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29 暁の炎

 階段を降りて、医務室を覗く。予想通り、人気はない。ヴィクトルを追いかけて、エリシュカの居場所を聞き出す仕事が増えた。

 一階に降りてもヴィクトルの姿は見えない。


 かすかな金属音が聞こえた。見回りの兵士がやってくるのを察知して、クランツは適当な木陰にしゃがみこむ。


「兵士は行ったわよぉ」


 頭上の木の枝が揺れる。雪と共に下りてきたのは、オデットだった。


「今までどこにいたんだ?」


 オデットは首を振って答えなかった。着用している制服は正規の城の使用人のものだ。紛れ込むのは難しくないはずだ。


「あのお嬢ちゃま姫が処刑されるかもしれないんだってねぇ。噂で聞いたわぁ。そうなったら困るじゃなぁい」


「……どうして困るんだ」


「……」


 オデットは魔性化しているシルヴィアを殺したかったはずだ。


「教えてあげるわぁ、エリシュカはあいつといる。あっちの方向。さっさとエリシュカを助けて、ネズミを始末して取り返しなさい。まったく人間のやることはバカバカしいったら」


 暗闇の中で悄然と立つオデット。顔だけが白く浮いている。

 オデットを相棒のように思ったこともあった。けれど今は少し違うものが彼女の後ろにみえる。


「オデット、なにを考えている?」


「オデュールたちの準備ができたのぉ。明朝、このあたりすべて焼き払うつもりだから、別れの挨拶とか心中の覚悟とか決めておいてねぇ。疑ってもいいけどぉ、これは忠告だからぁ、アタシの良心からの言葉だからぁ」


 音もなく闇の中で金属の羽根が伸びた。予備動作もなく、小さな竜に変じると、オデットは空へと消えた。


 雪馬を留めておく厩舎がある。そこに二人はいた。


「説明を求めます!」


「だからぁ、クランツは後で来るって」


 雪の音を踏む音にも気づかないほど大きな声で口論している。


「あなたは信頼できません。そもそもあんなふうにシルヴィア殿下に罪をなすりつけるのも、わたしの信条に反します。堂々とわたしの太陽を見せて、帝位継承権を持つという主張をするのかと思っていました」


「嬢ちゃん、あのな、そんな綺麗事……」


 ヴィクトルの呆れた声で彼がいまどんな顔をしているか想像できた。エリシュカの話はクランツも笑いだしてしまいそうなほど単純明快な綺麗ごとだ。


「わたしはたしかに皇帝になんの感情も抱いていませんが、シルヴィア殿下はクランツさんの大切な……」


「それ以上、そいつに話す必要はない」


 クランツはそこで飛び出した。


 俊敏な動作でヴィクトルはエリシュカの首に刃物を突き付けて、抱き寄せる。


「はは、兄弟。さっきぶりだな。レナはどうだった?」


「暖炉の薪木と同じ扱いですよ」


 ヴィクトルは感情の擦れ切った目をして笑う。


「あの見た目だけ綺麗な妖精姫様と普段から乳繰り合っているんだから、そんじゃそこらの女じゃ満足しねえよなぁ? やっぱこういう綺麗なのが好みなわけ? この子も顔は綺麗だよな」


 ヴィクトルがエリシュカの髪の毛を乱暴に引っ張る。エリシュカは恐怖で顔を引きつらせている。


「やめろ、エリシュカさんを怯えさせるな」


「怯えさせるなぁ? くく、この場ですべきは命乞いじゃないのか?」


「……そんな便利な駒、殺すわけない。非政府組織の目的は皇族の力が揺らいでいるうちに事を起こすこと。ええ、だからこそエリシュカさんが必要なんだ」


「その通り。単刀直入に言うぜ。俺の目的は達した。シルヴィアにはこの傷の復讐を受けさせてやったぜ。もしシルヴィアがその処刑を免れても、恨みは買いすぎて余るくらいだろ? 襲撃を防げるほどシルヴィアは力がある状態かねぇ?」


