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大切な人

 プロモーション企画部に配属されて、一ヶ月。少しずつ業務にも慣れはじめたころ。未紗季は新しい企画書のフォーマットを作成するため、パソコンと向き合っていた。

「うーん……。」

 どうにも最後の詰めの部分で、いい感じにまとまらない。どこをどう修正したものか、もっと一目見てわかりやすいものにならないものか。おまけに、どういうわけかある部分まできてデータを入力しようとすると、フリーズしてデータが入力できなくなる。

 未紗季はパソコンの画面を見つめ、眉をひそめた。締め切りも迫ってくる……。

「どうした?」

 隣の席に座る慎二が、画面に目をやる。

「うん、新しい企画書のフォーマットを作ってるんだけど、どうしてもうまくいかなくて。」

「見せて。」

 慎二はしばらく未紗季のパソコンを確認してから……

「この部分を直せば済むかも。ほら、これで入力できるはず。」

 的確な指摘で、無事すべてのデータが入力できた。

「ほんとだ、ありがとう。」

「あとは、ここをもう少し修正すれば、見た目にもわかりやすくて使いやすいのができるんじゃないか。」

 事務的な口調だけど、さりげなくフォローしてくれる慎二。

「すごいね、こういうのが欲しかったんだよ。」

「大したことじゃねーよ。俺がちょっと修正して、ちょっと手を加えただけだ。もともとお前のベースがよかったんだよ。」

「ありがとう。」

 小さく呟きながら、未紗季はそっと慎二の横顔を見た。

 

 一夜明けて金曜日。朝、出社してきた慎二が未紗季の隣の自分の席に座った。

「昨日は、ありがとう。」

「え?」

「フォーマットの作成、手伝ってくれて。おかげで締め切りにも間に合って、『見やすいし、使いやすい』って言ってもらえたから。」

「ああ、別に大したことじゃないだろ。」

「でも、助かった。ありがとう。」

「気にすんな。」

 目をそらしながらも、少し照れたようにぼそっと呟いた。

 その何気ない仕草に、未紗季も少し頬を赤らめながら、小さく微笑んだ。

 その日の昼休み、食堂では未紗季と日向が隣同士に座り、楽しそうにスマホをのぞき込んでいた。

 少し遅れて食堂に入ってきた慎二。二人の距離の近さに何かモヤモヤした気分になりながら、日向の向かいに座った。

「お、来た来た。今さ、この先の広場で楽しそうなイベントやってるって。SNSで話題になってるから、見てたんだよ。」

 スマホから顔を上げた日向が話し始めた。

「期間限定でマルシェやってるって。次の土日までで、いろんな露店があって楽しそうだな、って話してたところ。」

「ねえねえ、じゃあさ、よかったら今日、会社帰りに三人で寄ってみない?」

 未紗季が楽しそうに提案した。

「ごめん、俺今日、彼女と約束あるんだわ。」

 日向が苦笑しながら手を合わせる。

「あ、そっか……残念だな。日向ラブラブだよねー。」

 未紗季がちょっとうらやましそうにからかう。

「まあな。お互い社会人になって、学生の頃のようには頻繁に会えなくなったけど、会える時間は大事にしたい……かなって。」

 慎二がちらっと未紗季のほうを見てから、つぶやいた。

「じゃあ、俺たち二人で行けばいいんじゃねーか。」

 慎二の口から、思ってもみなかったセリフが出てきて、未紗季はドキリとした。

「いいじゃん、二人で行って来いよ。」

(日向まで……そんなこと、全然想定してなかったけど……)

「えっ……う、うん。」

 未紗季はドキドキしながら答えた。

 終業時間になったが、慎二はまだ打ち合わせ中のようだ。

 未紗季は日向と談笑しながら、帰り支度を始めている。日向と楽しそうに話す未紗季の笑顔が、打ち合わせ中の慎二の視界の端に映る。

(なんだよ、この気持ち。)

 日向に向ける未紗季の笑顔、終わらない打ち合わせ。慎二は心なしかイライラし始めていた。

 「じゃあ、そろそろ俺、帰るわ。おつかれ!」

 日向は未紗季に軽やかに手を振る。

「お先に失礼します。」

 先輩たちにも丁寧にあいさつをし、日向は退社していった。

 未紗季はそっと慎二の様子をうかがう。どうやらまだしばらくかかりそうだ。おそるおそる声をかけると、慎二は目も合わせず、ぶっきらぼうに一言だけ言った。

「下で待ってろ。」

(え、行く気はあるよね?)

 突き放されたようで戸惑うが、慎二の言葉に従った。

 エントランスで待つ未紗季。しかし、時間が経っても慎二は来ない。

(もしかして、忘れられた?)

 不安になりながら、一度オフィスに戻ってみる。しかし、慎二の姿はそこになかった。もう一度エントランスに戻るも、やはり慎二の姿はなかった。

(ひょっとして、外で待ってるかも?)

