23 反抗の時
体調は戻ったのでドラニカに会いに行き用事を済ませる。
ドラニカは保険だ。万が一、アダム・ベロフを打ち損じたときのため、武器を持たせて別室に待機させておく。責めに責めたので、彼女はやってくれるだろう。
命令を告げて立ち去ろうとするクランツにドラニカは密着する。
「ねえ、アタシ、魅力ない?」
「痴女が。勝手に盛ってろ」
ドラニカは服に手をかけて脱ぎ始めた。
「い、言う通りにやったら、こ、恋人になってくれる? だ、抱いてくれる? 結婚してくれる? ずっと一緒にいてくれる? 満たしてくれる?」
「お断りだ。汚ねえから離れろ」
「なんでぇえええ」
「俺のせりふだよ! 一晩でおかしくなりすぎだろ。とにかく命令はこなせ!」
「旦那様は横暴だよぉお。釣った魚には餌をくれてもいいじゃない! うわーん!」
「誰が旦那だ。気色悪い。二度とその呼び方を俺に使うな。吐きそうだ」
クランツはドラニカの研究室を出た。
今まで経験したことのない気色悪さに眩暈を感じた。
ひとまずアダム・ベロフは五人もいる。警戒しておくに越したことはない。
「これを返そう」
アルタイルが渡したのは、局長に渡した銃だった。
「いいんですか、助長するようなことをして」
「関係ないね。五人もいるなら一人を残してあとは始末するといいよ。帝国がどの程度荒れるかはわからないが、国が無事ではないなら魔法局も暴かれるだろう。僕たちもこのままでいることができない。僕は力のある人間ではないから、大を守るために小を切り捨てようと思っている。エリシュカと君を傷つけたことは許すべきではない」
「わかった」
短く答える。
アダム・ベロフが戻ってくる予定の日を迎える。
実際に手をくだすのはドラニカとクランツだけ。アルタイルは傍観する。窓から調査隊が帰ってきたのを見て、クランツは息をひそめてアダム・ベロフの研究所へと隠れた。
ほどなくして一、二、三……足音を数える。階段を上がってくる音。近づいているのは三人だ。全員がアダム・ベロフとは限らない。
二人の足音が遠くなっていく。
一人は扉の前で立ち止まった。心臓が跳ねる。
鍵が開く。クランツは扉を開閉したときにできる死角に身を潜ませて、侵入者を見極めようとした。黒髪、眼鏡、中肉中背。間違いない。クランツの判断は素早く、彼が背中を向けているうちにその首にベルトをかけた。
「なっ」
まずは一人目のアダム・ベロフ。
悲鳴もあげさせない。太い革製のベルトだ。人間を超えた魔性の力で捩じるように締め上げれば、人の頸椎は折れる。感触がして、抵抗がなくなったので、クランツはその体を研究室に置いた。痙攣している体を見下ろし、冷静に考える。防寒具で着膨れした体を障り、装備を確認する。五人とも大差ない装備のはずだから確認したかった。たいして武器になりそうなものは所持していない。
彼らはどうせ研究室に戻ってくるだろう。おそらくもう一人、二人はここで処置できると考える。痛覚は共有していないはずだが思考は共有しているかもしれない。一人の思考が途切れれば、残りも気づくかもしれない。クランツは汗をぬぐった。
エリシュカの操る素体魔法という技術は謎が多い。アルタイルからエリシュカの部屋にあったという資料をもらったが、よく理解できなかった。もとはアレクシア女帝が万の脳を作るのに使い、さらにエリシュカの疑似的な知能と人格を持たせ、不死すら成し遂げるようにみせている魔法。
アルタウロス曰く――「その資料を見ただけじゃわからないのは当然だよ」「実際にエリシュカが行っているのは、僕を超える奇跡、多重レイヤーによる魔法行使だからね。脳が何個かあるとしか思えない神業だ。彼女はたくみに自身の能力を隠しながら、論文筆記に取り組んでいた」――と。