「……リェフはやり過ぎた。残虐に振舞い、恨みを買い過ぎた」


「物わかりがいいじゃねぇか。通してくれるか?」


「嫌だ」


 奥歯が鳴る。


「なぜだ。あのクソ女の外見に騙されているのか?」


「外見に騙されているのはお前のほうだ。ヴィクトル。リェフは敵対者や己の威光を穢すものには残虐だが、統治能力はほとんど完璧だった。手練手管を用いて貴族に言うことをきかせ、非政府組織に付け入る隙をこれまで与えずに何百年もやってきたのがその証拠だ」


「俺たちが台頭しても、国をまとめ上げられるわけがないってか?」


「できないだろう」


「なぜ」


「冬の秘密を知らないから。でも知ってしまったら、皇帝と同じにならなければならなくなる」


 集団の魔性化を招かないための防止装置、それこそ君主に求められる役割。リェフはそれをほとんど完璧にこなそうとしていた。オデットの役割が秘密の守護者・魔性化の原因の抹殺なら、リェフの役割は人間の監視者・秩序の保全だった。非政府組織はきっとそんなふうにはなれない。いまのリェフ家、リトヴァクの国への復讐心で行動しているうちは、統治能力を十分に発揮できないはずだ。

 ヴィクトルがいらだち、エリシュカの首を無意味に締め付けた。


「禁忌とオレらになにが関係あるんだ。そこを通せ。まさか皇帝に義理立てしているってわけじゃないだろ」


「そんな人間に見えるか、ヴィクトル。俺はただの汚れ仕事の引き受け役だ」


「クランツさん、なにをしようとしていたのか、説明してください。この状況がよくわかりません……」


 エリシュカは涙声だった。エリシュカが知っているのは、皇帝を暗殺したというところまでで、彼女の認識では自身が非政府組織の旗頭になるかもしれないということくらいだった。リトヴァクに対しての反逆行為に加担させるにしては粗末な知識しか、クランツは与えなかった。


「俺の目的はシルヴィア殿下を解放してさしあげること。ひとまずエリシュカさんを代わりに皇族の席に据えて、あの方を皇族から解き放つのが目的でした。その際、リェフは滅びていたほうがシルヴィア殿下にとって都合がいいですし、非政府組織だって利用してやろうと考えてずっと連絡を取り続けていました」


「ずっと、シルヴィア殿下のために、あらゆる裏切りを重ねたと……。執念を感じます。それも並々ならぬ……」


 エリシュカがそうつぶやいた。


「ええ、すべてシルヴィア殿下のためです。これからも、シルヴィア殿下のために動きます」


 話がさきほどとは予期しない方向に流れているのを感じたのか、ヴィクトルはあとずさる。


「じゃあさっさとシルヴィアの処刑を免れる方法を城に戻って考えろや……」


 クランツは首を振った。


「いいえ。ヴィクトルは殺します。シルヴィア殿下は大多数の人間が悪だと罵る正真正銘の拷問狂外道皇女。でも俺にとっては光だ。その光を曇らせるような真似をしたこと、死で償ってもらう。それに成人しているリェフの皇族はエリシュカの統治にとっても邪魔だ。父親殺しの罪はあなたが背負うといい、ヴィクトル――いや、リェフの長男リステゴット殿下」


 ヴィクトル――もとい、リステゴットはたじろぐ。

 一瞬後に、クランツの首元に熱風が吹いた。ひりつくような風が吹きつけて、血が吹き出す。

 クランツは機敏な動作で後退し、円を描くようにしてさらに深く灼熱を浴びせられるのを回避した。

 ヴィクトルの血統魔法は追いかけてこない。これがシルヴィアなら一発目で脳を破壊しただろう。血統魔法としては精度が弱い。能力を使い切れていないも同然。生まれついての自らの武器を磨いてこない、そこに性格が表れている。


 リステゴットはエリシュカを盾にしようとしていたが、クランツはエリシュカをいったん無視してリステゴットに飛び掛かった。リステゴットは両手で応戦するしかなく、エリシュカを放り出した。リステゴットが握っている刃物を奪おうと、もみ合いになっている横でエリシュカがせき込んでいる。