 そう思って外に出るが、やはりそこにもいない。

 外からエントランスのほうを覗き見ると、慎二が他の女子社員と談笑しながらエレベーターから降りてきて、そのまま外へ出てきた。

「え?」

 楽しげに歩く姿を見て、未紗季の胸が締め付けられる。

(待ってろっていうから待ってたのに。結局帰っちゃうの?しかも他の女の人と楽しそうに……)

 少し離れた場所からそれを見ていた未紗季は、何も言えず、気が付けばそのまま足早に駅へと向かっていた。

 一方で、慎二はエントランスに未紗季の姿が見えなかったので一度外へ出たが、あたりに未紗季は見当たらない。女子社員とはそこで別れ、もう一度中に入った。

(俺が勝手にイライラして、あんな言い方をしてしまったから、怒って帰ってしまったか……)

 スマホを取り出すが、何となくメッセージを送れず、そのままポケットにスマホをしまった。


 未紗季がひとり悶々と過ごした休日が明け、月曜日。重い気持ちで出社した時には、慎二と日向はすでに朝一で、クライアント先へ出かけた後だった。

(顔を合わせなくて済んでよかった。)

 ホッとした半面、同時に少し寂しさもあった。

 気持ちを切り替えるように、未紗季は仕事に集中した。

 未紗季が昼休憩から戻ったころ、慎二と日向も戻ってきた。未紗季は意識しないようにしていたが、やはりぎこちなくなってしまう。

 そんなとき、課長が慎二と日向に声をかけた。

「お、ちょうどいいところに戻ってきたな。戻ってすぐのところ悪いが、別のクライアントから急ぎで対応してほしいと連絡があったんだが、行けるか?。」

「俺たちが二人で行けばいいですか?」

 慎二が尋ねる。

「いや、今度は高宮も一緒に行ってくれ。三人で動いたほうが効率がいい。」

「……わかりました。」

 未紗季は驚いたが、そう返事をするしかない。慎二と顔を合わせるのが気まずかった。

 現場に向かう道中、未紗季と慎二の間には微妙な沈黙が流れていた。先日の件以来、まだ少しぎこちない。

「なーんか空気重くね?」

 日向がわざと明るく言う。

「そんなこと……。」

「ほらほら、外の仕事なんだから、明るくいこうぜ?」

 日向が冗談めかしながら話しかけ、未紗季と慎二の空気を少しずつ和らげようとしているのが分かった。


 クライアント先での仕事を終え、終了報告の電話をする。定時も過ぎていたので、社に戻らず直帰してよいことになった。

すると日向はスマホを取り出し、予定を確認する()()をしながら言った。

「じゃあ、俺はここで失礼するわ。」

「あ、そうなの?」

「約束してんだよ。」

「ひょっとして、彼女?綾那さんって言ったっけ?」

 未紗季が聞くと、日向は少し照れくさそうに笑った。

「そうそう。じゃ、お前らも適当に解散しとけよ。」

 そう言い残し、日向は軽く手を振って去っていった。

(本当は約束なんてしてなかったけど、ここは二人にさせるべきだよな。ま、会えるかどうか、今から綾那に連絡とってみるか。)


 日向が足早に去り、残された未紗季と慎二。

 ぎこちない沈黙が流れる中、互いにどう声をかけるべきか迷っていた。

「……じゃあ、私も帰るね、お疲れ。」

 気まずさから、未紗季が目を合わせないようにその場を去ろうとすると、慎二がとっさに未紗季の腕をつかむ。

「待てよ。」

 静かな声に、未紗季の鼓動が大きく鳴った。

 驚いて振り向くと、慎二は真剣な目で未紗季を見ていた。

 ――このままじゃ、ダメだ。

 お互いにそう思い始めていた。

「こないだは、悪かった。」

 慎二の言葉に、未紗季の胸がぎゅっと締め付けられる。

「私も。ちゃんと話せばよかったのに、勝手に帰っちゃって。」

 互いに視線を落とし、言葉を探す。

「なんか俺、勝手にイライラしてた。お前が日向と楽しそうに話している姿を見て、別に俺と行かなくてもいいんじゃないかって……勝手にそう思って、あんな言い方で突き放してしまった……。それで怒って帰ってしまったんだって思った。」

「日向と? なんでそんな風に……でも、下で待っているときに、私も慎二が他の女の人と楽しそうにしてるのを見て……それでなんか、いてもたってもいられなくなって、帰っちゃったの。」

「たまたま帰りが一緒になったから、話してただけだ。」

「何やってんだろうね、私たち。勝手に空回りして。」

「『二人で行こう』って俺から言い出したのに、あんなことになって本当に悪かった。お前が、彼女のいる日向に特別な感情なんて持ってないってわかってるのに、冷静な判断ができなくなってた。」

