縁があれば、また巡り合う
ある秋の休日、未紗季はイベント候補地の下見も兼ねて、ひとり公園を訪れていた。秋のやわらかな陽射しが芝生に落ち、心地よい風が頬をかすめる。週末のスポーツ公園は家族連れやジョギングをする人々でにぎわいながらも、穏やかな空気が流れていた。
「ここでイベントを開くなら、どういうところをアピールポイントにすればいいかな……。」
手元の資料を確認しながら、未紗季はゆっくりと歩く。
ふと視線を上げると、目の前にはフットサルコートがあり、ネット越しに、子どもたちがボールを追いかける姿が見えた。そういえば、以前、ビーコンマーケティング時代、ここで親睦会をしたことがあった。もうずいぶん前のことのように思える。懐かしさにふと微笑みながら、未紗季は歩を進める。
しばらく歩くと、バーベキュー広場も見えてきた。そうだ、バーベキューもからめて考えてもいいかもしれない……。いくつかのイベント案が未紗季の頭に浮かんでいた。
公園全体を見渡せる、少し高台にあるベンチに座り、あれやこれやと思いめぐらせていると、そろそろ秋の夕陽が西に傾き始めた。
「そろそろ行きますか。」
誰に言うともなく立ち上がり、未紗季は公園を出て歩き始めた。
秋の陽の暮れるのは早い。夕陽もそろそろ西に沈みかけたころ、駅に到着した。駅の改札は既に明るい照明で照らされていた。その照明の下、見覚えのある後ろ姿……。
偶然か、何かに気が付いたかのように、その後ろ姿がこちらを振り返った。
「未紗季……さん?」
一瞬不思議そうな、驚いたような表情をしたが、すぐに笑顔になり、もう一度声を出す。
「やっぱり未紗季さんだ。」
まぶしい笑顔で手を振っているのは、間違いない……佐藤颯也だった。
こんな光景、覚えがある……。
——そうだ、親睦会の帰りだった。
あの時も、この駅の、この改札の前で、照明に照らされた颯也が、笑顔で未紗季に手を振っていた。あの時と同じ大きな鼓動が、再び未紗季の胸で高鳴った。時間が止まったような、いやむしろ、時間が巻き戻ったような気さえした。
「颯也……くん?」
思わず口にしたその名が、久しぶりすぎて不思議な響きを持って聞こえた。
「久しぶりだね。」
「こんなところで会うなんて。ほんと久しぶりで……。」
未紗季はぎこちなく微笑みながら、颯也の姿を改めて見つめる。変わらないようで、どこか雰囲気が違う。アメリカでの経験が、彼を少し大人びた表情にさせているように見えた。
「日本に帰ってきてたんだね。」
「うん、予定より少し早くなったけど。」
「そうなの?」
そういいながら、未紗季はまだ何となく夢心地で、これが今の話なのか、それともタイムスリップしているのか、そんな不思議な気持ちにとらわれていた。
「僕、今日はこの近くでちょっと用事があって、今から帰るところなんだけど、もし、よかったら……時間があれば、一緒に飯でも食べに行かない?」
「うん、大丈夫だよ……。」
未紗季はぎこちなく答えた。
スポーツ公園のある郊外の駅から、街中の駅まで移動する電車の中、すべての光景が昔のものと重なり、まだ未紗季の頭の中は混乱している。
「ビーコン、辞めてたんだね。」
「うん、辞めたっていうか、関連子会社にね、希望して異動させてもらったの。」
「そっか……。」
なんとなく会話が長くは続かない。それは気まずさ……というよりは、颯也もどこかそわそわして照れている、そんな感じだったのかもしれない。
街中まで戻り、二人で何度か行ったことのある店に、どちらが言うともなく足が向かった。
席に案内され、再び向かい合う。
少し間があってから、颯也は視線を落とし、ため息混じりに口を開いた。
「実は、海外戦略推進室、なくなったんだ。」
「えっ?」
意外な言葉に、未紗季は思わず声が出た。そして颯也はその経緯を話し始めた。
「本社に『グローバル戦略推進部』があるのに、わざわざ大阪に海外戦略の部署を作る必要があるのかって、前々から言われてたんだよ。でも、佐々木さんが強引に立ち上げたから……。」
(確かに、そんな話は聞いたことがある。)
