞を大勢殺したが、俺たちの国は俺たちを見捨てた。だが、こいつらは助けてくれるって言うんだ。もう疲れたんだ、こんな砂漠で飢え渇いて、夜は震えながら眠るのは。もう誰でもいい、嘘でも、一緒に暮らしてくれるなら」
盗賊たちは、次々に魔道具を門番に手渡した。鋼の筒の火打ち石。光を吸う白色ランタン。また、親分が首に提げていた用途不明の透明な札も、「お預かりします」と言って門番に外された。イルハムは叫んだ。
「何でだよ! もう全部どうでもいいんじゃなかったのかよ! 好きにやるんだろ、誰にも従わずに! 魔道具があれば、どこにだって、いつまでも……、返せ! 返せよ!」
わめいて魔道具を奪い返そうとするイルハムを簡単に取り押さえ、門番は盗賊に淡々と尋ねた。
「こちらの方は、魔道具は?」
「坊主は何も持ってねえよ。もともと、そいつは途中から着いてきただけだ。拾ったのは俺たちだ」
「承知いたしました。それでは皆様、奥のほうへとお進みください」
盗賊たちは、それぞれが女と手を繋ぎ、城壁の中へと導かれていった。門が閉まると同時に、イルハムは乱雑に引きずられ、遠くへ放り出された。
突き飛ばされた勢いのまま、イルハムは砂丘を転がり落ちた。口に入った砂を吐き出し、負けじと睨み返そうとして……かれは絶句した。
城は消えていた。跡形もなく。
「……管理番号****-###-#、回収完了。未回収IDの更新手続きをお願いします。また、****支部所管の備品も合わせて回収しました。ライターと、充電式携帯LEDライトになります。収容者の過去の足取りは調査中ですが、人里への接触は現状確認されておらず、テクノロジー流出の可能性は極めて低いと見てよろしいかと」
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「その件ですが、当該人物と復古ローマ十字軍との関係は薄いと見て、放逐いたしました」
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「現地住民です。聖地近辺で行方不明と噂が流れれば、布教活動に支障があります。重要な情報は漏れていません。入場識別キーは回収済みですので、施設も空間迷彩ですでに知覚は、ええ、はい、そうです」
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「いえ、そのような……。収容者は規定通りに、はい、速やかに処分します。いいえ、一般の残留兵です。引き渡し対象ではありませんので、はい、本部への連絡は不要で……」