始まりの春
「高宮未紗季です。今年専門学校を卒業して、こちらに入社しました。まだまだ分からないことばかりですが、頑張ります。どうぞよろしくお願いします。」
専門学校を卒業し、広告業界への憧れを胸に未紗季が飛び込んだのがこの会社、Be-commarketing、通称「ビーコン」。
もともとは大阪発の広告・マーケティング会社で、今では本社を東京に移し、全国に拠点を持つ大手企業へと成長している。広告戦略からブランドコンサルティング、デジタルマーケティングまで幅広く手がけている会社だ。
『自分もマーケティング業界で成長していきたい。』
期待に胸を膨らませ、未紗季は社会人生活をスタートさせた。
「え、専門卒? じゃあ二十歳?若いなー、 俺らより二つ下か。」
隣に座っていた日向が驚いたように言った。
「はい……。」
「別に年齢は関係ないだろ。」
さらにその隣に座っていた慎二のぶっきらぼうな言い方に、未紗季は少し戸惑ったが、どこか冷静で落ち着いた雰囲気のある人だと思った。
「藤原日向です。 みんなと楽しくやっていきたいと思います。よろしく!」
「野口慎二、です。よろしくお願いします。」
日向の明るい声に、未紗季の緊張が少しほぐれた。
入社してからの二ヶ月は研修期間。まず最初に全員でビジネスマナーなどの基本研修を受けた後、個人が別々に、それぞれ各部署をまわりながら研修を受けてきた。
そして最終週は、「グループワーク」。再び新入社員が全員顔を合わせた。チームに分かれ模擬プレゼンを考え、発表する。
未紗季、慎二、日向の三人で一チームになった。 最初の顔合わせのときに、隣り合っていたメンバーだ。話をしたことのある顔ぶれと同じチームになり、未紗季は少し安心した。
模擬とはいえ、初めてのプレゼンの資料作り。新人の三人はお互い案を出し合い、時に意見もぶつかり合った。
ちょっとほっとする昼休み。三人は一緒に社員食堂で昼食をとっていた。
「高宮さん、年下と思えないくらい、しっかりしてるよな。俺なんかよりよっぽど具体的な意見が出てくるから、驚いたよ。」
日向がそういうので未紗季は少し照れくさかった。
「だから、歳は関係ないだろ。」
(野口君、最初の自己紹介のときのこと、覚えてたんだ。)
慎二の言葉に、美咲は少し驚いた。
その時、日向のスマホにメッセージの着信があった。
「あ、綾那からだ。」
「ひょっとして彼女さんですか?」
興味津々という感じで聞いてきた未紗季に、日向がちょっと照れたようにこたえる。
「あ、ああ。大学時代からのな。同い年で彼女も今年から社会人なんだよ。」
そう言いながら、日向は彼女とのツーショット写真を見せてきた。
「素敵な人ですね。」
「そうだろ、俺にはもったいないくらいの彼女だよ。」
ちょっとデレている日向に、未紗季は思わず微笑んだ。
「なんか、すごい鼻の下伸びてますよ。」
そこへ慎二が冷静に指摘を入れてきた。
「同期で一緒にやってくんだからさ、歳が違うからって遠慮して敬語使わなくていいって。」
「は、はい……あ、うん。わかった。」
自分はみんなより年下だから……と、今までなんとなく気後れしている部分があったけど、こんな風に言ってもらえて、未紗季はちょっとほっとした。
「さ、彼女からのメッセージ見て、ちょっと元気復活したから、午後からもまた頑張ろっか!」
三人は立ち上がり、午後の研修へと戻っていった。
研修も終盤、プレゼン資料作りも大詰めを迎えてきた。
「やっぱり、こっちの案のほうがいいって。」
「いや、俺の案のほうがインパクトがある!」
お互い譲らない日向と慎二に対し、未紗季が冷静に言葉を挟む。
「どっちにしても、予算からは大きくオーバーしちゃうよ。」
慎二も日向も、驚いて未紗季の顔を見た。でも二人とも、自分の案を引っ込めようとはしなかった。
「じゃあ、野口君のこの部分と、藤原君のこの部分、うまくバランスをとるようにして、ここをこう工夫したら……。」
未紗季が資料やタブレットを駆使して、コスパをはじき出す。
「ほら、予算内におさまるし、二人の意見も、ちゃんと反映できると思うけど。」
「おー、すげー!」
日向は目を丸くして驚いた。
「うん、悪くないな。」
慎二も、未紗季の意見を素直に受け入れた。
そうして、慎二と日向の案をもとに、未紗季が簡潔でしかもインパクトのある、魅力的なスライドを作り上げた。
明日はこれをもとに、各チームがプレゼンを行う。未紗季はそれを考えると、緊張して、なかなか眠りにつけなかった。
翌日、各チームのプレゼンがスタートした。どこのチームも、自分たちよりいいものに見えてくる。
いよいよ、最後、未紗季たちのチームの番だ。
未紗季の作ったスライドをもとに、慎二が冷静に解説していく。少し淡々としすぎている感はあったが、そんな時は、日向が熱のこもった喋りで自然と方向転換させる。見事なチームワークだった。
日向は明るいお調子者のようだが、しっかりした意見も持っているし、締めるところは締めて、きちんと軌道修正してくれる。頼もしい同僚になりそうだ。
日向とは全く違ったキャラクターで、口数の少ないクールな慎二。余計なことは挟まず、論理的に的確に物事を進めるタイプだ。少し苦手なタイプかと思っていたが、今回一緒にやってきて、見た目よりも接しやすかった。