「いつ気が付いた?」


「最初は落胤ではないかと疑ったが、落胤はあの距離で血統魔法を使えるか微妙だろ。刺青でなにかの痕跡を隠している可能性、火傷痕ではなく痘痕を隠した可能性と考えて、名を呼んだのは賭けだった……。それより、どうして非政府組織に加担している? 殿下ともあろうものが……生存の声をあげれば皇帝は助けざるを得なかっただろう。屈辱かもしれないが、どこかの貴族と結婚して暗殺の手が伸びない場所で暮らすことも可能だったかもしれないのに、なぜこんなことを」


 ヴィクトルはクランツに向かって血の混じった唾を吐いた。


「それが皇族の生き方か? 運と人間に恵まれればこの国を手のひらに収めることが可能な血族に生まれた者の人生か? 栄光の座に手を伸ばさなければいけない、はじめから我々はそれを強いられている」


「こんな惨めな姿になっていてもわからないのか? あなたが皇位につくのは無理だ。俺のシルヴィア殿下がいるから!」


「だが、欲しい、欲しんだ! 欲しいものに手を伸ばしちゃだめなのか!」


 灼熱がクランツの腹を貫いた。

 間近だから、外すことなくクランツに当てた。


「ふ……ぐ、う」


 傷口が熱い。血が滲み、滴る。まぐれでも相手は皇帝の首を飛ばした人物だ。

 視界が歪んでいく。ダメかもしれない。しかし、ここで死んだら、エリシュカはどうなる。シルヴィアを誰が救う。音がするくらい歯を噛みしめて、それでも力を緩めない。


「レナは生きている。降参しろ」


「騙されない。はっ、シルヴィアの忠犬がそんな優しいやつかよ!」


 リステゴットは聞く耳をもたず、クランツに頭突きをした。

 一瞬の隙をつき、リステゴットは奪い取った刃物を振りかぶる。

 クランツは死を覚悟した。

 そのときじゅわっと、溶解の音がした。ナイフの刃が暖炉で焙られたチーズのように曲がる。


「リステゴット殿下。どうかこの場は退いてもらえませんか?」


 エリシュカが冷や汗まみれでクランツに手を向けていた。


「……っるせえ!」


 リステゴットは素手でクランツに殴りかかった。抵抗せずクランツは殴られる。血が雪に散る。何回か殴ったあと、リステゴットはクランツに馬乗りになり、首を絞め始める。


「誰かから奪われたとか奪うとか、もうやめてください。もう、二度と! わたしの目の前でクランツさんを奪わないで。殺さないで……お願い、お願い……!」


 エリシュカが泣いている。

 視界が真っ赤に染まった。

 太陽が落ちたのだと思うような光の量。

 まぶしくて目を開けていられない。

 一瞬にして、周囲の雪が蒸発していた。


「これは、こんな血統魔法……」


 リステゴットはクランツの首を絞めていた手を離し、エリシュカを見つめた。その目は据わったままだが、クランツから興味は外れている。

 クランツは咳き込みながら、リステゴットがエリシュカに近づいていくのを見た。

 リステゴットの能力で、エリシュカの髪が切れた。銀色の髪が足元に落ちる。それでもエリシュカはリステゴットから目を逸らさずに、まっすぐに見ていた。


「わたし、わたしは強いでしょ? だから言うことをきいて。お願い。このままクランツさんを放して。クランツさんも、もういいですよね。シルヴィア殿下のところに行きましょう。無理やり取り返せばいいじゃないですか、どうせこんな国は滅びるんだから……」


「エリシュカさん、いけない……」


 リステゴットはエリシュカの肩を掴んだ。


「お願い……もうやめて。普通に生きてください。人を傷つけてまで、統治者なんて意味のないものに、振り回される人生を選ばないでください。生きてさえいれば、いろいろな可能性があるんです」


「どの口が言ってんだ、てめえ」


「わたしは間違ってない。間違っているのはあなたです」


 リステゴットは罵声を浴びせた。


「ははは、お前はこの国の底辺を見たことがあるのか! 泥水啜って生きてきた人間の、苦しみってやつをよ! 社会の底辺でくすぶっている人間、上へと上がれない人間! そういうやつの頭を抑えているのは絶対的権力者で、富裕層で、やつらはみんな加害者なんだよ! この女も例外じゃねえ、思い知らせてやりてぇ! みんな、オレの大事なものを奪っていく! そこでへばってる男も奪われてきたんだろう! 貧困に、法に、国に、親に!」