「そこへ、野口さんが、取引先の娘さんとの婚約を反故にしたって話が出てきて。結果的に、佐々木さんも責任を取ることになって、部署ごとなくなったってことらしい。」
「そうだったんだ。」
未紗季は静かに息を吐いた。慎二の婚約破棄の影響が、そこまで及んでいたとは……。
「それで、僕も早めに帰国することになったんだ。大阪支店に戻って、居場所があるのかないのかって感じかな。」
颯也は小さく笑った。その笑顔には寂しさがにじんでいた。
「佐々木さんも、結局、名古屋支店に異動になった。取締役支店長ではあるけど、降格扱いなんじゃないのかな。」
「……。」
未紗季は何も言えず、ただ颯也の言葉を受け止める。
「まあ、そんな感じで、いろいろと考えるところもあってね。まさか今日、未紗季さんに会えるなんて、思ってもいなかったけど。」
「私も……。」
二人の前に料理が運ばれてくる。
「私も、色々あったよ」
颯也は未紗季の言葉を待つように、黙って耳を傾けた。
「颯也君がアメリカに行って、そのすぐ後のお盆休みに、何年かぶりで地元に帰ったの。高知県の四万十川の近くでね、久しぶりに同級生たちと会ったんだ。色々話してるうちにね、私のやりたいことが見つかりそうな気がして……ちょうどそのタイミングで、新しい会社が立ち上がるって知って、そこなら私のやりたいことが形になるんじゃないかって思って……。急だったんだけど、異動の希望を出したんだ。」
「僕が大阪支店に戻って、未紗季さんがいなかったから、どこでどうしているのかな……って思って、藤原さんに聞いたんだよ。そしたら、『新しいところで元気にやってる』って教えてくれたよ。」
「『ビーエム・ネスト』っていう、地方企業のマーケティングを支援する会社でね、最初は戸惑うことばかりだったけど、今はすごくやりがいを感じてる。やっと、自分が本当にやりたいことにたどり着いた気がするんだ。」
「そうか……。」
未紗季が充実していることを知って、颯也は少し安心したような表情を見せた。
「充実してる、って感じだね。」
颯也は微笑みながら言った後、真剣な眼差しに変わり、未紗季を見つめながら静かに尋ねた。
「もう一度未紗季さんに会えたら、どうしても聞きたいことがあった。」
未紗季の胸がまた再び、高鳴った。
「僕がアメリカに行くとき、『野口さんともう一度幸せになって』って言ったの覚えてる?」
「……覚えてるよ。」
「あのとき、未紗季さん、野口さんが結婚するってもう知ってたの?」
「うん、日向の結婚式からの帰り道で、慎二から聞かされてた。でもこれは取引先ともかかわることだから、まだ社内秘だって。」
「社内秘だったって……でも、どうして僕には何も言ってくれなかったの?あの時聞いていたら、そしたら僕は……」
「そしたら……どうしてた?」
「わからないよ。わからないけど……でも教えてほしかった。」
未紗季は、大きく息を吸い込んだ。
「もし慎二の結婚の話をしたら……颯也君の気持ちが揺らぐんじゃないかって思った。今みたいにね。せっかく掴んだキャリアのチャンスを、私のせいで手放してほしくなかった。」
ゆっくりと、言葉を選びながら、未紗季は続ける。
「それと話さなかった理由はもうひとつ。あの頃の颯也君、恋人の元彼と一緒に仕事してたんだもんね。きっといい気分じゃ無かったよね。同期というのをいいことに、慎二と変わらず親しく接しているのを見て。それで私に対する不信感が募って、私に見切りをつけてアメリカへ行こうとしたんじゃないかな、と思った。」
「見切りをつけたなんて……。」
「そんな颯也君を引き留める手段として、慎二の結婚の話をするのは違うと思った。それで私への不信感が消えるわけじゃないだろうって。どちらにしても、話すことで事態が好転するとは思わなかった。」
颯也は未紗季の言葉を聞き、静かに息を吐いた。
「僕のこと、そこまで思ってくれてたんだね。」
彼女は、自分のことを本気で大切に思ってくれていたのに、誤解してしまっていたのかもしれない。勝手に嫉妬いていただけなのかもしれない。颯也の心にかかっていた雲が、少しずつ晴れていくようだった。
