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どうあがいても、すれ違うときはすれ違う

 社に戻った未紗季は、すぐにデスクに向かい、先ほど訪れたクライアント先の案件を練り直そうとした。

(集中しないと……)

 そう思いながらも、どうしても気持ちが上滑りしてしまう。資料を開き、何度も視線を走らせるが、頭に入ってこない。

「はぁ……。」

 軽く息を吐いたとき、オフィスの入り口が開く音がした。

「戻りました。」

 奈津美だった。未紗季の様子を一瞥すると、すぐに近づいてきて、資料をのぞき込む。

「仕事とプライベートは分けて考えないと。」

 淡々とした口調だが、その言葉は重く未紗季にのしかかった。

「ほら、ここ。もう少しターゲットを絞ったほうがいい。あと、この表現だと伝わりにくいわね。」

 的確なアドバイスに、未紗季はハッと意識を仕事に向ける。奈津美の言葉を頼りに、何とか業務を終えることができた。

 退社時刻になり、未紗季が片付けをしていると、奈津美がふと声をかけてきた。

「このあと、いい?」

「え?」

「食事に行かない?」

 奈津美が自分から誘うのは珍しい。未紗季は一瞬驚いたが、すぐに頷いた。

「はい。」


「初めてですね、村瀬さんが誘ってくださるなんて。」

「今日は飲みたい気分なんじゃないかな、って思ってね。」

 歩きながら、奈津美はいつもの調子でさらりと言った。その言葉に、未紗季は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。

 店に入ると、落ち着いた照明と静かな空気が二人を迎えた。席に着き、オーダーを済ませた後に、

「この一年半で、ずいぶん成長したわね。」

 奈津美がそう言ったとき、未紗季は一瞬耳を疑った。奈津美は基本的に無駄なことを言わない。だからこそ、その言葉の重みがじわじわと胸に染みていった。

「でも、仕事に感傷を持ち込むなんて、まだまだよ。……悩んでるなら、聞くわよ。」

 淡々とした口調だったが、未紗季はその言葉に背中を押されたような気がした。ためらいながらも、未紗季は今日の出来事を話し始める。

 今日会ったのは、かつてすれ違い続けて別れてしまった元恋人だったこと。その後自分に別の恋人ができ、真剣に付き合っていたが、元彼への思いを捨てきれていないことを見抜かれ、恋人から別れを告げられたこと。『未紗季さんをよろしく』元彼にそう言い残して、恋人は仕事で渡米したこと。そして、元彼は人から勧められるままに決まっていた結婚を断り、自分の意志で転職し、新しい環境で出会った彼女と、自分の意志で結婚したこと……。

「人から勧められた結婚ではなく、自分の意志で決めた相手と結婚できたことは本当によかったね、って思えるんです。……でも、結果選んだ相手が、私じゃなくて、別の人だった。」

 静かに語りながら、未紗季は自分でもこんなに胸の内をさらけ出すとは思っていなかった。でも、それができたのは、奈津美が以前「すれ違い」について話していたからかもしれない。

 奈津美は多くを語らなかった。ただ、未紗季の言葉を静かに受け止め、口を開いた。

「ま、人生なんてそんなものよ。」

 それが慰めなのか、励ましなのか、未紗季には分からなかった。でも、不思議とその一言が心に響いた。

「どうあがいても、すれ違うときはすれ違う。そんなときは、縁がなかったのよ。縁があれば、どんなに遠回りしても、また巡り合う。でも、ないなら、どれだけ手を伸ばしても届かない。」

 今の未紗季には、この言葉が本当に、心の奥深くまで響く。

 奈津美の表情が、人生の先輩の女性の顔から、上司の顔に切り替わる。

「明日からもビシビシ行くから。」

 奈津美が自分を気遣い、時間を割いてくれた。それくらい距離が縮まったのだと理解できた。そして何より、慎二への思いに、ようやく区切りをつけられた気がした。

「はい。お願いします。」

 そう答えた未紗季の声は、少しだけ軽やかだった。

 慎二との関係に決定的な終止符を打った夜、未紗季は静かに眠りについた。

 翌朝、目覚めたときの心は、思いのほか穏やかだった。長い間引きずっていた気持ちに、ようやく整理がついたのだと感じる。


 それからの日々は、忙しく過ぎていった。未紗季は充実感を覚えていた。振り返る暇もないほどに、目の前の仕事に全力を注ぐことができた。

 ある日、久賀課長から声をかけられた。

「最近、ますます頼もしくなったな。」

「ありがとうございます!」

 未紗季は少し驚きながらも、素直に受け止めた。少し前の自分なら、「まだまだです」と謙遜していたかもしれない。でも今は、自分が積み重ねてきた努力を信じられるようになっていた。

 奈津美とも、少しずつ距離が縮まっていた。相変わらずクールで、あまり多くを語ることはないが、ふとした瞬間に未紗季を気にかけてくれているのが伝わる。ランチのときにさりげなくアドバイスをくれることもあれば、仕事終わりに「今日はもう帰りなさい」と促してくれることもあった。

 仕事に没頭するうちに、慎二への思いは確実に過去のものになっていった。

 もともと過去に縛られていたというよりは、すれ違いすぎてきちんと終わりを迎えていなかったことで、『慎二との叶わなかった未来』の亡霊に縛られていたのかもしれない。もう胸が痛むことはない。今度こそ、何物にも縛られない、新しい自分になれる気がしていた。

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