待ってる奴がいる
新しい環境にも徐々に慣れ始め、未紗季は広報部での仕事に本格的に取り組んでいた。
『今日は定時で上がれそうだから、久しぶりに夕飯でも一緒にどうだ?』
日向から未紗季にそう連絡が入り、仕事帰りに合流した。お互いに忙しく、こうしてゆっくり話せるのは久しぶりだ。
「最近、サテライトでちょっとした噂になってんだぜ。」
食べながら、日向がふと口にする。
「噂?」
未紗季が首をかしげると、日向は苦笑して続けた。
「仕事中、未紗季からしょっちゅう電話がかかってくるし、今日も帰りに一緒に飯って……絶対付き合ってるだろってな。」
思いがけない言葉に、未紗季はむせながら答えた。
「えー、なにそれー!」
二人で顔を見合わせて大笑い。
入社してすぐ、日向には彼女がいると知っていた。だから、最初からそういう目で見ることはなかった。でももし、彼女がいなかったら……?
今こうして気を許せる間柄になって、自然に食事をする関係になって、もしこのまま付き合ったら、案外うまくいったりするんだろうか?
(いやいや、何考えてるんだろう、私。)
日向はというと、少し遠くを見ていた。
(きっと、まだ綾那さんのこと忘れられていないよね。)
「ところで、慎二からなんか連絡あったか?」
未紗季はハッと我に返った。
「ないよー。きっともう、私のことなんて忘れてる……。」
明るく言ったつもりだった。でも、口にした瞬間、自分でもわかるくらいしんみりしてしまった。
「おまえもさ、もう慎二のこと忘れて、新しい彼氏でも作れよ。」
日向はそう言って、軽く笑う。いつものように、冗談交じりの軽い調子で。
「実はね、つい最近まで付き合ってた人、いたんだよ。」
「え? 意外だよ。まさか慎二以外に……なんて。」
日向が驚いたように未紗季を見る。
「日向が広島に行くタイミングで、大阪に異動してきた人でね。それでまた日向と入れ違いで、今度はアメリカに行っちゃって……。まあその異動きっかけで別れたっていうか。」
「ふーん。」
日向は少し考え込むように言った。
「べつに、誰とも付き合わず、に慎二を待ち続けてるってわけじゃないんだよ。」
そして自分に言い聞かせるように言った。
「ただ……『帰ったら話そう』って言葉があったから。慎二が帰ってきたら、ちゃんと話をしたいとは思ってる。」
(誰かと付き合うのは、全然いい。でも、慎二が帰ってきたときに、日向と付き合ってるっていうのだけは、なんとなくありえない……)
未紗季がそう思いながら、ふと日向を見ると、彼もまた何かを考えるような顔をしていた。
(もし俺が綾那のことを吹っ切っていたら……未紗季と付き合うということも、自然な流れかもしれない。でも、慎二のことを考えると……。いや、それ以上に、俺はまだ綾那のことを忘れられないでいる。)
「そっか。」
日向はそう呟き、静かに笑った。未紗季も微笑み返す。二人とも心の奥に浮かんだ思いを、そっとしまい込んだ。心の底に複雑な思いを抱えながらも、それでも二人は大切な友人であることに、変わりはなかった。
ある日のサテライトオフィス。男性社員が、未紗季から日向への電話を取り次いだ。
「藤原主任、支店広報部の高宮さんからお電話です。」
日向は「お、サンキュ」といつもの調子で未紗季からの電話を受けた。もちろん仕事の要件だったが、今日も帰りがけに一緒に食事に行こう、ということで話は終わった。
電話を取り次いだ男性社員――佐藤颯也が日向に声をかけた。
「前から気になってたんですけど……。藤原主任って、支店の高宮さんと、付き合ってるんですか?」
「え?」
この春、日向が広島から戻りサテライトオフィス勤務になったのと同時に、颯也もこのサテライトに異動になり、日向と一緒に働いていた。日向は颯也が未紗季と知り合いだとは知らない。
「ほら、噂になってますよね?」
「お前まで言うか。」
日向は苦笑するしかなかった。
(そう、それにあの日……。入社式の後、食堂で泣いていた高宮さんの前にいたのは、間違いない、藤原先輩だ。最初に一目見てすぐに思い出したんだ。)
「僕も何度か高宮さんからの電話を取り次いだことありますけど、いい雰囲気ですよね。今日も仕事終わり食事の約束してたみたいですし。」
日向は、照れながらもきっぱりと否定した。
「ないない、ただの同期だよ。」
そして少し間を開けて、付け加えた。
「それに、俺なんか眼中にないよ、あいつは。待ってるやつがいるからな……。」
最後のほうは、日向はまるで自分に言い聞かせるかのようにつぶやいた。
颯也は一瞬、驚いたような顔をし、それから納得したように頷いた。
「そうか、そうですよね……。」
(やっぱり、アメリカに行った佐々木さんのこと、待ってるんですよね……。)
颯也は入社して最初の上司、佐々木圭吾を尊敬していた。その圭吾の恋人である未紗季が、アメリカに行った圭吾を待っているのは当然のことだろう。
日向の言う「待ってるやつ」は当然、慎二のこと。どうやら、ここで二人の思いは違う方向を向いていたようだ。
「お前、他人の電話盗み聞きしてないで、ちゃんと仕事しろよ!」
最後は照れ隠しのようだった。
颯也にとって、日向は圭吾とは全く違うタイプだが、明るく気さくな尊敬できる先輩だった。日向と未紗季の帰りがけの約束がないときは、一緒に飲みに行く、ということもよくあった。頼れるアニキ的存在、颯也は日向のことをそう思っていた。日向も、明るく素直で頑張り屋の颯也を、後輩としてかわいがっていた。サテライトオフィスで、いいコンビとしてやっているようだ。
未紗季が広報部に異動し、二年の月日が流れ、八回目の春を迎えた。「サブリーダー」から「チームリーダー」へと昇格し、また新たなステージが始まることになる。




