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guilty 32. 電車の中で腹痛に襲われたら割りとヤバい

 このところ毎日が地獄の日々が続いていたが、昨日は飛び抜けて酷い日であった。行きたくもない市民プールに付き合わされて、頭のおかしい妹と頭のとってもおかしい女の醜いキャットファイトを見せられて、委員長には白い目で見られて、心中大好き♡メンヘラ女に誘拐されて、オカルトファミリーに危うく●されそうになって、屈強な男と逃走中ごっこして……枚挙に暇がない。


 以前なら落ち着く安らぎの空間であるはずのマイルームも何だか様子がおかしくなった妹に監視されているような気分になって、全然寛げない。学校もおそらくは今日も今日とあのホモサピエンスに聞きたくもない熟々したねちねちねっとり系のありがたくないお話を無理矢理聞かされるのだろう。嗚呼、そして我らが委員長サマからもどのような仕打ちを受けるのでしょうか。直接的な罵倒や暴力はまだマシだが(いや、それもそれで嫌だが)、無視されるのが一番辛い。普通にシリアスな気持ちになってしまうし、陰キャな俺から声かけなんてできるはずもない。


「いかんいかん……しっかりしなさい、植木桂一郎!!」


 負の連鎖を立ち切る為に俺は両頬を思い切りパンパンと叩き自分に喝を入れる。すると何事かと周囲にいた社畜戦士や学徒にジロジロと見られてしまう。ここが通勤通学真っ只中の朝の電車内であったことを忘れていた。とっても恥ずかしい、やらなきゃよかった。でも誰かが言っていた。『やらぬ後悔より、やる後悔』。恥ずかしい思いはしたが、負のイメージは消え去ったような気がする。あ、どうしよう……負のイメージが消え去った代わりに今度は変に腹に力を入れたせいで唐突に便意を催してきたぞ。やらなきゃよかった。


 おトイレ付きのVIP仕様の貴族トレインならともかく、ここは社会に疲れきった社畜戦士や学徒を地獄に送り届ける普通の庶民トレインである。そんなところにおトイレがあるはずもなく、目的駅に着くまで思春期の少女のように内股でもじもじ、もじもじと今か今かと震えながら待ち続けなければならないこの所業。本日も朝からニッコリ地獄である。


「こっ、こういう時は……推しのASMRで耳をイヤラシ、癒してココロ、いや腹を落ち着かせるのだ……」


 禁断症状で落ち着かなくなったヤバめの輩のような震える手で鞄から無線イヤホンを取り出し、ペアリングして推しのASMRを再生する。この際、少しでも力を込めれば何がとは言わないが決壊必須なので注意が必要である。


『サーア、今日も一緒にミンナで、うん●、ブリブリブリブリ~~!!!! オニイチャン、今日もいっぱいブリブリできたね~おしり、フッキフキしようねえ~』


 なあに、これ?

スマホの画面を見ると『耳が癒されるおっきなお友達(♂)によるおっきなお友達(♂)のための介護ASMR』と表示されていた。推しどころか知らない間に耳が犯される悪辣な扉を押し開けようとしていたようだ。


 いかん、普通に再生する動画を間違えた。

いや、もうASMRはいいわ。違う方法で便意を我慢しよう。何か俺の腹に天使が宿る方法は……。


「あっ、先輩! おっはよーございまーす! 今日も良い痴漢日和ですねー」


 あれこれ考えていると元気な女の声が聞こえてきた。櫻井である。やばい、痴漢を喰いモノにする天使が俺の腹にシャドーを入れてきやがった。


「痴漢天使、お前はお呼びでない帰れ」

「え~、そんな愛くるしい天使だなんてそんな~、まあ、私が天使のように可愛いのは事実ですからね。そんなので私は絆されませんよ」


 絆されないとか言いつつ、嬉しそうな顔が腹立つな。お腹が正常状態の俺ならば、『オッ可愛い可愛い』とか余裕でスルーするところだが、お腹が異常状態の俺にはイライラメーター値が爆上がりするだけである。


