6 魔法管理局
深い雪に埋もれそうな溝の道を、八頭立ての馬車が進んでいた。馬車は黒塗りで一見霊柩車のように見えたが、目立たないあつらえで家紋が取り付けられている。
時間帯は昼間とはいえ、周囲には人気もなく、除雪された道をその馬車は静かに進んでいた。罪人を運ぶのは常時は鉄道という手段もあるのだが、冬の中でも特に寒さが厳しい時期になると運行の目途がたたなくなる。
馬車には一人の護衛と二人の罪人――クランツとオデットと、見届け人が乗せられている。二人がこうして同じ馬車に乗せられるのにも、護送に馬車という手段が講じられたのにも、多額の金と幾人かの政治的な思惑が絡んでおり、貴族社会の闇と恩恵が垣間見えた。
見届け人は帯剣した兵士で、あまり状況に興味がないのか目を瞑っている。どうせ兵士も相応の金をもらっているに違いなく、多少二人が変なことをしていても内密にしてくれる。
馬車の中は寒く、吐く息は白い。外套を脱げば一時間も経たず低体温症になる。束の間の安らぎの時間と呼ぶには温もりがなかった。
「なんだか外が騒がしいと思うんだけどぉ。窓を開けてぇ」
「自分でやれよ」
「いやぁ、わたしの手はぁ、お菓子食べるので塞がってるからぁ」
手錠をかけられているが、その手を器用に動かしてクレープ生地を細くして焼いたお菓子を食べている。見届け人も特に突っ込まないので、クランツだけが呆れ果て嘆息してから、馬車の窓を開ける。
案の定、馬車は武装した集団に囲まれていた。襲撃にしてはいつから付いてきていたのか気づかない程度には静かだった。
依頼を受けて仕事をする正式な暗殺者たちだ。
「八割、シルヴィへの怨みじゃないかしらぁ。残りの二割はルメルス第二皇子の刺客とかぁ?」
「同意見です。シルヴィア殿下の日ごろの行いが極悪なせいで巻き込まれる。いつも、そう」
毒を盛られた回数は数多く、暗殺者が差し向けられたことも一回や二回ではない。ほとんどはオデットが実力で退け、またクランツの猫が防いだこともあった。そういった事件を報告すると、シルヴィアは微笑みを浮かべて嬉しそうに「暗殺者を向けられるのは有能の証明でしょう?」などとのたまった。
クランツとしては冗談ではない。
シルヴィアに抗議してもそれが敵対者に伝わるわけもなかった。そして途中で殿下の主要な部下から降りるわけにもいかなかった。そんなことをすれば本当に政敵に抹殺される。
「とりあえず、あたしは馬車から出るつもりはないのでぇ」
「はいはい、始末すればいいんでしょう?」
オデットは菓子を啄んだまま、首肯した。
「あのアホみたいな名前のやつ使う?」
「こんなところで使いません。ほら――猫」
クランツが精霊に呼びかける。
――にゃあおん
妙に間延びした鳴き声が返事をした。金色の猫は一瞬馬車内に現れたあと、馬車の外へと物理的な障壁を無視しするりと消える。
目を閉じて集中すると、猫の感覚が共有できる。薄い壁を一枚へだてた向こう側という表現が似合う遠い感覚だが、それでも十分だった。
猫は馬車の近距離にいた刺客の背後に現れてその首に噛みつく。血が噴き出し、刺客が落馬する。次いで、猫に向かって、慌てて剣を取り出した男が噛まれるが絶妙に致命傷になるのを避けた。襲撃者たちは一人を残し、次々に血を噴いて落馬し雪に沈んでいた。乗り手を失った馬が途方にくれて、落下した死体を嗅いでいななく。
怪我をしながらも一命を取り留めた襲撃者が、去っていく馬車をじっと見送っている。
映像はそこで途切れた。
「一人残しました。掃除はお任せしましょう」
「精霊で人を殺せばひどい死に様を迎えるぞ」
兵士の一人が眠たげにそう助言をくれたが、クランツは頭を振る。
「もう、すべてが遅いです」
追手のことも、猫のことも考えなければならなかった。
魔法とは祈りの念波のこと。幾重にも同じ祈りを捧げられれば念波は積み重なり、やがて自律的かつ複雑な魔法になる。それが精霊。
レンバッハの猫は帝国の孤児院協会の首長であったレンバッハ卿の名をとりそう呼ばれる。精霊に込められている祈りは孤児の守護。子供でなくなれば当然使役できず、また恵まれぬという条件がいかような基準で判断されているのか、すべての孤児たちの言うことをきくわけではない。
クランツがいつまで猫を使役できるかは人間にはわかりかねる。クランツが精霊に愛されているのはただの気まぐれで、いつ寵愛を失うかなどわからない。もしクランツが精霊からの関心を失い、そのときオデットが傍にいなければ、敵対者に殺されて遺体はどこかに投げ捨てられたまま朽ちるかもしれない。誰からも弔いの言葉なく、墓もなく終わる。想像するに恐ろしいことだったが、似合いの末路だとも思う。皇女の従える駒の終わりなんてそんなものだ。
その後、途中の街で馬を交換し、一週間かけて帝国の沿岸部に到着した。巨大な海氷が浮かぶ海の向こうに、城の輪郭が霞んでみえる。
氷の城。それが冬の魔法をかけている原因であり、一般人の立ち入りが禁止されている禁域。そして一年前に殿下とクランツたちが訪れた場所である。
氷の城をかすかに観測できる建物の前にクランツたちは立っていた。極秘で突貫、力押しで侵入したため、以前は通らなかった研究所――魔法管理局。この冬の地の魔術師を束ね、教育し、さまざまな研究を行っている。
