母の顔になった
高知から帰省した翌日、夏季休暇の最終日、未紗季は朱音の家を訪れることにした。玄関のインターホンを押すと、すぐに朱音が顔を出した。
「未紗季!久しぶり!」
「久しぶり!育休明ける前に、一度会っておきたくて。」
一年ぶりに会う朱音が、変わらない笑顔で未紗季を迎え入れてくれた。玄関をあがると、その向こう、リビングの入り口にはベビーゲートがつけてあり、その向こうから、キャッキャ言いながらこちらを見ている女の子がいた。朱音は子どもを抱き上げ、未紗季をリビングへと招き入れた。
「旦那は今日から仕事なんだ。未紗季、あらためて、ようこそわが家へ。そして娘の結依奈です。」
「初めまして、結依奈ちゃん。あ、贈った服、着てくれてるんだ、ありがとう。」
未紗季は結依奈の小さい手と握手し、思わず笑顔になる。
「こちらこそ、かわいい服をありがとうね。最近ちょうどサイズが合ってきて、今この子のお気に入りなの。この間一歳になったところ。来月から仕事復帰することになってるんだ。」
そう言いながら、朱音は娘を、リビングの一角に置いてあるベビーゲートの中にそっとおろした。
「昨日まで、高知の実家に帰っていて。よかったらこれ、少しなんだけど。」
未紗季が手渡したのは。母が持たせてくれた加工品のおすそ分けと、お菓子、道の駅で買った郷土玩具など。
「ありがとう。よかったね、結依奈。」
ベビーサークルの中に郷土玩具『鯨船』を入れると、結依奈は珍しそうに手に取って遊んでいた。
朱音の入れてくれた麦茶を飲みながら、はじめのうちは懐かしさで話に花が咲いていたのだが、しばらくすると、朱音がふと小さく息をついた。
「復帰したら、やっていけるかな……。」
「え?」
「久しぶりの仕事ももちろんうまく復帰できるか不安だし。結依奈もまだ一歳になったばかりで、仕事に行くために、こんな小さい娘を預けることにも罪悪感があるし……。これからの生活がどうなるのか想像もつかなくて。」
母としての喜びと、仕事復帰への不安。朱音の表情には、そんな葛藤が滲んでいた。
「でも、やるしかないんだよね。母は頑張らなきゃね。」
朱音が微笑むのを見て、未紗季も力強く頷く。
「私も、やりたいことがなんとなく見えてきて……。どうしたらそれが実現するかまだ分からないけど、頑張ってやっていかなきゃって思ってる。」
「未紗季のやりたいことって?」
「まだ、なんとなくでしかないんだけど、帰省中に中学の同級生たちと会ってね……。」
未紗季は、市役所の観光課で働く坂本亮介との会話を、未紗季に話した。自分もふるさと活性のための何かを、マーケティング・広告会社の広報の立場から、役立たせることができないかと考えている、と。
「でも何から、どう実行に移していけばいいのか、よく分からなくて……。」
未紗季がそう言うと朱音は、ハッと気づいたように言った。
「たしか川上課長が……、今は経営企画部室長か。室長がまだプロモーション企画部のブランド戦略課の課長だったころ、未紗季が広報に移った後だったかな、少し地方のブランド戦略にかかわっていたことがあったんじゃなかったかな……。川上室長に、何か相談してみてもいいんじゃない?」
朱音の思いもかけない提案に、未紗季は今すぐにでも、川上に相談に行きたいと思ったが、はやる気持ちを抑えて言った。
「うん、川上室長に相談してみるね。朱音、ありがとう。」
そろそろ結依奈がぐずりだしたので、未紗季はおいとますることにした。
「未紗季、今日はわざわざ来てくれてありがとう。仕事復帰はやっぱり不安だけど、私なりに何とか頑張ってみる。」
「朱音なら、きっと大丈夫だよ。応援してる。」
「じゃあ、また。」
「会社でね。」
そう言って朱音の家を出ると、夕暮れの風が心地よく頬を撫でた。夏の終わりが、静かに近づいていた。