 しばらく沈黙が流れた。

「ほんと、何やってんだか。」

 慎二はそう言い、未紗季の目を見つめた。

「もう、こんなふうにすれ違いたくない。」

「私も、これからは、ちゃんと自分の気持ちを伝える。」

 未紗季の言葉に、慎二は静かに頷いた。

「俺もだ。」

 そして、少し視線を外してから、またしっかりと未紗季を見つめる。

「……未紗季。」

「はい。」

「お前が好きだ。ちゃんと、お前と向き合いたい。こんな俺だけど……つきあってくれるか?」

 不器用だけれど、まっすぐな言葉だった。

 未紗季は一瞬驚いたように目を見開いたあと、ふわりと笑った。

「私も、慎二のことが……好きです。こちらこそ、よろしくお願いします。」

 頬を染めながら照れくさそうに笑う未紗季に、慎二もようやく口元をほころばせた。

 夕暮れの風が、静かに二人の背を押した。


 一週間ほどたち、仕事帰りの駅までの道を並んで歩く慎二と未紗季。

「そういえば、結局あのとき一緒に行けなかったな……悪かったな。」

 慎二が少し気まずそうに言った。

「あれは期間限定だったから、もう終わっちゃったよね。別のところだけど、似たようなイベントやってるみたい。」

「じゃあ、今度こそ行くか。」

「えっ?」

「どうせなら、休日にゆっくり見て回ればいいだろ。」

「うん!」

 この間はすれ違ってしまったけど、今度こそは、と未紗季は少し胸を高鳴らせながら、約束の週末を待った。


 初めての二人だけでの休日のおでかけ。

 緊張しつつも、駅前で待ち合わせをして、イベント広場を見て回り、楽しい時間を過ごす。

 少し疲れてきたので、どこかでお茶でもしようかと思っていた時、後ろから声がした。

「ん、あれ?慎二と未紗季?」

 未紗季が視線を向けると、そこには日向と、日向の彼女・吉野(よしの)綾那(あやな)がいた。

「何やってんの、いい雰囲気で。」

 日向が笑顔で手を振る。

「こんにちは。はじめまして。」

 綾那がにこやかに微笑む。

「お前らもデート?」

「えっ!? あ、あの……。」

「ああ、そうだ。」

 未紗季が慌てていると、慎二はきっぱりと返事をした。

「なーんだ、そういうことになってたのかよ。」

 日向はニヤニヤしながら頷いていた。

「お邪魔じゃなかったら、一緒にお茶でもしない?」

 綾那が優しく提案する。

「えっ……。」

 未紗季は慎二のほうをちらりと見る。

「いいんじゃないか?」

 慎二は特に否定しなかった。

 こうして、四人で一緒にカフェに入っていった。

「で、いつからなんだよ、お前ら。」

 日向のニヤニヤが止まらない。慎二は一見クールなままのようで、実は照れたような顔をしながら、それを見られないように、日向と目を合わせられずにいた。

「まあ、まあ、細かい詮索はいいじゃない?お二人、とってもお似合いよ。」

 日向と綾那の自然な雰囲気を目の当たりにし、未紗季は真っ赤になって下を向きっぱなしだった。そして、そっと慎二の横顔を見た。

(私たちも、日向たちみたいな自然な関係になれるのかな?)

 慎二も相変わらず瞳を泳がせながらも、頬は少し赤くなっていた。


 そして月日は流れ、四月。入社二年目となった未紗季、慎二、日向の三人が、初めて任されたプロジェクトのプレゼンが無事成功し、クライアントからも好評を得た。

「やったなー!」

 日向が上機嫌で腕を伸ばす。

「まあ、悪くないな。」

 慎二は控えめに微笑む。

「本当に良かった。」

 未紗季も心から思った。新人研修のときの、三人チームでの模擬プレゼンを思い出す。あの時以来の達成感だった。

 打ち上げも兼ねて、仕事終わりに三人で居酒屋へ。

「乾杯!」

「次も頑張ろうぜ!」

 楽しく笑い合いながら、未紗季は思う。

(こんな日がずっと続けばいいな。続くよね、私たちなら……)

「お疲れさま!」

 明るい声がして振り向くと、綾那が店に入ってきた。

「こっち、こっち!」

 日向が嬉しそうに手を振る。

「仕事終わったから、ちょっとだけ顔出そうと思って。」

 綾那はにこやかに席につき、日向の隣に座る。

「プレゼン成功、おめでとう。お疲れさま。」

 そう言って、綾那もビールを注文し、グラスを持ち上げる。

「ありがとう、綾那さん!」

「みんな頑張ったね。」

「まあな。」

 慎二がぼそっと答える。

「これからも、いいチームでいられるといいね。」

 綾那の言葉に、未紗季も強くうなずいた。


 月日は穏やかに流れていく。楽しいこと、幸せに感じることを、未紗季は少しずつ大切に積み上げてきた。

 でも、もちろんいいことだけでなく、毎日一緒に過ごしていればぶつかることもある。慎二のぶっきらぼうな性格と、言葉足らずなところから、些細な行き違い、言い争いになることも何度となくあった。

 でもケンカになったときには、日向が間に入るのがいつもの流れだった。

「はいはい、ケンカするなー。」

(日向、いつもフォローありがとう……)

 こんな小競り合いも、「仲がいいからこそ」。

 けんかになったとしても、お互いどちらからともなく、素直に謝りすぐに仲直りができる、そんな関係。

 まさか、小さな行き違いから、いつの間にかあんな大きな溝になるなんて、まだ誰も思っていなかった。

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