26 シルヴィアとの再会
翌日、クランツはアルタウロスを探していた。兵士に訊ねて、アルタウロスが招かれている客人向けの棟までやってきたが、あたりに人気はない。城の内部は記憶より人が少なかった。行き交う使用人たちのなかに見知った者はいない。
エリシュカはレナに案内されて、正装を購入しに行った。半年に一度、どの身分の者でも皇帝に直接直訴できる場が設けられる。もちろん直訴の権利は高値で売買されているのだが、それをヴィクトルは買ったという。事を起こすのはそこでのことになる。その機会は数日後だ。絶好の機会であると同時に、敵に自分の身を差し出す危険な選択だ。
これからやろうとしていることについて、過去に似た事例をシルヴィアの口から聞いたことがある。
ひとつめは皇帝に断罪された一族の生き残りが、皇帝に弑逆しようとした事例。これは結論を述べるまでもなく、その場で灼かれて面白く踊り狂うことになった。
ふたつめは自身が皇族であると主張した事例。これはおそらく主張の仕方が悪かった。直訴したのは弱小貴族たちに支援を受けた、この城で働いていたという使用人の娘で、彼女は血統魔法を使ってみせた。しかしその血統魔法は皇族に及ばぬ弱く調整しようもない粗末なもので、皇帝は彼女に騙りの疑いをかけ牢につないだ。彼女は牢のなかで亡くなったという。歴代の皇帝は好色家だった。土地柄、妻一人を重んじる風潮は薄い。当代ではなくても、先代や先々代の皇族の落胤はあり得る話だ。しかしリェフが皇帝の座についている限りこの話の真相は闇に葬られたまま、究明されることはない。
外の階段に座り込んで、クランツは体を震わせた。
どれくらい時間が経っただろうか。
遠目にシルヴィアが男にエスコートを受けて、城の奥の庭園を歩いている姿を見つけ、クランツはつい柱の陰に身を隠した。庭園だけは温かな気候が保たれている。白いドレスを着て、金髪をなびかせて歩くその麗しい姿。
姿を見られることを恐れていたのに、視線が釘付けになり、吸い寄せられるようにして柱から体が離れた。足が一歩、二歩とシルヴィアに向かう。
前方にばかり気をとられていたクランツの背後で、何者かがその肩を抑えた。
「なにか文句をつけて城を追い出されたくなければ、いまのところはおとなしくしておいたほうがいい」
イサーク・アルタウロスだった。
クランツは柱の陰にそっと身を戻した。
「殿下とご一緒の、あれが誰だかわかるかい?」
「婚約者のルカ・スコーコフです」
「そう。シルヴィア殿下の未来の伴侶殿……。第二皇子が行方不明だというとすぐ殿下のそばへと入り浸りはじめた困った男……。殿下と内密の話ができなくて困る」
アルタウロスは嘆息した。
彼は間借りしている居室の扉を開けると、クランツを招いた。クランツの言いたいことがすべてわかっているというふうに、しきりに頷いている。
「さて、どさくさに紛れて城へと戻った理由を聞かせてくれ。クランツ・レンバッハ君とエリシュカ、だね。乾眠させたのはエリシュカだろう。魔法局で無詠唱が得意なのはうちの息子と彼女だけだから」
クランツはアルタウロスに経緯を話した。アダム・ベロフとドラニカへの制裁のところでアルタウロスは眉を顰めた。
「つまり今の君はいきなり魔性化する危険はなく、魔法局はめちゃくちゃ、エリシュカは魔法局を出ると……」
すう、っとアルタウロスは息を吸い込んだ。
「なんてことをしてくれたんだ」
怒号が部屋を揺らした。クランツが椅子から飛び上がった。
「ギルモアが滅んだのは魔性に近づきすぎて、守り人に裁かれたからだ。私はだいぶ慎重に生きた。秘密を知ってからは特に……。しかし外部の人間の一人、二人を受け入れただけという理由で私が苦労して守ってきた場所が壊れるとは思わないだろう。ハハハ。不愉快極まる。私が冷静さを重んじる人間であることに感謝してほしい。でないと君を殴っていただろう」
「申し訳ありません。ただ……アダム・ベロフについては、彼は俺のはらわたをほじくり返したのでお相子です。彼は然るべき罰を受けました。それだけです」
