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今一番好きな人は……

 翌日。昼休みの賑やかな食堂。今日は朱音の姿は見当たらなかった。代わりに未紗季の向かいには颯也が座り、軽く談笑していた。

「昨日はありがとうね。楽しかったね。」

 未紗季が微笑むと、颯也も少し照れくさそうに笑う。

「はい、僕もすごく楽しかったです」

 サテライトオフィスにいたときは、こんな風に話す機会もなかった。たった数日とはいえ、こうして再会できたことで、未紗季との距離が少しずつ縮まっている気がして、颯也は内心嬉しかった。

「午後から外回りなんですけど、もし会社に戻るのが、未紗季さんの帰る時間に間に合えば、一緒に帰りませんか?」

「うん、わかった。楽しみだね。」

 ちょうどそのときだった。視線を感じて未紗季が顔を上げると、食堂の入り口に、見覚えのある姿があった。

 圭吾が、彼女のほうへまっすぐ歩いてくる。近くまで来て颯也にも気づいたようだった。

「あ、佐藤、久しぶり。元気そうだな。」

「あ、佐々木さん。」

 突然の背後からの言葉におどろいた颯也は、思わず立ち上がった。圭吾はすぐに手を前に出し、「座って」と合図を送り、それ以上、颯也に言葉をかけることなく、すぐに未紗季へと視線を戻す。

「未紗季、ちょっといいか?」

 そう言いながら、トレイも持たずにやってきた圭吾は、そのまま颯也の隣に座る。颯也は慌てて、もう一度、席を立つ。

「ごめんね。」

 未紗季は颯也に小さく声をかけた。

「大丈夫です。失礼します。」

 圭吾に丁寧に頭を下げ、颯也はその場を去るしかなかった。言いようのないざわつきを感じながら、トレイを返却口へと持っていった。そんな彼の肩をポン、と叩く者がいた。

「お前さ、もしかして佐々木さんの彼女にちょっかいかけようとしてたのか?」

 以前の圭吾と未紗季の交際を知る同僚から、軽い冗談めいた口調で言われ、颯也は我に返った気がした。

「はは、そんなこと……。」

(そうだ、高宮さんと佐々木さん、忘れていたわけじゃないのに……。)

 未紗季と圭吾の間で、当時どんなやり取りがあったか知る由もない颯也は、昨夜の未紗季の言葉を思い出していた。

『私が佐藤君と一緒にいたかったから……』

 それを聞いたとき、我を忘れるほど、ものすごく嬉しかった。が、その言葉にどこまでの意味があったのか、今の彼には分からなくなっていた。

 颯也はモヤモヤした気持ちのまま、静かに食堂を後にした。


 颯也の胸に広がったざわつきは、午後になっても晴れることはなかった。当然だ。未紗季と圭吾の関係がその後どうなっていたのか、何も知らないのだから。

 ついさっき『一緒に帰りませんか?』と気軽に誘っていた自分が、急に場違いな存在に思えてくる。

(少し浮かれてたのかもしれない……)

 未紗季が『ごめんね』と言ったときの表情が、どうしても頭から離れない。何を考えていたのか、何を思っていたのか。

 一方、未紗季は食堂を出た後、圭吾から言われた言葉が気になっていた。

「今日、退勤後に時間があれば、五階の『経営企画部 部長代理室』まで来てくれないか。」

 そう言い残し、彼はすぐに去っていった。

 何の話だろう……そう思いながらも、不思議と心は落ち着いていた。未紗季の心はもう決まっている。気持ちを切り替え、午後の業務に戻った。


 業務を終え、未紗季は帰り支度をし、エレベーターで五階へ向かう。会社の最上階に足を踏み入れると、そこは未紗季が普段働いているフロアとはまるで別世界のようだった。廊下に並ぶ部屋はどれも重厚な扉がついていて、足音すら吸い込まれそうな静けさがある。