未紗季はそっと目を伏せ、苦笑した。
「颯也君の決めたことだから、自分の心に従って、前に進んでほしかったの。慎二の結婚は、颯也君の将来に何も関係のないことでしょ。」
颯也は、ゆっくりと未紗季を見つめた。未紗季の選択は、確かに颯也の未来を思ってのものだった。
「ありがとう。」
その言葉が、未紗季の胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
「そろそろ出る?」
食事も終わり、颯也が促した。
店を出ると、日もとっぷりと暮れ、秋の夜風が未紗季の頬を撫でながらを吹き抜けていった。少し歩いてたどり着いたのは、都会の川に沿って造られた遊歩道。未紗季はふっと夜風を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「私ね、慎二とはすれ違ってばかりで、ちゃんと自分の中に終わりを迎えられてなかったんだと思う。だから、本当に颯也君のことが大好きだったけど、どこかでふと、過去の気持ちに縛られることがあった。でも、それが颯也君を傷つけていたんだよね。本当にごめんなさい。」
ゆっくりと視線を落としながらも、その先を続けた。
「少し前だけど、偶然ね、ほんと久しぶりに慎二に会ったの。お互い仕事で外回りしているときだった。」
それを聞いて、颯也は短く問いかけた。
「何か、話したの?」
まっすぐな問いかけに、未紗季は迷わず答えた。
「慎二ね、取引先との縁談を断って、会社を辞めたあと、新しい会社に就職してた。エネルギッシュな会社でとても充実してるって。それで、それが縁で新しい人と出会って、結婚していたの。」
颯也が驚いた顔を見せるも、未紗季は続けた。
「『決められた結婚に乗っかるんじゃなくて、自分で決めた相手と、自分の意志で結婚したんだ。』って慎二言ってた。」
ふっと笑って、また少し顔を曇らせた。
「もし、今までのすれ違いがなかったら……って、ずっと心のどこかで思ってた。自分で決めた相手と結婚するって、それって幸せなことじゃない?……でも、その自分で決めた相手は、慎二が本当に一緒にいたいと思った人は、私じゃなかったんだって、現実を突きつけられた気がした。」
はっきりと口に出して、心が軽くなるのを感じた。
「私、慎二のことを思い続けていたんじゃなくて、『すれ違い続けて終わりを迎えられていなかった恋の亡霊』に、ただ縛られ続けていただけだった。そうはっきり分かった。」
颯也はしばらく黙ったままだった。
「……。」
「ねぇ……」
沈黙を破って口を開いたのは、また未紗季だった。
「この場所……覚えてる?」
「……もちろん。」
そう、ここは4年前、颯也が未紗季に「付き合ってください」と言った、まさにその場所。
未紗季は緩やかに微笑み、颯也の目をまっすぐに見た。
「あのとき、颯也君、この場所で、自分の気持ちをまっすぐに私に届けてくれた。すごく嬉しかった。今日、またこの場所に来て、その時のことを思い出したら、私もまっすぐに自分の気持ちを伝えたいと思った。」
颯也も未紗季を見つめ返す。
「この間、会社の先輩に言われたの。『どうあがいても、すれ違うときはすれ違う。そんなときは、縁がなかったんだな』って。」
さらに言葉を続けた。
「縁があれば、どんなに遠回りしても、また巡り会う。でも、ないなら、どれだけ手を伸ばしても届かない。」
「……」
「色々道に迷って、今ここでまた、颯也君に巡り会えた。縁が二人をこの場所に戻してくれた。もう一度、ちゃんと颯也君と向き合いたい。これからは、過去じゃなくて、今と、未来に。」
そして、未紗季はもう一度しっかりと彼を見つめて、言った。
「すごく勝手なことを言ってるとは思う。でも、こんな私でもよかったら……。」
颯也は思わず未紗季の手を取った。
「ありがとう。ちゃんと過去に区切りをつけた未紗季さんと、僕も新たに歩いていきたい。またこうして再び巡り会えたんだから。」