クランツたちは今日からこの研究所で生活を送る。
「魔法管理局へようこそ。君たちを歓迎するよ。イルモだ」
「お出迎えありがとうございます、イルモ卿。クランツです。こちらはオデット・ミュー」
クランツとオデットを出迎えた案内人はイルモと名乗る老人だった。イルモは白衣といういで立ちで、白髪に痩身長身のいかにも神経質な研究者だった。とてもではないが美味しそうにはみえない。食べても鳥の足の骨をかじっているような、ひもじい思いをしそうだった。
「辺鄙なところねぇ。ここじゃあおいしいごはんは食べられなさそう。ざぁんねん」
「失礼なことを言うな」
「おやおや! これはギルモアの……。本物か……? 個体数は減ったというが……おお。オデットと申したな。以前ここには、オデュールと名乗る角付もいたが。だいぶ壊れていたな。あなたはセンサーが稼働しておる」
イルモはえらく感激しており、オデットの周囲を興奮気味にぐるぐると回った。オデットは当然不機嫌な表情になっていく。
熱心にオデットを舐めまわすように見ていたイルモだったが、はっとするような動きで振り返り、クランツに向かってたずねた。
「この子は使用人として、しつけをされているのかね?」
「殿下の使用人でした」
「ほう。それはあとで専任の研究員を紹介するから記録をとろう。ばかなお姫さまがいたものだとあきれたが、こういう産物が獲得できるのも悪くないし、ギルモアの鉄の魔性を回収できたとあらば……悪くない。クランツ君も変異しながら人間の特徴を残している者は少ないのでね……。悪くないね……。むしろ、感謝したい」
「殺そう」
オデットは声に出さず、口を動かした。
「やめろ、オデット。殿下の立場が悪くなるだろう」
腕を組んで無視を決め込むと、イルモは二人の心境を察したようだった。ずれた眼鏡を直してから咳払いをし、建物の内部に案内をする。
「ここは来賓館と呼ばれる。おもに外部からのお客様を出迎えるための入り口の建物だね。会議室や過去の大口の出資者たちの寄贈物、それから後世に名を遺すことになった偉大な研究者たちの資料が保管されている」
廊下には絵画のたぐいが飾られていた。
どれも立派な芸術品だったが、三人とも興味はなくその廊下はすぐに通り過ぎる。廊下の先には立派なホールに繋がっていた。
「ここで出資者たちを集めて研究発表会をする。お客様をお招きして講演をすることもある」
ホールの中を通り、さらに奥へと進む。
「ここからが研究棟だ。研究棟は六階建てになっている。気難しい人間もいるので無暗に見知らぬ研究室の扉を叩かないように」
一階の廊下は静まり返っている、と予想していたが――
廊下に血が点々と垂れている。その血痕を追って、廊下の先に目を向けると騒々しい一団がいた。
「レッドキャップですかね、あれは……」
赤い頭巾帽が目印の一般的に邪悪とされる妖精たちである。五歳くらいの人間の子供のような見た目で、枯れ木色の肌に、くぼんだ目をしており、手には思い思いの凶器を持っている。人間を殺し食べ弄ぶと伝えられている妖精だが、今回は趣が違った。廊下に倒れているのは鼻血を出して、のびている白衣の女性。その周りでレッドキャップは情けない声を上げているだけだった。
「なんだ、エリシュカじゃないか。また倒れたのか」
イルモは不審がることもなく女性に近づき肩を揺らす。
「おい、エリシュカ君、ここがどこかわかるかね」
「……イルモさん。ああ、たしか鼠の餌をとりに行く途中で」
目を覚ましたエリシュカはまず自分の頭を抑えた。長い前髪が表情を隠しているが、顔をしかめているのはわかる。
エリシュカは鼻血の痕を袖で拭い、立ち上がった。
「ちゃんと食事を摂りたまえ」
「ご忠告、痛み入ります」
「忠告じゃないよ。人間は食べないと生きていけないんだ。体をおろそかにするんじゃない」
「はい……」
しょんぼり肩を落としたまま、エリシュカはイルモの後ろのクランツたちに目を留めた。
「後ろにいる方々は……あの魔性感染者の方ですか……」
「そうだ。いま魔法局を案内しているところなんだ」
クランツが床に落ちた複数の本を拾って渡すとエリシュカは焦った様子だった。髪の隙間から覗く頬を真っ赤にし、かえって拾い集めた本を取り落としそうになる。
「あ、ありがとうございましゅ……」
頭を下げているのか痛がっているのかわからない足取りでエリシュカは走っていった。
「ここでは精霊と一緒に暮らしているのですか?」
「いや、違う。あれは厳密には精霊ではない。魔法局を守る、魔法文字がみせる幻だ」
イルモは廊下の天井を指さした。そこには数えるのも莫迦らしくなるくらい夥しい、子供の落書きとしか思えないものが描かれていた。
「リトヴァクの皇城では魔法文字は四季の間と空調以外は禁止されているはずだ。ここまでみっしりと刻まれたものは見たことがないだろう? これはすべて守護のために描かれている。さきほどのレッドキャップは姿かたちこそ邪だが、守護や明らかな外敵排除以外では作動しない安全装置だ」
「へえ。どういったときに作動するんですか。煙草を吸いたいときに煙が出て反応したら嫌だな」
「なに、だいたい血だ。流血を感知すると、出てくるようになっている。煙程度じゃ出ない」
「それなら安心ですね」
クランツはイルモに向かって微笑んだ。