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今度こそ本当に……

 四月。新しい年度が始まり、街の空気にもどこか新鮮な活気が漂っている。

 未紗季がビーエム・ネストに来て、一年半が経った。最初はがむしゃらに走り続けた日々も、今ではようやく少し余裕を持って周囲を見渡せるようになった気がする。

 お弁当企画の成功を経て、会社としても次のステップへ進む時期に入っていた。未紗季自身も、新たなプロジェクトに向けて動き始めている。


 そんなある日、美優から春らしい、うれしい報告を受けた——。

「えっと……実は、皆さんにお伝えしておきたいことがありまして……。」

 美優が少し照れくさそうに視線を落としながら口を開いた。いつものランチメンバーが、美優の様子に注目する。

「三浦さんと、お付き合いしています。」

 一瞬の沈黙のあと、「やっぱりな!」と久賀が笑いながら頷いた。

「まあ、隠してたわけじゃないんですけど……。」

 美優が頬を染めながら言うと、未紗季がクスッと笑った。

「うん、みんなね、うすうす気づいてたよ。」

「やっぱり……。ですよね。」

 美優が照れ笑いを浮かべると、久賀が冗談めかして言った。

「で、次は結婚報告か?」

 美優は驚いて目を丸くする。

「いや、まあ、そんなすぐには……。でも、きちんと考えてはいます。」

「おおー!」

 久賀が思わず声を上げると、美優はさらに顔を赤くしながら小さくうなずいた。

「まだ具体的には決まってないんですけど、いずれは……って、二人で話しています。」

「いいじゃないか。」

「おめでたい話ね。」

 加藤さんもうれしそうだ。

「おめでとう。」

 奈津美の祝福も、簡潔ながら温かいものが感じられた。

 未紗季は、幸せそうな美優の顔を見て、自然と笑みを浮かべていた。

 昼休みが終わり、ミーティングルームを出たところで、ちょうど三浦が外回りから戻ってきた。

「やー、縁だよ縁!」

 久賀は三浦に向かってそう言いながら、バシッと肩をたたいた。

「ますます頑張んなきゃね。」

 加藤さんがにこやかに声をかけた。

 未紗季は微笑み、奈津美までもほんのり笑みを浮かべながら次々と三浦の前を通り過ぎる。

 そして最後に、ミーティングルームから出てきたのは顔を真っ赤にした美優だった。

「みんなに、言ったんだな。」

 三浦が恥ずかしそうに美優に言った。そんな二人の姿、またそれを取り巻く仲間たちを見て、未紗季はなんとも言えない温かい気持ちになった。


 六月に入り、梅雨の晴れ間は初夏の日差しがまぶしくなり、街の木々も青々とした葉を広げ始めた。

 未紗季はこの数ヶ月、慌ただしく過ごしていた。新たなプロジェクトも少しずつ形になり、各地の自治体や企業との調整が本格化してきた。各課とも連携を取りながら、未紗季は企画を練る日々を送っている。

 一方で、美優と三浦チームの案件も順調に進んでいた。美優は、三浦と交際を公表してからも、公私の区別はしっかりつけながら、今まで以上に真剣な姿勢を見せている。三浦もまた、美優の仕事ぶりを尊重しつつ、チームとして良いバランスを保っていた。


 ある日の午後のこと。未紗季は奈津美とともに外回り中で、次の訪問先へ向かおうと歩いているときだった。

 前方に見覚えのある姿を見つける。

(……え?)

 足を止めた未紗季の視線の先にいたのは、慎二だった。

 慎二もまた、未紗季に気づいたようで、歩みを止める。

「未紗季?」

「慎二?」

 思わぬ再会に、互いに戸惑いの表情を浮かべる。

 奈津美は二人の様子を見て、すぐに何かを察したのか、小さく息をつき、さりげなく言った。

「次の訪問先は、私が一人で行くわ。あなたは先に社に戻ってさっきの件をまとめておいてくれる? お願いね。」

 淡々とそれだけ言うと、奈津美は未紗季と慎二に背を向け、オフィス街の人混みへと消えていった。

 少しの沈黙の後、慎二が口を開く。

「久しぶりだな。」

「うん。」

 未紗季は、久々に見る慎二の姿に、何とも言えない感情が胸に込み上げるのを感じた。

「少しいいか?」

 慎二がそう言って指さしたのは、近くにある小さな公園のベンチだった。二人で歩き出す途中、慎二が足を止め、自販機でコーヒーを二本買った。

「ほら。」

 そう言って一本を手渡された。

(これ、私がよく飲んでたやつ。覚えていてくれたんだ。)

