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七月十二日 小暑 第三十二候 蓮始開

 七月十二日 小暑 第三十二候 蓮始開

僕は生まれつき眼球が成長しない原因不明の障害を持った全盲の中学二年生だ。全盲と言えば何も見えない真っ暗な世界が広がっていると思い浮かべるかもしれない。しかし僕の場合、明暗と薄っすら形が見える。最近では色の識別もできる。きっかけはばぁちゃんの一言からだ。

 小さい頃、家に籠ってばかりいた僕をばぁちゃんは畑によく連れてってくれた。ごつごつした手に引っ張られ畑に向かう。

「あきお、足元に赤い朝顔が咲いとるばい」

 僕は足を止めその場でかがむ。しかし地面から立ち昇る匂いは青臭い草の香りしかしない。手を付き朝顔を探す。刺々しい草に交じりにざらついた細長い茎をたどると、手の平ほどの花がぼんやり見える。僕は朝顔に顔を近づけ匂いを嗅ぐ。花なのになんの匂いもしない。

「この花、何の匂いもせんね。少しご飯を炊くときの匂いがするばってん」

 僕の目にうっすら浮かぶ形と匂いが記録される。目の見えない僕にとって形と匂い、そして音だけが記憶のすべてだ。味覚もあるが花を食べる訳にはいかない。

「ほれ、あきお、隣には青い朝顔が咲いとるばい」

 声と共に、ばぁちゃんは僕の右手を取り、玩具のラッパのような花に触れさせる。指先と薄っすらまぶたに浮かぶ花の形が朝顔だと認識させる。

 ふと、ばぁちゃんが朝顔を呼ぶ時の言葉が気になる。

「さっき赤とか青とか言っとったばってん、それは何」

「あきおは見えんかったな。赤とか青とかは色たい。こん世界はいろんな色で出来取る」

「色」

 僕は頭を傾ける。

「ばぁちゃん、色てなんや」

 ばぁちゃんは言葉を詰まらせる。僕の目に映る物はいつも白い靄がかかり、その先にかすかな形が浮かび上がっている。その形もかすかに太陽や蛍光灯の光で明暗を感じる程度だ。

 僕は陽の光に透かし、朝顔を覗く。花が目の前を覆う。その時白い霞の中にかすかに光る物が見えた。その光はぼんやりしているが指が覚えた形の通り光っている。

「いま目の前に有るのが赤色じゃ」

 ばぁちゃんがつぶやく。

「花が光っとる」

 これが赤色か。それにしても不思議だ。手の中で赤色の朝顔が白く光り、形を作っている。

 僕はもう片方の手にした青色の朝顔にも顔を近づける。すると今度は暗い光の陰が花の形を作っている。へえ、面白い。物には色が有るのか。

地面に膝をつき顔を近づける。靄がかかった視界に小人が使う刀のような影が見える。

「この草は何色」

「それは緑じゃ」

 草は緑。朝顔の青色と同じで、暗い影が見えるだけだ。風が吹くとその影が前後左右に揺れる。すると小さな虫が飛び出してきた。思わず身体をのけ反る。虫は何を思ったのか僕の鼻の上に留まる。「わっ」声をあげ尻もちを着く。恐る恐る手で掴むと虫はごそごそと指の間を動き回る。

「てんとう虫じゃ」

 ばぁちゃんのかすれた声がした。てんとう虫か、びっくりした。手の平を駆けずり回るてんとう虫の身体は白く光り、丸い模様が暗く浮き上がる。

「てんとう虫は何色をしとるんじゃ」

「身体は赤色で丸い模様は黒じゃ。頭は黒く目だけが白くなっちょる」

 身体を覆う白く光るのが先ほど見た赤色か。頭は暗く形どり目のあたりは白く光っている。どうやら僕の目は、太陽の日差しを受け白と黒の二色が区別できるらしい。

 それから僕は手当たり次第、色を尋ねた。おかげでばぁちゃんは畑仕事どころではなくなり、げんなりしていた。

新しい物と出会う度、僕は色を尋ねるようになった。今まで記憶していた物の色も改めて訊く。白と黒の二色だが僕の世界に色が加わり、霞む世界に新たな景色が広がる。

盲学校に通う頃には、白と黒の世界のかすかな強弱が区別でき赤色、黄色、白色などの色が分かるようになった。勿論、黒の世界も同様に青、緑、紫などの色は、濃淡で色を識別できるようになった。

たった二色の世界だが、僕にとっては天地がひっくり返るほど一変した。

それにしても色の世界は面白い。同じ赤でもピンクや橙、赤紫とわずかな色の違いで呼び名が変わる。また、空の色ひとつとっても色んな呼び名がある。昼の空は青空、蒼天、スカイブルーなどと同じ青い空で呼び名を変える。夕方の空は夕焼け、黄昏、雀色と気持ちを表すような様々な色がある。正直、僕にはそのかすかな色の違いは分からない。しかし沢山の色があるのは、その時々の人の想いを表しているのだろうと思った。


先日、学校で友達から相談を受けた。

「普通高校を受験しようと思っとる」

 彼は唐突に話し出す。僕らはみんな盲学校の高校へ進み、訓練を受け就職する。就職先も限られた業種だ。彼の話を聞くまで、それ以外の道がある事を知らなかった。と言うより考えもしなかった。

