再会からの甘い約束
週明けの月曜日。未紗季はデスクの資料をまとめながら、ふと先日の親睦会を思い出した。颯也との再会。気が付けば、そのことばかりが頭に浮かんだ。
なかなか仕事に集中できず、ぼんやりしていると、昼休みを告げる時間になった。
「未紗季! 食堂行こ!」
隣のコンテンツ企画課のフロアからやってきた朱音に促され、社員食堂へ。いつものようにゆっくり食べる未紗季に朱音がしびれを切らす。。
「もう、相変わらず食べるの遅いよね(笑)。私コンビニで買いたいものあるから、ちょっと出てくるね。」
とっくに食べ終わった朱音が、そう言って食堂を出たのと入れ違いにやってきた人物声をかけられた。
「高宮先輩、一昨日はお疲れさまでした。」
未紗季が顔を上げると、颯也がトレイを持って目の前に立っていた。
「あ、佐藤君。」
「向かい、いいですか?」
「え? あ、うん。」
颯也が向かいの席に座る。
「どう? そろそろ落ち着いた?」
と、落ち着かない様子の未紗季が尋ねる。
「はい、なんとか。引継ぎもひと段落したんで、今日から本格的に企画戦略課の仕事に入ります。」
「そっか。じゃあこれからは、業務で顔を合わせることもありそうだね。」
そんな話をしていると、颯也がふと箸を止めて言った。
「せっかく再会できたんで……今日は夕飯、一緒にどうですか?」
「え?」
未紗季は思わず顔を上げる。
「仕事終わり、時間あります?」
「まぁ、あるけど。」
「じゃあ決まりですね。」
勢いに押された感じで、未紗季は颯也の笑顔を見ながら、ただ「うん」と頷いた。
退社時間を迎え、未紗季はオフィスを出ると、約束通りエントランスへ向かった。颯也の姿はまだ見えない。腕時計をちらりと見て、ふっと息をついたそのとき……。
「未紗季!」
振り向くと、笑顔の朱音が駆け寄ってくる。
「ねぇ、今から有志で相澤部長の歓迎会やるって。参加自由なんだけど、未紗季も行こうよ!」
そう言いながら、未紗季の腕をぐいっと引っ張る。
「え? バーベキューのあとも二次会やってたんじゃないの?」
朱音の強引な誘いに戸惑う未紗季だったが、とっさに視線をエレベーターホールへ向けた。ちょうど颯也が到着したところで、未紗季の視線に気づきこちらへ向かって歩いてきた。
「ごめんね、今日は先約があるから。」
そう言って、未紗季は朱音の手をそっとほどいた。
「残念だけど……朱音は楽しんできて。」
「えー、そっかぁ。じゃあ、またね!」
朱音は少し残念そうな顔をしたものの、すぐに切り替えて手を振りながら去っていった。
未紗季がふぅと息をつくと、颯也が一歩近づいてきた。
「僕にかまわず行ってください。」
「え? 大丈夫だよ。」
即答する未紗季を、颯也はじっと見つめる。
「『残念』って言ってたし……。」
「ああ、あれは、誘いに応えられなくて『残念』って意味だよ。」
それでもどこか遠慮しているように見える颯也に、未紗季は苦笑しながら言葉を足した。
「だって、佐藤君との約束が先だったんだし。」
「そう、ですね。いいんですか?」
颯也は少し間を置いてから、柔らかく笑った。それでも、どこかまだ気にしているように見えたのだが……二人はそのまま、駅へ向かって歩き出した。
食事を終え、店を出た二人は、近くの河川敷の遊歩道をゆっくり歩いていた。夜の風がほんのりと冷たく、春の匂いを含んでいる。
食事中は終始楽しい時間だった。サテライトオフィスでの颯也の奮闘ぶり、日向とのやり取り、時には「日向との噂」について軽くからかわれたり……。颯也は笑っていたが、どこか少しだけ複雑そうではあった。
そんな颯也を見ながら、ぼんやり考える。
(佐藤君、ずいぶん成長したな……)
話し方も、態度も、未紗季が知っていたころの颯也とは違う。あの新入社員だった彼が、……と思うと、少し不思議な気がした。そんなことをぼんやりと考えていると、隣を歩く颯也が、ふと足を止めた。
「本当に……あっちに行かなくてよかったんですか? 今からでも……。」
少し伏し目がちに、颯也はそう言った。食事中は努めて明るく振る舞っていた彼だったが、今は少しだけ暗い表情を浮かべていた。
「え? まだ気にしてたの。」
未紗季は肩をすくめるように言った。
颯也は少し気まずそうに視線をそらしながら、「だって……」と口ごもる。
「こちらの約束が先だったからって、律儀に守ってくれたんだなって思って。」
颯也の表情はどこか申し訳なさそうで、その気遣いが未紗季には少しくすぐったかった。
「ごめん。」
思わず、未紗季は小さく笑ってしまった。
「私、嘘ついてたよ。」
「え?」
颯也が驚いたように顔を上げる。
「こっちの約束が先だったから、朱音の誘いを断ったんじゃないよ。」
未紗季は夜風に吹かれながら、ふっと目を細めた。
「私が、佐藤君と一緒にいたかったから……。」
しんとした静寂が流れた。
——あ。
言ってしまってから、未紗季は自分の言葉に気づく。
(私、今、何て……?)