 クランツは冷静に、けれど口を挟ませない勢いで止めた。


「そんなわけないだろ。いつも現実は不条理で、思い通りにいかない。それでもみんな戦って生きている。自分のできる範囲で努力して、現実に立ち向かっている。こんな悲しむ人を増やす手段で世界を変えようとしないで、自分の考え方を変えてくれ。シルヴィア皇女もこの地位に就きたくて生まれてきたわけではない。娼婦の子供だって、不幸になりたくて生まれてきたわけじゃない。誰だって幸せを目指して生きている。環境に文句を言うのは間違っている。そんなのは努力しない言い訳に過ぎない。社会を恨むか、順応するか、それは本人が自分を信じてどれだけ努力できるかにかかっている。リステゴット殿下にも事情はあるのだろうけど、そういう論に肩入れするべきじゃない。どうか目を覚ましてくれ」


「どーしろっつーんだよ!」


 リステゴットがその場で地団駄を踏んだ。混乱している隙。

 クランツは力を込めて、立ち上がる。リステゴットの背後に立ち、彼の首に取りついた。一気に締め上げる。激しく動き抵抗するリステゴットに二人は地面に倒れ込む。それでもやめない。リステゴットが身動きするたび、腹の傷から血液が噴き出す。リステゴットの抵抗がやんだ。


「……ふ、は……」


 荒い息を吐いて、クランツも横に転がる。

 シルヴィアの元で学んだ殺人術が活かされている。


「レナさんが生きているというのは……」


「嘘です。軽蔑しますか?」


 エリシュカの視線がその答えを明瞭に表していた。


「俺はこういう人間です。エリシュカさんと会う前からずっとこうです」


「……シルヴィア殿下に悪事を強制されたのですか」


「いいえ。あの方についていくために必要なことなので、自分で選びました。自分で磨きました、この技術を」


「それでも、シルヴィア殿下を求めるのは洗脳されているからじゃないですか。他人の人生を支配し、歪めるのは悪だと私は思います」


「人間は複雑です。相反する二つの感情を同時に持つことができる。俺は殿下が悪でも構いません。人から嫌われていようが、恨まれていようが、追いかけたい。俺にとっての唯一の人。人からの評価は気にしません。問題はいつも俺がどうしたいかだと思うから、俺はいまようやく、シルヴィア殿下のいるところに辿り着けると確信しています。ようやくシルヴィア殿下が俺を見てくださる。だから諦めるわけにはいかない」


「愛されたいのなら、わたしだってクランツさんを……。わたしだってクランツさんを大切に想っています。わたしがあなたの過去を塗り替えられるなら、殺人なんて犯させないのに」


 エリシュカはそう言ってまた泣き出した。


「よく泣くな。……俺のことを恐れていますか?」


「いいえ。ただ恥じています。わたしが……わたしの魔法で殺せばよかった。そしたらあなたの手は汚れなかったのに」


 エリシュカはクランツのために泣いていた。おそらくそれはこれまでクランツが誰かに涙させたなかで、いちばん愛情に満ちていると確信できるものだった。けれど、それは何の慰めにもならない。誰かの情けはもうクランツの過去を救わない。

 代わりに、シルヴィアならこんなときどうするかと考えた。笑いながら楽な死に方をさせたと言うかもしれない。薄情な女め。


「エリシュカさんがそうした汚いことをする必要はありません。清らかなままでいてください。人は光に惹かれるでしょう?」


 これ以上は言葉を捻りだしている余裕がない。

 クランツは手早く腹を止血すると、歩き出した。


「殿下のところへ行きます」


 もうすぐ陽が昇る。

 オデットとの約束の時間だ。向こうの空が赤く輝いている。

 高く澄んだ金属音も聞こえる。空を飛翔する巨大な竜が二匹いた。飛びながら口から炎を吐いている。

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