「ああ、べつに心の底から君に怒っているわけではない。私がもっと……魔法使いたちに道を示してやればよかったという後悔と言い訳でそうしたくなるのだ……。待ってくれ、感情を抑える。ああ、こんなに怒っているのは久しぶりだ……。他人の体に手を出すのは異常極まる。アダム・ベロフもドラニカもやり過ぎだ。やはり外を知らない魔法使いは脆い。自分が歳をとり、いつか死ぬことを自覚していない人間は未熟なまま道を誤る。私が彼らに誤らせてしまった」
アルタウロスは自らの顔を搔きむしった。
激しい自傷はクランツが引いてしまうほどだった。
やがて頭に手をあてたまま小さな声で話し始める。
「申し訳ないと謝らなければならないのは私のほうだ。クランツ・レンバッハ君。手足が魔法液で元に戻って本当に良かった。君にとって魔法局での生活は刺激的で最低だっただろう。魔法局に引き入れたのは魔性に変転する直前をせめて穏やかに過ごしてほしいという配慮だったのだが……」
「……本当にそんなこと思っていたのですか? でも俺は最初からそんなこと望んでいません。終わった話はどうでもいいです」
魔法使いの権威を盾にする人間を今後二度と、クランツは信頼しない。
「秘密を手にして、それをシルヴィア殿下に教えてさしあげるつもりかい?」
クランツは頷いた。
「俺はレンバッハという苗字からもわかる通り、孤児で城に召し上げられました。以来、城でずっと働いて暮らしてきました。殿下を幼いころから知っています。あの方の望むものはなんでも差し上げるようにいわれてきました」
静かに目を伏せて過去を反芻する。
仕事の内容はさまざまだった。暗殺者殺し、敵対者の追跡、協力者の犯罪の隠蔽、脅迫。明るみに出れば、協力者の貴族とともに絞首刑にかけられかねない残酷な罪の数々。それらはすべて姫君、姫君の協力者たちによる指示があった。シルヴィアらからみればクランツは便利な駒だった。
――助けてくれ、見逃してくれ。
――命令だから。泣いても無理。
何度そういうやりとりをしただろう。もう覚えていない。
細かな話をアルタウロスやエリシュカに話す気にはならない。
クランツは鋭くなった目をアルタウロスに向けた。
「だからこそ、戻って来ました。半端な覚悟ではありません。ここはどういう状況なのですか」
「状況は城の労働者や貴族たちが突発的に魔性化する。理由のわからない感染が拡大している。いまは来客は必要最低限にしており、まだ隠しきれているが、この速度ではじきに城の人間のほうが少なくなるだろう。血統魔法を持つ皇族が喰われるわけがないので城としての機能は維持の見込みがある。ただわからないのは感染源だ。……特定したい。だからシルヴィア殿下と二人きりでお話したいのだ。しかし……巧妙に避けられている。ルカが邪魔だ」
「シルヴィア殿下が感染源だと考えているのですか?」
「ただの直感だ。確信はない。それにすでにシルヴィア殿下が魔性化の症状が出ているとすれば、陽光に当たるのは辛いはずだ。不可解なことが多い。隔離させてもらうのが一番いい。君にとって私のこの判断は不都合だろう? そうなったら君は私のことを排除するか?」
「殿下のご命令があれば、考えますが……」
オデットがシルヴィア殿下も感染していると言っていた。焼き払うしかないとも言っていたので、アルタウロスの想像よりとても悪いことになっているのは確実だった。もちろん親切に教える義理はないので黙っている。
「まあ、いい。とりあえず私からは以上だ。君から何かあるかい?」
「いえ、特には。ただ俺はシルヴィア殿下に必ずお会いしてから戻ります」
「謁見申請は受理されないと思うが……」
「俺はあのアホ婚約者殿が把握していない方法を知っているんですよ。従者にしか許されませんけど」
「……初めて笑ったね。そんなに嬉しいのかい。シルヴィア殿下にお会いできるのが」
「ええ。最後かもしれませんから、嬉しいですね」
アルタウロスは少し身を引いた。
「……君は生まれ変わったつもりで生きたほうがよい。これまで殿下のそばでどのような仕事をしてきたのかは語らずとも、その振る舞いで推し量れる。これからは人生を謳歌しろ。それともう一つだけお礼を言わせてほしい」
アルタウロスは咳払いをした。