 彼は頭がよく、特に数学と英語は学校でもずば抜けて成績が良かった。彼ほどではないが、僕も英語と国語の成績は良い。どうやら彼は僕と一緒に一般高校への進学したいようだ。そんな彼は、大学で英語を学び通訳の仕事がしたいと熱弁している。

確かに盲学校を卒業しても高卒の資格は取れず、大学の受験はできない。あらたに通信教育で高卒の資格を取る必要がある。それなら初めから一般の高校へ入学し大学を目指す方が早い。

 彼は障害者の就職先が限られている事が不満のようだ。僕らはたまたま目が見えないだけで、勉強も出来るし体も自由に動く。健常者の中には勉強が苦手な人や、スポーツが出来ない人はたくさんいると。その人たちと自分たちは何が違うのか。僕らの未来も無限に広がっているはずだ、と唾を飛ばし話す。

彼は将来、通訳の仕事をしたいと話す。海外の友達も作りいろんな話をしてみたいと。彼の熱が僕にも移る。僕は本を読むのが好きだ。点字で書かれた本を指でなぞると未知の世界が広がり、胸が躍る。僕も大学で国語を学びたくさんの本を読みたい。一般高校に進学する事でその夢も叶うかもしれない。

 僕は家に帰り夕飯時に家族に相談した。両親はしばらく考え、このまま盲学校へ進学する事を勧めた。わざわざ茨の道を歩くことは無いと言う。その日の食卓は口数も減り、大好物のとんかつもソースの味だけが口に残った。

 部屋に戻るとすぐに布団に潜り電気を消す。まだ時間も早くなかなか眠れない。一般高校と盲学校、どちらに進学するか考えがまとまらない。このまま盲学校へ進学すると同じ仲間と同じ教室で今まで通り何不自由なく勉強できる。しかしその後の就職先は限られている。

一方、一般高校に進学すると全く知らない健常者の学生と勉強することになる。一人だけ点字の教科書を使い、勉強についていけるか不安だ。また、学校生活も一人ではできない。移動するにも友達の助けがいる。実際、そんな友達が出来るのだろうか。考えれば考えるほど一般高校への進学は難しい事が多い。しかし卒業後の進路は広がる。僕は布団の中で悶々とした時間を過ごし、いつの間にか眠っていた。

 土曜の朝、いつもの時間に目が覚めた。やはり一般高校への進学は諦める事にした。一般高校での生活は、一人で出来ないことが多すぎるからだ。通学から始まり、学校生活や勉強に関しても自信が持てない。すべての配布物が点字で書かれているわけではなく、必ず助けてくれる人が必要になる。その事を友達にお願いする自信がない。本当に友達が出来るのかも不安だ。一人教室に佇む自分の姿が目に浮かぶ。僕には無理だ。

諦めると急にお腹がすいて来た。

 リビングには家族全員揃っていた。僕が椅子に座ると部屋は静まり返る。前日の気まずい空気を引きずっている。僕は椅子に座ると一般高校への進学は諦めた、と話した。その時ばぁちゃんの声がする。

「なんや、もう諦めたんか。早かのう。本当にそれでよかとか」

 一瞬、部屋の空気が凍る。

「だって一人で出来んことが多かけん不安たい」

「そがんこつ、最初から分かっとる。つまらん奴やの」

 なぜかばぁちゃんが食って掛かる。その後、食卓は再び波を打ったように静まり返る。

 朝食後、部屋で過ごしていた僕の所にばぁちゃんがやってきた。

「休みで暇のごたるね。一緒に植物園に行くばい」

 急にどうしたのだろう。朝の事を気にしているのだろうか。行き先が植物園とは変わっている。

 ばぁちゃんに連れられ僕は植物園に向かう。

園内に入ると色んな香りに、ささくれていた僕の心も和む。咲き誇る花の匂いと薄っすら映し出される色や形を楽しむ。雲の広がる空から時々日差しが降り注ぎ、ぼんやりしていた花の色がはっきりと目に映える。

ばぁちゃんと散策していると、小さな橋が見えてきた。赤い橋の欄干から池を見ると、傘を広げたような葉がびっしり広がっている。その葉をくぐるようにニョキニョキと茎が伸び、先には両手を軽く合わせたほどの蕾が見えた。

「あれ、何」

「蓮の花たい」

 蓮の花。蕾の大きさに目を奪われる。橋を渡り池の畔を歩く。池は蓮の葉でびっしり覆われている。その葉の隙間から赤ちゃんの頭ほどの白いつぼみが伸びている。葉っぱもでかいが蕾もでかい。力強い蕾みにしばし足が止まる。

「こん先に花が咲いとる」

ばぁちゃんが池のほとりを歩き出し僕も続く。そこには目を見張るほど大きな花が咲いていた。作り物のような花弁が、人を寄せ付けないほど神秘的な光を放つ。

「蓮は泥水を吸って大輪の花を付けるとばい。綺麗な水を吸ってこの花を咲かせる訳じゃなか。泥の中で困難や苦しみを乗り越え花を咲かせると」

 泥水を吸って大輪の花を付ける。目の前の蓮の花から目が離せない。自分はいまだ葉さえ芽吹かせていないのかもしれない。その時、進学の事が頭をよぎる。

 僕は花に問いかけた。こんな立派な花をどうすれば咲かせられるのかと。すると大輪の花が風になびく。

『動けば変わる』

確かにそう聞こえた。蓮は真っすぐ背筋を伸ばし、静かに太陽を見つめている。

「動けば変わる」

 口の中で小さくつぶやく。そうだ、僕はまだ泥の味を知らない。


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