アダム・ベロフの物言わぬ体は血が通っていない。あのクランツに与えられた苦痛の時間は、化け物が化け物を切り刻む異様な光景だったわけだ。
「…………」
二人目がやってきたようなので身を隠す。二人目は扉の目の前で逡巡している。なかなか入ってこないのでクランツは先手を切って、扉を開けた。
驚いた顔のアダム・ベロフがいる。
「……き」
何かを言おうとしたその頭に、剣を叩き込む。幅広の剣は頭部にめり込み、血液とは違う薬品を散らした。床に倒れ込む。重い体を引きずり、研究室内に入れる。
「人間ではないから記述魔法が反応しない。有利だな」
素体魔法の複合品と人間の体は外見ではまったく見分けがつかない。
「まぁ、どうでもいいけど」
廊下に散った液体を拭き、クランツは研究室の外に出る。調査隊に加わっていた研究者たちが自分の研究室に戻り始めている。早く狩らないと日が暮れてしまう。クランツは自らの足でアダム・ベロフを探し求めることにした。
剣は適当な布にくるみ、体と一緒に放置する。代わりに倉庫からとってきた斧に持ち替える。斧のほうが手に馴染む。
廊下を歩いていく。すれ違う研究者たちは怪訝そうな目を寄越すが、声をかけてくるものはいない。そのうち、本館との廊下で三人目のアダム・ベロフを見つけた。
「ひっ」
悲鳴をあげて彼は背中を向けた。クランツは追う。姿を一目見て青い顔をしたところを見れば、視覚での情報共有がなされているのかもしれない。
ドラニカが三人目のアダム・ベロフを庇うように立っていた。
「止まってよ! もう用は済んだでしょ! アタシの口からスコーコフの名前が聞けたんだから!」
「……あんた。俺の前に立つとはどういうことかわかってんだろうな?」
「裏切ってないもん! アタシが好きなのは彼だけなの!」
こらえきれず舌打ちする。
「うるせえ。お前が好きなのはお前自身だろ。二人まとめて肥溜めに放り込むぞ」
吐き捨てるように言って、クランツは容赦なくドラニカを蹴り倒した。
「あんたの処遇はエリシュカさんに委ねる……」
無策でドラニカの後ろで守られているだけだと思ったが、アダム・ベロフは手になにかを持っていた。
――銃だ。
認識したが、わずかに遅かった。
発砲音。
鼓膜が破れそうな轟音に押されて、立っていられなくなる。
弾丸は胴体を逸れて手に炸裂した。手のひらが短冊状になっている。たまらず転がり抑えた手の隙間から血がどっとあふれ出す。床に崩れる瞬間、ドラニカが困惑しているのが見えた。
「こんなところで死ぬわけにはいかないのにっ!」
必死の形相で片手で斧を持ち直すと、アダム・ベロフに向けて振るった。頭蓋が割れる。
アダム・ベロフの制御を失った体が前のめりに倒れる。避けられず、クランツも一緒に倒れた。
一拍遅れて絹を裂くようなドラニカの悲鳴が響き渡った。
「あんた、ドラニカ、俺に動けるように魔法をかけてくれ。一度だけだ。頼む」
アダム・ベロフの手元から銃をしっかりと回収する。
彼の体の下から這いずるように脱出し、止血帯で腕を固定する。幸いにも被弾したのは利き手ではない。十分に戦える。ただこのまま失血させておくのは危険だ。時間がない。止血したあと、着ていたものを脱いで巻く。
「そんな便利な魔法ないわ。なんでそんな重症で動こうとするのっ! 待ちなさいよぅっ」
「俺の目標はここで終わらせるわけにはいかない! 本当に大切な人がいるんだ! あんたのよく言う妄想じゃなくて、この現実に!」
激情に涙があふれた。
「猫……!」
遠くで鳴き声が反応した。クランツは額に油汗を滲ませ、あたりを見回す。姿が見えないが確実にいる。
「猫、お願いだ。残りを殺してきてくれ……」
猫が唸った。気配が消えるが、どちらかというと同調しようとしたのを切断された様子だった。
