新婚家庭へ訪問
「颯也、行っちまったな……。」
翌日の昼休みの食堂。日向が、遠くを見るように言った。
「そうだね。」
未紗季は、淡々と返す。
日向は、思い出したように話題を変える。
「あ、そうそう。綾那がさ、一度未紗季をウチに呼べ、ってうるさいんだわ。」
「新婚家庭にお邪魔しちゃ、悪いじゃない。」
「何言ってんだよ。遠慮なんてなしな。今度の日曜でいいか?」
「日曜日は大丈夫だよ。じゃあ、お言葉に甘えて、行かせてもらうね。」
「OK、決まりな。綾那にも言っとく。飯作って待ってるから、お前は甘いものでも買って持って来いよ。」
次の日曜、天気はあいにくの雨。未紗季は、色とりどりの初夏の花の鉢植えが入ったバスケットと、駅前でおいしいと評判の店で買ったケーキを持って、新婚藤原家を訪れた。
玄関を開けると、綾那がにこやかに迎えてくれた。
「いらっしゃい、未紗季ちゃん。雨の中、よく来てくれたわね。ゆっくりしていってね。」
「お邪魔します。これ、よかったら……。」
「わぁ、可愛い! ありがとう」
綾那は、少し雨に濡れたお花のバスケットを受け取り、リビングへ案内してくれた。
「お、来たな。」
リビングで待ち構えていた、日向の声が飛んできた。
「甘いものも、ちゃんと持ってきたな。」
日向自らケーキの箱を受け取り、冷蔵庫に入れに行った。
食卓には、綾那の手料理が並んでいた。
「すごい!綾那さんってお料理上手ですね。」
「さ、座って座って。」
三人で食事をしながら、会話は楽しく進んでいた。そんな中、日向が、少し真面目な口調で切り出した。
「で、佐藤と何があった?」
未紗季は一瞬、手を止める。
「どうしてそう思うの?」
「見てりゃわかるだろ。あいつがアメリカに行く前に、二人で飲んだんだよ。送別会代わりにな。」
「知らなかった……。」
「聞いたよ。あいつ『待ってなくていい』って言ったんだってな。それ以上は、あまり深くは聞かなかったけど。」
未紗季は小さく息をつく。綾那は何も言わず、静かに二人の会話を聞いている。
「アメリカに行く前に、彼から言われたの。お互い、別々の道を歩こうって」
日向は黙って、未紗季の様子をうかがう。
「でも、それでよかったと思ってる。」
「慎二のことは、関係あるのか?」
「慎二が結婚することと?」
「え、何それ? 俺、聞いてないぞ。」
日向も綾那も驚きを隠せない。
「実は、日向たちの結婚式の帰り道で、言われたんだ。」
「え?」
日向の表情が固まる。
「結婚式のあとって。あいつあの時、そんなこと一言も……。」
未紗季は静かに頷いた。
「なんで何も言わなかったんだよ、あいつ。」
日向の表情が険しくなる。
「それで慎二の結婚を知ったうえで、佐藤との別れを受け入れたのか?」
「そうだよ。」
「佐藤には、慎二の結婚のこと言ったのか?」
「ううん……言ってない。」
「なんだよ、それ……。慎二が結婚して、佐藤もアメリカに行って、未紗季はそれでいいのか?」
日向の問いに、未紗季はふっと小さく笑った。
「もう……いいんだよ。」
日向は何ともやりきれないという顔をしていたが、しばらく沈黙した後、静かに息をつく。
綾那は黙って席を立つ。その間、少しの沈黙が訪れる。
数分後、綾那が紅茶とケーキを運んできて、明るめの声で言った。
「さあさ、未紗季ちゃんが持ってきてくれたケーキ、いただきましょ。」
綾那が未紗季の方を向き、優しく微笑む。
「未紗季ちゃんの出した答えなんだから、自信もって。私たちは応援してるよ。」
未紗季はその言葉を聞き、そっと微笑んだ。
「ありがとう。」
日向がケーキの箱を開け覗き込んでいた。
「あ、俺、絶対イチゴ!」
「今それ言う? ほんと子どもなんだから。」
本当は納得していないであろう日向も、こうやって明るく振舞うことで、未紗季に配慮してくれていることが、ありがたかった。
(いや、これは単に、ほんとに子どもなのかもしれないけど……。)
そう思うと、ほんの少しだけ、未紗季の表情は柔らかくなった。この新しい幸せな家庭に温かさを感じ、少しずつ、自分の気持ちを静かに整理しよう、そう思えてきた。
ケーキも食べ終わり、一息ついたころ。そろそろ帰りの時刻になっていた。未紗季が玄関先で靴を履いていると、綾那が笑顔で言った。
「またいつでも遊びに来てよね。」
「遠慮なんかするなよ。」
日向も、穏やかな顔つきに戻っていた。未紗季は小さく笑いながら、「うん」と頷き、二人に手を振って家を後にした。
外に出ると、雨はあがり、雲の隙間から夕日が差していた。雨上がりの風が涼やかに、未紗季の頬を通り過ぎた。息を吸い込むと、雨に洗われてきれいになった空気が、未紗季の胸に入ってくる。心がほんの少しだけ軽くなった気がした。
日向も綾那も、何も強くは言わなかった。けれど、ただそばにいてくれるだけで、それが未紗季にとって、何よりうれしいことだった。
「ありがとう、日向、綾那さん。」
小さく呟きながら、未紗季は夕方の街を歩き出した。さっきまで少し重く感じていた足取りが、ほんの少しだけ、軽くなっていた。




