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誰もいなくなった大晦日の夜

作者: 比留間大五郎

 大晦日の朝、山崎は南青山のマンションを妻と生まれたばかりの娘に見送られて出勤した。山崎は31歳の警視庁警察官、3年前に巡査部長に昇任後、渋谷署勤務を経て第三機動隊勤務となった。若い警察官で南青山のマンション暮らしとは豪勢であるが、マンションに見えなくはないが実は警視庁の官舎、平たく言えば家族用共同住宅だ。その名も「青山荘」。

昭和の終わり、今の建物に建て替える前は、6畳一間のボロボロの4階建ての官舎「青山荘」だったそうで、その名前を引き継いでいる。今のご時世、カタカナばかりの今のマンションにこんな古臭い名は見当たらない。宅配便のお兄ちゃんが、いつも変な顔をしている。名前は昭和風で古臭く2DKでやや手狭だが、どこへ行くのにも便利で、山崎は気に入っている。

 地下鉄の青山一丁目駅まで、いつもの通勤コースを歩くが、さすがに大晦日の今日、人通りはまばらだ。それにしても、例年の大晦日に比べて少ないように感じた。池尻大橋で下車して勤務先の第三機動隊へ向かう。車内も駅も人影がうすら寒いほど少なかった。

山崎は隊舎2階へ上がると通信担当のデスクに座るが、机は今日の明治神宮初詣警備のために数十個の無線機や携帯が詰め込まれた大きな段ボール箱に占領されていた。その向こうで池本巡査が、段ボール箱から中隊の若い隊員に「無くすんじゃないぞ、去年はトイレに置き忘れて大騒ぎだった」「身に付けていればそんなことは起こらないが」などと言いながら手渡す作業をしていた。

「山崎長さん、明日の元日は雪だそうですね」

 山崎は、池本の言葉に、普段は感じない不吉な思いをもった。なぜかわからないが。

「俺も天気予報を見たけど、そうだったかな」

「お客さんが早く退けて助かりますね」

「そうなるといいが、雪はいやだな」


 午後3時、隊舎4階の講堂に隊長以下160名が集まった。警備担当から今日の明治神宮初詣警備の概要や注意点が説明された。行動には十分注意しろ、どこからスマホで撮られるかわからないからな。最後に隊長から指示があり、その後、各車両に乗り込んで出発となった。 


 山崎と池本はランクルの通信車両に乗り込んだ。山崎は基幹系(警視庁の無線系統)、池本は隊長間(隊長と隊長の間の相互連絡や警備一課や方面本部との通話など内々の系統)を担当する。

 山崎の第一声、

― 警視351から警視庁 ―

― 警視351どうぞ ―

― 警視351 以後の呼称 三機隊長と呼称する

15:30三機隊長発 第一報 明治神宮初詣警備のため自隊を出発 どうぞ ―

― 警視庁了解 ―


 三機の10数台の車列は赤灯を回転させながら246を通り明治神宮の境内に入った。そこで、運転担当の大塩は素っ頓狂な声を上げた。

「なんだ これは」

 例年、この時間帯にも、深夜ほどではないが、すでに多くの参拝人の姿が見えるが、今年はその姿が見えない。

 山崎と池本も顔を見合わせた。

 池本が早速、マイクを握った。

― 三機隊長から警備1(警備一課) ―

― 警備1です どうぞ ―

― 明治神宮に到着しましたが 参拝者の姿 皆無です JRの事故でもありましたか どうぞ ―

― そのような情報はありません JRも地下鉄も通常運行です どうぞ ―

 

それにしてはおかしい、今までにないことだ、これは誰の思いも同じだった。

隊長伝令の無線担当が、

― 隊長から各中隊長へ命令、各中隊は第一次配備とし境内の危険物一斉検索にあたれ ―

 取りあえず、人影のない境内を一斉検索する他なかった。

 無線を聞いていると、明治神宮ばかりでなく、浅草寺や他の初詣場所でも人影皆無らしい。こんなことがあるのだろうか。

 警視庁本庁舎17階の総合指揮所でも、何が起きているのかわからなかった。特に突発事故や事件が起きているわけではないが、異様な緊張感が走っていた。

 総合指揮所のモニター画面を見ると、初詣の寺社ばかりでなく、渋谷駅前も新宿駅前も、アメ横も、歌舞伎町も人影皆無とまでは行かないが、人の姿は極端に少なかった。カラスだけが飛んでいるような平日の早朝を思わせる光景だった。

 これでは警備の必要性はないようだった。隊長伝令の無線担当は、

― 隊長から各中隊長へ命令 一斉検索終了後は別命あるまで待機とせよ ―


山崎は車両から降りるとトイレに行ったついでに、携帯で妻に電話をした。

「そっちの方は何か変わったことはないか」

「特にないけど、テレビで見ると、異様に人影が少ないようね。おかげで今晩は早く帰れそうね」

「そんなのんきなことを言ってるけど、もしかしたら世界の終わりじゃないのか」

「それは思い過ごしよ、だけど今晩の紅白は中止だって、さっきNHKのアナウンサーが言っていた」

「なぜなんだろう」

「歌手が集まらないんだって」

「なんで」

「そんなこと、私だってわからないわよ」

「やっぱり世界のおわりだ」

 

山崎は池本に話しかけた。

「なにかがおかしい。1年に一度の紅白に歌手が集まらないなんてことがあるのかい」

「そうですか、紅白も中止ですか、そう言えば、昭和天皇が亡くなる前年の紅白はやったんですかね」

「俺も生まれる前のことだから知らんが」

 山崎は冷えた缶コーヒーをすすった。今は他にやることがない。

 情報によれば、街は勤め先から帰宅する人の他は人影がないようだ。街が死んでいる。しかし、考えてみれば、これが大晦日本来の姿のような気がしないでもない。自宅に引き籠って、家族だけで静かに新年を迎える。渋谷駅前の大騒ぎのカウントダウンや1時間も2時間も長蛇の列を作っての参拝などは、異常なことなのだ。

 除夜の鐘は近所のお寺の鐘を聞けばいい、カウントダウンは自分の心で数えればよい、大晦日ぐらい、どこへも行かずに、静かに過ごすべきだ。そんなことを思った。


 ついに午前0時を迎えた。31日の明治神宮入場者数、わずかに31人、語呂合わせではないが、本当だった。午前1時ちょうど本部から各隊長に警備任務解除の命令がなされた。

 隊長がこんなことは二度とないだろうからと、粋な計らいで隊長以下全隊員が参拝してから帰隊することとなった。明治神宮の神主もアルバイトの巫女も、とっくに引き上げていなくなった拝殿前には、隊員の柏手の音だけが鳴っていた。


― 三機隊長から警視庁 ―

― 三機隊長どうぞ ―

― 2時00分ちょうど第13報 任務終了して帰隊 人員装備異常なし なお、池尻大橋付近、雪が降ってきました どうぞ ―

― 警視庁了解 お疲れさまでした 雪ですか 霞が関付近も雪が舞い始めました 警視庁了解 ―


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