「私は実は一人息子を二十年ほど前に亡くしていてね。アルタイル・アルタウロスは孫だ。戸籍上は息子ということになっているが。君は孫……と同じような年齢だ。生きてくれ、これからも。私はそれ以上、君に望まない。君が行きたいところ、成し遂げたいこと、すべてやるがいい。ただ死ぬな。諦めるな」
クランツは頭を下げた。ふと、イサーク・アルタウロスの上半身の骨格に既視感を覚えた。見れば指先も節くれだって筋肉が発達しているが、どこかで見た気がした。それがなんなのかはわからない。彼の後継者であるアルタイルは全身縦横に大きい奇妙な姿で、顔は面で隠しているため、どれほど彼らが似ているのかはわからない。
――奇妙な気分になって、イサーク・アルタウロスのこの地では珍しくない灰色の目、日に焼け赤らんだ肌を観察する。
「アルタウロスさんたちには助けていただきました。ありがとうございました」
鏡に映った自分の姿が脳裏によぎる。いや、まさか。似ているっていうのか。ありえない。
結局、答えは見つけられなかった。
日が沈むころにクランツは城と近い場所にある宮殿へと赴いた。この宮殿に住むのは皇女たちである。シルヴィアの他には実妹の今年五歳になるシェミエル殿下が暮らしている。クランツは数人の使用人とともにシルヴィアの居室を訪れていた。城で働いている使用人の伝手を頼り、姫君に頼まれた極秘の連絡であると説き伏せて、夜食を運ぶ使用人たちに紛れ込んで連れてきてもらった。シルヴィアは急な連絡は宮殿に下がった後も、使用人や下位貴族を呼びつけて報告させることがある。とくべつ警備の者には怪しまれることもなく、ここまで来ることができた。
久方ぶりの再会だった。シルヴィアは窓の外を眺めている。簡素なドレス姿で、裸足でソファに背中を丸めて座っている。昼間見たときと同じく金髪は彼女の背で輝き流れ落ち、その横顔は憂鬱さを滲ませていながら同時に不可侵の神聖さも感じる。こちらに振り向きもしなければ、テーブルの上に用意された食事を一瞥することもない。
使用人は一言も発さず、テーブルの上に銀の皿を並べていく。料理の種類は多いものの、量自体は少ない。おまけに毒見でほとんど冷めているので、下々の使用人からしても羨ましい食事ではない。シルヴィアがこんな食事などに興味を示すわけもなかった。
クランツは許しがあるまで御前には進み出ず、待っている。
「テーブルに置いたらみな下がって。そこの、わたくしに話があるというお前だけ、前に出るのよ」
食事の準備を終えた使用人たちが壁に一列になると、シルヴィアは言い放つ。だが使用人たちは首を振った。
「殿下、この時期に二人きりにさせるわけにはいきません」
「じゃあ……ベラ、ディ、残ってくれる? ほかは下がりなさい」
女性の使用人二人を部屋に残し、あとの者たちは指示に従って出て行った。使用人二人は扉のそばに控えている。ようやく少しだけ、クランツはシルヴィアの前に進み出る。シルヴィアは初めてクランツに視線を向けた。
「塔を出たのは一年ぶりでしょうか。殿下、お久しゅうございました」
「挨拶などいらない。それよりなぜ戻ったのか理由を訊きたいわ」
「冬の秘密を知りました」
「話しなさい」
クランツは促されるまま、話して聞かせた。
この世界の人間だと思われているものの正体を曖昧にし、冬の寒さがないと生きていられないという世界の話をする。クランツの魔法局での生活についてもふれた。
「途方もない話だわ。ゼプト粒子というものがわたくしの血統魔法の源なのね……」
話を終えるころには、料理はかすかな湯気すら消えていた。
シルヴィアは料理ではなく、硝子の皿に盛られた果物に口をつけた。
「ところで、どうしてわたくしが拒絶された冬の城に、お前は招かれたの」
「それは……」
クランツが答えに詰まると、シルヴィアはゴブレットの中身をクランツにぶちまけた。冷たい葡萄酒が前髪から滴り落ちて、床の絨毯に染みをつくる。
「虚偽。策謀。わたくしにそんなものが通じると思っているの?」
シルヴィアは断固たる口調だった。
「もう二度と、わたくしの前に現れるな。ベラ、ディ、護衛騎士を呼んでくるのよ。この男をつまみだして」
使用人二人が部屋を出て、近くにいる護衛騎士を呼んでくるほんの少しの間。シルヴィアは跪くクランツに身をかがめて囁いた。
「一時間後、開けておく。もう一度、来なさい」




