思いもよらない告白
さわやかな風薫る、五月。
「藤原日向君と吉野綾那さんの前途を祝し、乾杯!」
グラスがぶつかり合う音とともに、にぎやかな祝宴が幕を開けた。
「本当にいい式だね。」
「藤原さん、幸せそうですね。」
未紗季も颯也も、本当に幸せそうな日向と綾那の笑顔にあてられていた。
「悪くないな。」
かすかに聞こえた声に、未紗季がそっと視線を向けると、慎二が口元にうっすらと微笑を浮かべていた。
(慎二のあんな顔、めったに見れないよね……)
一度は終わりを迎えたと思っていた二人が、また縁あって再会できた。そう思うと、未紗季の胸も熱くなる。この結婚式が、みんなを笑顔にしている……『日向』はその名の通り、みんなを温かくしてくれる存在だと、改めて未紗季は思った。
披露宴が終わり、ゲストたちが新郎新婦に見送られ、退席していく。未紗季、颯也、慎二は最後に新郎新婦の前に立った。
「お前、泣いてんじゃねーよ。」
慎二が声をかけると、日向が照れ臭そうに答えた。
「いやー、最後はほんとに感極まっちゃってさ。お恥ずかしい。」
「綾那さん、とってもきれいです。日向にはもったいないくらい。お幸せになってくださいね。」
「未紗季ちゃん、ありがとうね。」
綾那は、本当にきれいだった。未紗季はまぶしそうに綾那を見上げていた。
本来なら二次会として、仲のいい友人たちと集まるところだったが、今回は綾那の希望で、久しぶりに四人だけでゆっくり過ごすことになっていた。
「佐藤もぜひ、来てくれよ。」
日向が颯也に声をかけると、颯也は少し苦笑しながら首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、明日朝イチで出張に出るんで……さすがに今回は遠慮しておきます。」
「そっか。まあ無理言えないな。」
「せっかくのおめでたい席のお誘いに、本当にすみません。あとは、四人でゆっくりお話ししてきてください。お二人とも、今日はおめでとうございました。」
「なんか、気ぃ使わせたみたいで、ごめんな。また、ゆっくり飲もうぜ。」
未紗季は申し訳ないという顔で、颯也を見た。
「ごめんね、私だけで楽しんじゃって。」
「気にしないで。楽しんできて。」
颯也は穏やかに微笑み、最後にもう一度二人に頭を下げ、会場を後にした。
四人が向かったのは、落ち着いた雰囲気のカジュアルなバー。懐かしい空気を感じながら、自然と昔と同じように丸いテーブルを囲む形で座る。
「こうやって四人で飲むのも、ほんとに久しぶりだな。」
日向がグラスを手にしながら感慨深げに言うと、慎二も頷いた。
「そうだな。」
「だよな。こうして集まると、何だか昔に戻ったみたいだ。」
日向の言葉に、綾那が微笑む。
「実はね、今日こうして四人で集まりたかったのは、どうしても未紗季ちゃんにお礼が言いたかったから。」
「私に?」
「うん。だって、あの時未紗季ちゃんがいなかったら、私たち、こうして一緒にいなかったかもしれないから。」
「そうそう。」
日向が照れくさそうに頭をかきながら続ける。
「あの時、未紗季が綾那と再会してくれたおかげで、俺たちはまたこうして一緒になれた。」
「そんな……私はちょっと背中を押しただけだよ。二人には、また巡り合える縁があったんだと思う……。」
未紗季は少し照れたように笑う。
「でも、その『ちょっと』がなかったら、私はきっと一歩を踏み出せなかったと思う。」
綾那が優しく微笑む。
「だから、本当にありがとう。」
「よかったな。」
慎二がぽつりと呟く。
「あぁ。」
日向が嬉しそうに綾那を見つめると、綾那も静かに頷いた。
とても心地いい四人の時間だった。未紗季は、懐かしいこの空気の中で、まるであの頃に戻ったような錯覚さえ感じていた。四人でいると、不思議と自然に会話が弾む。颯也には申し訳ないけれど、今だけは、この時間を楽しみたいと思った。
「悪くないな。」
ふと、慎二が口元にかすかに微笑を浮かべながら呟く。
「お、出た。」
日向がすかさず突っ込むと、綾那もクスクスと笑った。
「そういえば、慎二くんって昔から、それ言うよね。」
「何が?。」
慎二には、口癖の自覚はないようだ。未紗季も思わず微笑んだ。