 ——経営企画部 部長代理——

 プレートに刻まれた肩書きが、圭吾の現在の立場を物語っていた。未紗季は、それを見て改めて理解する。彼はすでに会社の中枢へと足を踏み入れているのだと。

 未紗季は、重厚なドアをノックし、促されて部屋に入った。圭吾の前まで進むと、彼は開口一番こう言った。

「東京本社の吉田取締役のお嬢さんと、結婚することになった。」

 圭吾がそう切り出したとき、未紗季はすぐに理解した。この場所に部屋を与えられた理由、帰国のタイミング、そして今の彼の立場を。

「昨日、たまたま相澤課長の歓迎会に行ってた朱音から写真付きで連絡があって。結婚するんだって、って書いてありました。」

 この場の雰囲気で思わず敬語で話してしまう。

「おめでとうございます。」

 祝福の言葉を述べ、深く頭を下げた未紗季を見て、圭吾は少し胸が痛んだ。

「アメリカに行ってる間に、向こうで留学してた吉田取締役のお嬢さんと会う機会があったんだ。あちらが俺を気に入ってくれてな。それで、留学が終わり次第帰国し、結婚……って話になった。」

 未紗季は、黙って圭吾の話を聞いていた。

「だから、アメリカ行きは何年かかるかわからないって言ってたけど、予定を早めて帰ってくることになった。結婚するために帰国したんだ。」

 圭吾の言葉が静かに部屋に響く。

「アメリカに行くって言った時、未紗季が俺に言ったこと、覚えているか?」

「覚えています。『帰ってきたときにお互いにパートナーがいなくて、まだ一番好きだと感じていたら、またそこから始めましょう』って。」

「実は、その言葉がずっと気になっていた。だから、今の俺の状況をちゃんと伝えようと思って、お前を探した。」

「……。」

「でも……久しぶりにお前の顔を見たら、正直、決心が揺らいだ。」

「え……?」

「久しぶりに会ったお前は変わってなかった。いや、仕事で成長したのも一目でわかる。キラキラした笑顔にまた会えた、って思ったよ。」

 圭吾はそう言いながら、未紗季の顔をじっと見つめた。

「俺は、アメリカで新しい道を歩むことを決めた。でも、今こうして改めて未紗季と向き合って、本当にこれでいいのかって、自分の決断に自信がなくなってきた。正直、揺らいでいる。」

 未紗季は一瞬、言葉を失った。

「どういうこと……?」

 役員室というプレッシャーからようやく解放されつつある未紗季は、以前どおりの言葉で、ゆっくりと問いかけた。圭吾はすぐには答えず、少しだけ目を伏せてから口を開いた。

「自分でもよく分からない。でも、一つだけ言えるのは、未紗季の顔を見て、決心が揺れてしまった、ということだ。」

 未紗季は驚いたが、冷静に答えた。

「私は……、大丈夫。」

 圭吾の目がわずかに見開かれる。

「というと?」

「うん。私、今好きな人がいるの。その人は私のことをどう思っているかはまだわからないけど。」

 未紗季は淡々と、自分の気持ちを言葉にする。

「圭吾さんとサヨナラしてから、初めて『この人を好きになりたい』って自分から思える人に出会えたの。それがすごく嬉しかった。だから、私はもう、何も迷ってない。」

 圭吾の表情が微かにこわばる。

「そうか……。」

「うん。だから圭吾さんも、自分で決めたことに、自信を持って進んでほしい。」

 未紗季の言葉は優しく、それでいて強かった。圭吾はしばらく黙ったまま、未紗季を見つめていた。やがて、ふっと小さく笑う。

「そうだな。……未紗季、強くなったな。」

「そうかな?」

「そうだよ。俺が迷ってるのが、なんかバカみたいに思えてきた。」

 未紗季は小さく笑った。圭吾はもう一度、未紗季の顔を見て、少し寂しそうに笑った。

「ちゃんと自分の気持ちを話してくれて、ありがとう。未紗季には、幸せになってほしい。」

「圭吾さんも。……じゃあ、私、そろそろ行くね。」

 圭吾は小さく頷きながら、未紗季の背中を見送った。未紗季は最後にまたこちらを向き、丁寧に一礼をしてから、重い扉の向こうへと消えていった。

(俺だけが、あの時の言葉に縛られてたのか……)

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