考えるよりも先に口をついて出た本音。隣の颯也をそっと見ると、彼は目を見開いたまま固まっていた。
夜の川沿いの遊歩道。聞こえるのは、水の流れる音と、遠くを走る車の音。そして、未紗季の胸が高鳴る音だった。
自分の本音に気づいたばかりで、どう言葉にすればいいのか分からない。
颯也は微笑むように小さくうなずくと、それ以上は何も言わなかった。
ぎこちなくも、どこか心が温まるような空気の中、二人は並んで歩き出す。街灯が照らす遊歩道を、一歩ずつ……。
会話は、ぽつぽつと途切れながらも、不思議と居心地はよかった。やがて駅に着き、「じゃあ、また」と短く言葉を交わし、それぞれのホームへ向かう。
電車の到着を知らせるアナウンスが流れる頃、未紗季は胸の奥が、じんわりと温かくなるような感覚を覚えていた。
帰りの電車に揺られながら、未紗季がスマホを取り出すと、朱音からのメッセージが並んでいた。
『ちょ、ちょっと未紗季!!!』
『相澤課長の歓迎会に、すごいのが来たんだけど!!』
『ほら!!!』
添付された写真を開いた瞬間、未紗季の目が大きく見開く。
「え?」
そこには、見覚えのある顔、佐々木圭吾——相澤の隣に、相変わらずクールな表情をたたえた圭吾が座っていた。
久しぶりに見る圭吾の姿に、懐かしさよりも驚きがあった。。
『びっくりじゃない!? なんでも、結婚が決まって帰国したんだって!』
思わず、指が止まる。アメリカに行っていた圭吾が、結婚のために帰国‥‥。
圭吾から、アメリカに行くと告げられた日のことを思い出す。
「帰ってきたときにお互いにパートナーがいなくて、お互いにまだ一番好きだと感じていたら、またそこから始めましょう。」
そう言ったのは、未紗季自身。このまま、誰のことも好きにならないのかと思っていた。この状態で圭吾が戻ってきたら、どうなるんだろう……そう思っていたけれど。
『こっちの約束が先だったから断ったんじゃない。私が佐藤君と一緒にいたかったから……』
思わず恥ずかしさで口を押さえる。思い返すだけで、顔が熱くなる。
(私、なんであんなこと言っちゃったんだろう。)
電車の窓に映る自分の顔は、少しだけ赤くなっていた。スマホの画面を閉じ、そっと目を閉じる。
「圭吾さん、おめでとう。」
心の中でそうつぶやいたあと、今度はそっと自分の胸に手を当てた。
(次は、私が前に進む番だね。)
夜の街を駆け抜ける電車は、これからの未紗季の気持ちの変化を象徴するように、静かに次の駅へと向かっていた。
翌日。昼休みの賑やかな食堂。今日は朱音の姿は見当たらなかった。代わりに未紗季の向かいには颯也が座り、軽く談笑していた。
「昨日はありがとうね。楽しかったね。」
未紗季が微笑むと、颯也も少し照れくさそうに笑う。
「はい、僕もすごく楽しかったです。」
サテライトオフィスにいたときは、こんな風に話す機会もなかった。たった数日とはいえ、こうして再会できたことで、未紗季との距離が少しずつ縮まっている気がして、颯也は内心嬉しかった。
「午後から外回りなんですけど、もし会社に戻るのが、未紗季さんの帰る時間に間に合えば、一緒に帰りませんか?」
「うん、わかった。楽しみだね。」
ちょうどそのときだった。視線を感じて未紗季が顔を上げると、食堂の入り口に、見覚えのある姿があった。
圭吾が、彼女のほうへまっすぐ歩いてくる。近くまで来て颯也にも気づいたようだった。
「あ、佐藤、久しぶり。元気そうだな。」
「あ、佐々木さん。」
突然の背後からの言葉におどろいた颯也は、思わず立ち上がった。圭吾はすぐに手を前に出し、「座って」と合図を送り、それ以上、颯也に言葉をかけることなく、すぐに未紗季へと視線を戻す。
「未紗季、ちょっといいか?」
そう言いながら、トレイも持たずにやってきた圭吾は、そのまま颯也の隣に座る。颯也は慌てて、もう一度、席を立つ。
「ごめんね。」
未紗季は颯也に小さく声をかけた。
「大丈夫です。失礼します。」
圭吾に丁寧に頭を下げ、颯也はその場を去るしかなかった。言いようのないざわつきを感じながら、トレイを返却口へと持っていった。そんな彼の肩をポン、と叩く者がいた。
「お前さ、もしかして佐々木さんの彼女にちょっかいかけようとしてたのか?」
以前の圭吾と未紗季の交際を知る同僚から、軽い冗談めいた口調で言われ、颯也は我に返った気がした。
「はは、そんなこと……。」
(そうだ、高宮さんと佐々木さん、忘れていたわけじゃないのに……。)
未紗季と圭吾の間で、当時どんなやり取りがあったか知る由もない颯也は、昨夜の未紗季の言葉を思い出していた。
『私が佐藤君と一緒にいたかったから……』
それを聞いたとき、我を忘れるほど、ものすごく嬉しかった。が、その言葉にどこまでの意味があったのか、今の彼には分からなくなっていた。
颯也はモヤモヤした気持ちのまま、食堂を後にした。
颯也の胸に広がったざわつきは、午後になっても晴れることはなかった。当然だ。未紗季と圭吾の関係がその後どうなっていたのか、何も知らないのだから。
ついさっき『一緒に帰りませんか?』と気軽に誘っていた自分が、急に恥ずかしく思えてくる。
(少し浮かれてたかもしれない……)
未紗季が『ごめんね』と言ったときの表情が、どうしても頭から離れない。何を思ってそう言ったのか。
一方、未紗季は食堂を出た後、圭吾から言われた言葉が気になっていた。
「今日、勤務終了後に時間があれば、五階の『経営企画部 部長代理室』まで来てくれないか。」
そう言い残し、彼はすぐに去っていった。
何の話だろう……そう思いながらも、不思議と心は落ち着いていた。未紗季の心はもう決まっている。気持ちを切り替え、午後の業務に戻った。