四人で過ごしたこの時間は、きっと忘れられない思い出になる……そう感じていた。
店を出たころにはすっかり夜も更けていた。
タクシーを拾う日向と綾那を見送ったあと、未紗季と慎二は並んで歩き出す。少しひんやりとした夜風が心地よく、静かな街の灯りが足元を照らしていた。
不思議な感覚だった。本当に、付き合っていたころに戻ったような錯覚を覚える。あの頃のように、肩を並べて歩く慎二の横顔が、あまりにも自然すぎた。
「本当に、いい式だったね。」
未紗季は、笑みを浮かべながら話しかけた。
「二次会も、昔に戻ったみたいで……本当に楽しかった。」
慎二は、足を止めた。未紗季もつられて立ち止まり、不思議そうに彼の顔を見た。
ほんの少しの沈黙が流れた後、慎二が口を開いた。
「……俺、今度結婚する。」
慎二の言葉が、静寂を切り裂くように響き、夜の空気に溶けていった。
未紗季は一瞬、何を言われたのかわからなかった。たった今まで、昔に戻ったような気がしていたのに。まるで、過去と現在が交錯するような不思議な時間を過ごしていたのに。
でも、現実は……私には颯也がいる。大切で、心から愛している。今日のことは、今日だけの思い出として胸にしまって、明日からまた、当たり前の日常に戻ればいい……そう思っていた。
「そうなんだ。」
慎二は、ずっとそばにいるものだと、無意識に思い込んでいた。仲のいい同期として、変わらず自分のそばにいてくれると……。そんなの、勝手すぎるのに。自分は新しい恋人と幸せで、前を向いて歩いているのに、慎二はいつまでも自分を見守ってくれると錯覚していたなんて。恥ずかしい。情けない——。
「佐々木さんの紹介で、取引先の社長のお嬢さんと、お見合いをしたんだ。」
慎二の静かな声が、夜の冷たい風になって、未紗季の耳に届いた。
それからのことは、よく覚えていない。どんな顔をして慎二と別れたのか、どんな言葉を返したのか。思い出そうとしても、記憶が霞んでいる。
気がつけば、電車の中。車内のざわめきも耳に入らず、ドアの前に立ち尽くす。さっきの慎二の言葉の続きが、ゆっくりと思い出された。
「結婚したら、取引先の会社に移ることになるだろう。」
また、いなくなるんだ。慎二は、遠くへ行ってしまう。“同期”という関係さえも、ないものになってしまう。
——きっともう、会えない。
私には颯也がいる。颯也を愛している。なのに、どうしてこんなことを思ってしまうのか……。
目の前のドアのガラスに映った自分の顔は、慎二がいなくなる現実を、まだ受け止めきれずにいた。
月曜日。週明けはいつも憂鬱だけれど、今日の朝はいつも以上に気が重かった。颯也は出張で不在。日向は新婚旅行でいない。
慎二も、昼の食堂にはしばらく姿を見せなかった。それが唯一の救いだった。もし慎二と顔を合わせていたら、きっと平静を装うこともできなかっただろう。
自分の中に残る感情を振り払うように、仕事に集中しようとした。でも、どこか上の空で、ふとした瞬間に彼の言葉が蘇る。
「俺、今度結婚する。」
デスクの上で手をぎゅっと握りしめる。わかってる、慎二はもう私のものじゃない、とっくに終わった話。でも、この虚しさは、どうにも抑えられない。そんな自分が、情けなかった。
昼休みになり、食堂へ行く気分になれず、結局デスクに残ったまま、コーヒーだけをお腹に入れだ。
「慎二がいなくなる。」
そう思うだけで、胸の奥がぎゅっと痛くなる。
自分は新しい恋人がいて、颯也と幸せな日々を送っているはずなのに。なのに、なぜ……?。
木曜日の夜、颯也が出張から戻った。帰社したのが遅い時間だったため、電話で簡単に話をしただけ。
「出張、お疲れさま。」
「ありがとう。あのあと楽しかった?」
「うん。あ、日向がね、颯也君によろしく、って。」
颯也はいつもと変わらず、終始穏やかな優しい声だった。なぜだか少しだけ胸が痛んだ。
本当は、寂しかった。颯也に会えなかったことも。いやそれ以上に、慎二の言葉で、心にぽっかりと穴が開いてしまったことが……。でも、それを言葉にすることはできない。
「また、明日ね。」
考えないようにしよう。颯也が帰ってきた。明日は彼と向き合おう。そう思って眠りについた。