緊張の時間が終わり、ほっと席につく。全チームのプレゼンが終わり、ふたを開けてみれば、見事予算内に収めていたのは未紗季たちのチームだけだった。もちろん、他のチームも、参考になる部分はたくさんあった。正式な業務につく前に、いい経験ができた、このチームでよかった……未紗季はこの仲間と別れることが少し寂しいと感じ始めていた。
終業後、日向は彼女と待ち合わせがあると、早々に帰っていき、未紗季は慎二と並んで駅まで歩いていた。
(研修が終われば、配属先が決まる。この人ともう、一緒に組むことはないのかもしれない……)
気が付くと、未紗季はそっと慎二の横顔を見つめていた。
会社を出て少し歩いたところで、今日の緊張から解き放たれたことと、チームが離れ離れになる寂しさ、昨日の寝不足……それらが一度に未紗季に襲い掛かった。ふっと立ちくらみを起こし、その場にしゃがみこんでしまった。
「おい、大丈夫か?」
慎二が心配そうに未紗季の顔をのぞき込む。
「無理しなくていいから。大丈夫そうなら、そこのベンチまで歩けるか?」
未紗季は慎二の肩につかまりながら、ゆっくり立ち上がり、少し先の自販機横のベンチへと歩いて行った。
慎二が自販機でスポーツドリンクを買い、未紗季に渡す。
「迷惑かけて、ごめんなさい。」
「迷惑とか気にすんな。よくなるまでちょっと休んでたらいいから。」
「せっかくみんなで頑張ったんだから、どうしても成功させたいとか、私がお二人の足を引っ張らないようにとか考えると、昨日は緊張してよく眠れなくて……。」
(少しは肩の力ぬけよ。お前が俺らの足引っ張るとか、深刻に考えすぎだよ。)
未紗季は慎二の肩にもたれ、スポーツドリンクをゆっくり飲んだ。疲れている体や、緊張していた心にしみわたるようだった。
慎二のほうは、肩がとても熱いと感じていた。それは未紗季の体温のせいだけではなかっただろう……。
少しして、未紗季の呼吸も整ってきた。
「大丈夫か?電車で帰れるか?無理ならタクシー呼ぼうか。」
「大丈夫、ありがとう。お陰で随分よくなりました。このまま帰れます。」
そして再び駅まで歩き始めた。
「もう大丈夫です。本当にありがとうございました。」
「だから、敬語辞めろって。今日はゆっくり休めよ。」
「うん、ありがとう。じゃあ、おやすみなさい。」
「ああ、また明日。」
二人は手を振って別れ、別々の電車で帰っていった。
そして迎えた研修最終日。午前は昨日のプレゼンの講評などが行われた。未紗季たちのチームへも、まずまずの評価をもらうことができた。
そして午後からは、いよいよ正式に配属先が決定する。その前の昼休みの社員食堂で。
「野口君、昨日は本当にありがとう。」
「もういいのか?」
「うん、昨日はゆっくり眠れたから。」
「ならよかった。」
二人の会話に日向が反応する。
「何、何? なんなの、二人でいい感じになっちゃって。」
二人であわてて首を振る。
「そんなんじゃないから。」
未紗季も慎二も、少し顔が赤かった。未紗季が慌てて話題を変える。
「今日、いよいよ配属先が分かるんだよね。ドキドキだね。」
慎二も続いて話す。
「研修期間って長いと思ってたけど、終わってみるとあっという間だった気がするな。」
日向は、ちょっと納得いかないという顔をしながらも、話を合わせた。
「だな。いよいよ正式に社員として働き始める第一歩だなー。」
何とか話題も変わり、未紗季はほっと胸をなでおろした。
(でも、なんで私、こんなに慌ててるんだろう。別に、大したことじゃないのに……)
「でもやっぱ、気になるよなー、どこに配属されるか。」
常にポジティブ思考の日向でさえも、研修が終わり正式に配属されることを気にしているようだった。
未紗季も改めて思った。
「もしバラバラになっちゃったら、少し寂しいかも……。」
「そうだな、研修中はずっと一緒だったから、これが当たり前に思えてきてたよ。」
慎二はもっとあっさりしたものかと思われたが、意外にも寂しいと感じているのだろうか。
日向は持ち前の明るさで、すかさず切り換える。
「でも、同じ会社には変わりないし、顔ぐらい合わせられるさ。食堂とかでさ。」
「それもそうだね。」
未紗季はふっと息を吐き、少しだけ肩の力を抜いた。
「さて、午後から、運命の発表かあ。」
「何が来ても、腹くくるしかないな。」
「よーし、どこ配属されても、三人でまた飲みに行くって約束な!」
あらためて三人で顔を見合わせ、うなずいた。
そして午後の会議室。緊張感の漂う空気の中、研修を終えた新入社員たちが並んで座っていた。
緊張の中、発表された三人の配属先は……。
プロモーション企画部 ブランド戦略課――。
未紗季、慎二、日向、三名そろっての配属となった。
(よかった……三人一緒だ。)
未紗季は呼吸を整え、姿勢を正し立ち上がる。慎二、日向も未紗季に続く。
「よろしくお願いします。」
明るいムードメーカーで、でも実は真面目で責任感が強い日向。
クールで寡黙だけど、仲間思いでさりげない優しさもある慎二。
そして専門学校卒で、二人よりも二歳年下の未紗季。
未紗季は、最初は年齢のこともあり、とても不安を感じていた。でも研修をとおして二人との距離が近づくにつれ、信頼できる仲間だと感じられるようになっていった。その二人と同じ部署に配属され、未紗季はほっと一安心だった。
特に、慎二と一緒になれたこと……心の奥で、なにか小さな温かい気持ちが生まれたことに、未紗季は気づき始めていた。