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3 四季の間

「きゃっ、突然なにをするのよ!」


 シルヴィアはドレスの汚れた部分を手で払う。彼女がドレスに気を取られているうちに、クランツはまた泥を投げた。税金で賄われたドレスが泥にまみれていく。シルヴィアの妖精の顔にも土が飛び散る。

 シルヴィアの憎らしいほど綺麗な顔がみるみる怒りの形相へ歪む。


「一体、何事。こんなことをしてただで済むと思っているの」


「ははは! 鬼みてえな顔!」


「なにがおかしいのっ! やめなさい!」


「俺はお前のままごとのために殺されかけたんだぞ。権力を持っているだけのガキに殺される気分って最悪だね。青い血だかなんだか知らないけど、人間がゆいいつ持って生まれた命を他人が自由にどうこうできるって考えが気に入らねえ」


 虫なども一緒に投げつける。

 とうとうシルヴィアは下を向いて肩を震わせはじめた。

 シルヴィアを誰も助けにこない。

 花が咲き乱れる庭には、使用人の一人も通りかからない。

 明らかな異常だった。

 だがクランツにとってはすべてどうでもいい。ただオデットにただ頼み事をしたら交換条件を出された。それだけ。

 周囲に誰も見ていないことを確認して、クランツは用意していた外套を殿下にかぶせようと広げた。


「あなた……クランツ。度胸があるのね。ついて来なさい。いいものを見せてあげる」


 シルヴィアは背中を向けた。

 颯爽と歩いていき、クランツがついてこないのに気が付くと声を張り上げた。


「どうしたの。わたくしのとっておきの場所に連れて行ってあげるわ」

 クランツは逡巡してから、外套を抱き直し、シルヴィアの後ろをついていった。


 皇族や貴族、上級使用人などの身分の高い者しか許されない城の奥のほうへ進んでいく。クランツは次第に元気をなくしていった。すれ違う騎士らはドレスを汚した皇女と使用人一人の組み合わせに不可解そうな視線を送ってくるが、シルヴィアは意に介さない。


「どこに行く……いえ、どこに行かれるのですか、殿下」

「教えないわ。見て驚くといいのよ」


 まもなく、シルヴィアは足を止めた。扉の前に魔法の字が刻まれている。それにシルヴィアは手をかざした。字が温かな光を灯らせ、扉を開ける。


「先に入って」


 クランツは部屋へと進み入った。


「……これは」


 たしかに室内へと踏み込んだはずなのに、次の瞬間には遠くの畑を見渡せる丘の上の木陰にクランツはいた。

 木々の葉の隙間から、まばゆい太陽の日差しが射す。遠くに黄金色の麦が頭を垂れて風に揺れている。足元は輝くような緑色が伸び、生命力に満ちていた。清々しい空気は、暖房で温めた空気とは違う。湿気を帯びず、ひとつもひやりとしたところのない陽気。

 肺いっぱいに空気を吸い込み、深呼吸する。大きく味わいたいと思うような空気は初めてだった。


「素晴らしいでしょ? これがリトヴァクの夏よ」

 振り向くと、シルヴィアが笑っていた。子供が宝物を自慢するときの笑みだ。シルヴィアの背後には入ってきたときの扉が浮いている。


「うん……すごい」


 クランツは素直にそう答えた。目の前の光景から目を離せない。


「でしょう! ちょっと違うのも見られるの」


 シルヴィアは内側から扉に手をかざす。

 そうすると今度は周囲の輪郭が靄に包まれて、瞬きのあとに畑があった場所が青になっていた。青は白線が絶え間なく浮かび、ぶつかりあい掻き消し新たに生じ、太陽の光を受けて煌めきながら荒く蠢いている。


「あれはなんですか?」


「海。凍っていない海は波打つの」


「あれが波打つ……」


 独特の湿気を含んだ潮風がクランツとシルヴィアの髪を揺らした。

 二人は沈黙する。

 遠くからかすかに波の音が聞こえる。それとかもめの鳴き声も。海は霞む地平線まで続き、小さな船も浮かんでいた。

 突然、無邪気な子供じみた思いがわいた。あの船に乗りたい。波がどのようにして浜辺に押し寄せているのか見てみたい。海の温度を、その煌めきを、確かめたい衝動にかられて走りだしたくなる。

 シルヴィアも海の向こうに視線をなげかけていた。言葉にせずとも彼女の考えていることがわかった。


「シルヴィア殿下、あそこに行くにはどうしたらいいんですか」


「どうしたって行けないのよ。これは幻だから」


「ここは四季の間ですか?」


 シルヴィアは頷く。

 リトヴァクの皇城には有名な部屋が二つある。ひとつは宝石の間。もうひとつは四季の間。

 四季の間は皇族の私的空間として普段は出入りが禁じられている。使用人の間に出回っているのは、部屋の掃除を任される上級使用人が漏らしたうわさ話だ。四季の間では四季が見られる。扉に描かれた特製の魔法文字で、ある誰かの記憶の光景が再生できる、そういう話だった。


「見せていただけて、感謝します。こんな光景は殿下に連れてこられなければ見ることはできなかったでしょう」


「……わかればいいの」


 シルヴィアは鷹揚に返事し、部屋を元の調子へと戻した。魔法文字を起動させなければその部屋は椅子とテーブルが置かれた簡素な控室に見えた。

 窓の外にはまた激しく雪が降り続けている。部屋はさきほどまでの明るさから一転、暗く沈んで見えた。


「さて、用も終わったし、行くわよ」


「……どこにでしょうか?」


 脳裏で反芻し余韻に浸っていたクランツは、現実にすぐに返ることができなかった。


「愚かな子供を騙してわたくしを襲わせようとした人間のところに決まっているじゃない」


 シルヴィアの指摘にようやく、自分の行為を思い出した。

 汚れたドレスと、自身が手に持つ外套、それからシルヴィアの顔を見る。


「襲うつもりなんてありませんでした。供なんて俺には務まりません」


 自然と足が後退していた。


「護衛の一人も連れぬ姫がどこにいるの。お前が盾になるの。わたくしを危険に晒した罰よ!」


「……わかりました、殿下。ついていきます」


 クランツは観念した。通路には騎士がいる。逃げ切れるわけがない。

 シルヴィアに従うために彼女のそばへ寄った。

 シルヴィアは廊下を静かに、しかし早く歩いていく。そこは皇族や要人のための通路で、騎士も通路の入り口を守っているだけで誰ともすれ違わない。

 クランツはけして一人では踏み入れない奥まった場所に足を踏み入れていた。

 重い扉を開けて、殿下は低くつぶやく。


「やはり、オデットか」


「ひっ」


 殿下の背後から部屋を覗き込んだクランツは悲鳴をあげた。


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