 お互い少し間をあけて、ベンチに腰を下ろした。慎二は、何も言わず缶を開け、コーヒーを一口飲んだ。慎二の左手薬には、結婚指輪が光っていた。

 未紗季はさっきから感じていた、小さな違和感を口にした。

「社長の娘さんと結婚してその会社に入るって聞いてたけど、今も自ら外回りしてるんだね?」

 慎二は缶を握りしめ、短く息をつくと、ゆっくりと口を開いた。

「いや……実は違うんだ。」

 慎二は、手に持った缶コーヒーを軽く振りながら、静かに語り始めた。


「未紗季がビーコンを去った後、俺は三月まで働いて、それから結婚して、向こうの会社に入る予定だった。日程もほぼ決まってたんだが。」

 未紗季は黙って聞いていた。

「でも、佐藤がアメリカに行く前に、俺に言ったんだよ。『未紗季さんを幸せにしてください』って。そんなことできるわけないだろ。そんな立場じゃないんだから。」

 未紗季は、缶を握る手に力が入るのを感じた。

「佐藤は、未紗季のことを本当に大切に思ってた。だからこそ自分はアメリカに行くって決めたんだろう。最後まで未紗季のことを考えて。」

 慎二の視線はコーヒーから、遠い空へと移された。

「佐々木さんに結婚を勧められて、俺はそれにそのまま乗っかっただけだった。佐藤はお前を思って、身を引いてアメリカに行く決意をした。お前も、自分の意志で会社を去って、新しいことに挑戦しようとしてた。でも俺は、自分の意志に関係なくただ、流されていただけだって、改めて思い知った。」

 未紗季は慎二の横顔を見つめながら、言葉を飲み込んだ。

「それで、俺はあの結婚話を断ることにした。」

 未紗季の顔色が変わった。

「勧めてくれた佐々木さんの顔をつぶすことにもなるし、取引先との話だから会社にとっても大問題だよ。責任を取るつもりで辞表を出した。佐々木さんは『俺が強引に決めたことだ、後処理は俺がうまくやるから、お前は気にするな』って言って引き止めてくれたけど……やっぱり責任は取らないとな。」

 未紗季は目を見開いた。

「そんなことが……。」

「ああ。」

 慎二は短く息をつくと、未紗季の方を見た。

(お前への思いを完全に断ち切るためにも、それが最善だと思った。)

 未紗季の視線が、慎二の左手へと向いた。

「でも、じゃあその指輪は……?」

 そう指摘すると、慎二は左手を広げ、指輪を見つめながらゆっくりと語り始めた。

「会社を辞めてしばらくは、正直、何をすればいいのか分からなかった。だけど、ある会社のホームページを見て、ここだ、と思って飛び込んだ。」

「それが今いる会社?」

「ああ。今はまだ規模は小さいけど、勢いのある会社でさ。大手にはないフットワークの軽さがあって、社員みんながエネルギッシュに仕事をしてる。」

 慎二の瞳は輝いて見えた。とても充実しているという様子だ。

「前の会社とは全然違う環境だけど、今はここで頑張ってみようと思ってる。」

 未紗季は、慎二の言葉を静かに聞いていた。慎二が再び口を開く。

「で、そこで出会ったんだ。彼女に。」

「同じ会社の人?」

「いや、取引先の営業担当で、最初は普通に仕事のやり取りをしてただけだったけど、そのうち……な、こいつと一緒にいたいと自然に思うようになっていたんだ。」

 少しだけ何かを考えるように間をおいて、未紗季が口を開いた。

「今度は、慎二自身で選んだ相手と、自分の意志で結婚を決めたんだね。」

 慎二が、自分の選んだ道をしっかり歩いていることが、未紗季には伝わってきた。

「お前も、今の仕事、頑張ってるんだろ?」

「うん……。」

 少し頬笑みを浮かべそういいながらも、口の中に、コーヒーのせいだけではない苦みが広がる。心が少しだけ痛んでいた。

 勧められた結婚ではなく、自分の意思で選んだ相手。——その相手が、自分ではなかったことが、小さな棘のように胸に刺さった。未紗季はそれを悟られないように、静かに微笑んだ。

「そっか。……よかったね。」

 慎二は、晴れやかな表情で頷いた。

「お互い、頑張ろうぜ。」

「そうね。」

 未紗季は努めて明るい笑顔をつくりながら立ち上がり、言った。

「お幸せに、元気でね。今日会って話せてよかったよ。……さようなら。」

 そして手を振り、慎二に背を向けて歩き出した。今度こそ、本当に、本当の……、別れなんだと実感しながら。

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