「頼む、頼むから……今日、いや今だけは何も言わず俺に絡まないでくれないか」

「え? 先輩が何も言わずオジサンに絡んでくれたら私からは何も言いませんよ」


 櫻井はキョトンとした顔で言いのける。

何で取引みたいになっているんだよ。


「ま、マジで……今日はお前の文字通りの狂言に付き合っている余裕は無いから……マジで、お前、もう」

「エッ?! ど、どうしたんですか先輩!? 急に日光にいるお猿さんの像みたいに蹲って!?」


 腹の痛さに櫻井の前で思わず踞ってしまう俺氏。

ウッ……しかし、腹の痛さで決壊は和らいだやも……。俺は腹を片手で押さえつつ、下から櫻井をジロリと睨み付ける。


「いいか、櫻井。今の俺には余裕がない」

「は、はい…尋常じゃない顔してますもんね先輩。今なら見境もなくオジサンだけでなくロリや漏れなく私まで痴漢しそうな……ヒエー、エモい!」


 違う、そうじゃない。

片手で腹を押さえて蹲っている俺の苦しそうな姿が目に映ってないのかこの女は?万人に痴漢したくて腹押さえて我慢してるって……どんな状況だよ。この女には頭が痴漢しか入ってないのか。いやもう、恥ずかしくて黙ってる状況じゃないわこれ。この女には正直に告白するしか伝わらないようである。もちろん、告白とは腹痛のことである。


「……腹が、痛いんだよ」

「へ? はあ、お腹が痛い……なるほどですね、それでさっきから不可解な『ウッ……腹が……疼く!』みたいな厨二ポーズを」

「厨二ポーズ言うな。だからな、なにも言わずそっとしといとくれ」

「はあ、そういうことなら……なるほど、先輩は頭の中では『俺の排泄シーンをどうにかオジサンに見せられないものだろうか』と脂汗をかいて必死に考えていたわけですね」


 櫻井は神妙な顔して小さい声で呟く。喋らないでって言ったよね?独り言にしてもエッグいよ、君の妄想。


『エェ~……次はおおやまぁ、おおやまぁでぇごじます、お降りの際はお忘れものと……』


 車内アナウンスが鳴り、駅に到着する。

するとゾロゾロと社畜戦士達が降りたり乗ったりの攻防が続く。その中に一際目立つ黒を基調としたドレスを身に纏ったヤバい奴が電車に乗り込んできた。


「エッ……ハニー!! キィイイイアアアア!! 破水した妊婦さんみたいに疼くまってどっどどどどうしたの!?」 


 今度はヒステリックな声を上げて俺に駆け寄ってくる薬師寺サンであった。ヤバい、最悪に続いて災厄がやって来た。やめて、キミの黒板を爪で思い切り引っ掻いたような声は繊細な僕のお腹に響くの。嗚呼、また決壊しそうだよう……。


「…………」

「は、ハニー……あ、青白い顔してる、こ、こっ、こんな時はどうしたら……あ! 栄養が不足してるってことかも……ぼ、母乳……ボッボッボボボボ、ボッ、ボニュウボニュウボニュウボニュウ」


 何も言わず疼くまっている俺に対して何やらブツブツ言いながら薬師寺さんは、何故かドレスを脱ぎ出す。……エッッ!?い、いきなりなにしてんのこの女!だ、誰かこの変態をトメロ!!


 パッチン!!


「キャン!!」


 乾いた音が車内に鳴り響く。

近くにいた櫻井が薬師寺サンの頬を平手で打ったようだ。おっ、おおう……まさかそんな過激な方法を取るとは思わなかったが、よくやった櫻井!


「何やってるんですか貴方は!? 今、先輩はどうにか『おじさんに排泄シーンを合法的に見せられないか』画策中なんです! 先輩の邪魔しないで下さい!!」


 違う、そうじゃない。

やめて、先刻から乗客のおじさんの見る目が異常な目付きになってるから。社会的どころか世界的に死ぬわ、俺。


「ウッうう……ハニーにも打たれたことないのに!!      栄養失調で倒れそうになってるハニーを介抱するためにぱ、ぱぱパパパイ乙を飲ませようとしてたのに!!」


 こいつもこいつで発想がヤバい。

やめて、先刻から乗客のおばさんの見る目が異常な目付きになってるから。世界的どころか宇宙的に死ぬわ、俺。


『エェ~、只今、隣の駅ホームの線路で酔っぱらいが珍入しましたのでぇ、安全確認のためぇ、しばらく停車いたしまあす、お急ぎのかたはあ……』


 うーん、オムツ履いとけばよかったかなァ……。

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