「な、なにに話しかけてるのよ? 幻覚でもみているの?」
「精霊だよ!」
「精霊に殺しを頼むなんてばか!」
ドラニカは怒りながら泣いている。
「手伝う……アタシが手伝う」
「……よし、俺の勝ちだ。これに懲りたら金輪際、俺の邪魔をするな。俺の肩を持て。外に行く」
「なんで?」
「俺だったら殺人鬼がいる建物には近づかないで、すぐに人の多いところに逃げるね」
雪原に残る犬ぞりの痕跡を追いかけるのは苦ではない。過去にこうして襲撃者の痕跡をたどったことがある。曇天だがまだ雪が積もり始めていないことも幸いした。
氷点下三十度。これはそりの刃が凍り付き、そりが上手く進まなくなる温度だ。鞭を操るドラニカの横でクランツは目を凝らして先を見ていた。
だんだんと周囲が夜に沈みはじめる。
夜の闇の中での狩猟は危険だ。
「見えた」
こちらも二人、あちらも二人いる。クランツは銃を構えて、引き金をひいた。
銃撃に気が付いた二人が振り向き、片方が倒れた。そりは止まる。クランツたちとアダム・ベロフの距離は縮まっていく。混乱してそりを放棄して走り出したアダム・ベロフにクランツが追いつく。
アダム・ベロフは荒い息を吐き出し、足が引き攣っているのか走り方が不自然だ。とうとう腰が抜けて歩けなくなって、雪の上を這って逃げようとする。
「おい、やめろ、僕は……僕は視覚だけじゃなくて、痛覚も共有しているんだ!」
「それはよかった! ここ最近聞いた話のなかでは一番胸のすく話だ!」
クランツは拍手しようとしたが、怪我のせいでうまくできなかった。
アダム・ベロフは参ったというふうに這うのをやめて、両手をあげた。
「一体なんなんだ。お前は」
「お前の実験動物だよ、忘れたか?」
クランツが笑って言うと、アダム・ベロフは目に見えて竦みあがった。
そのとき、クランツは気配を感じて背後を見た。
もう一人のアダム・ベロフが、クランツに向けて銃を構えているところだった。謀られた。外さない距離まで招かれたのだ。
「死ぬのはお前だっ」
銃を持ったアダム・ベロフが息を上げながら叫んだ。この至近距離ではいまさら回避行動をとっても無意味だ。
クランツが死を覚悟した、刹那。
銀色が舞い降りて、銃を持っていたアダム・ベロフの首が千切れた。油が噴出し、あたりの雪が薄い青色に染まる。
金属の響きを含む咆哮が雪原を揺らす。
「オデット!」
凍り付くような風の中、真っ暗闇のどこかで竜が吠えた。
「クランツさん!」
暗闇のなか、名前を呼ぶ声が反響する。真上から聞こえた。クランツが上を向いた瞬間、彼女は降ってきた。あわてて抱きとめる。
「もう一度会えてうれしいです。もう終わりかと思っていました」
エリシュカは防寒着が破れて、ひどい恰好だった。素肌が見えている。凍傷にはなっておらず傷のたぐいもない。
彼女はぎゅっとクランツの首に手を回した。いまはクランツも両腕が自由なので彼女を抱擁し返すことができるのだが、再会を喜んでいる余裕はなかった。
「エリシュカさん、いまは……」
「ええ、わかっています」
エリシュカが抱き着いたまま、クランツは逃げていくアダム・ベロフを目を細くして見つめた。
エリシュカが舞い降りて、アダム・ベロフは放心していたが、いまは急に思い立ったように立ち上がり背中を向けて全力疾走していた。無駄な足掻きだ。そう遠くにはいけないだろうことは想像に難くない。
エリシュカは目を瞑り、傷を抑えるときのように顔を歪める。
熱く照らされる。遠い空に大きな炎が浮いていた。それはリトヴァクの皇族が操れる太陽の熱。魔法によって作用が局所的に抑えられた、核融合反応の光。束の間、空は朝焼けのように明るくなり、大気がその質量を増した。周囲の雪が急速に溶ける。光を受けて鮮やかな空を旋回するオデットの姿も視認できる。
アダム・ベロフの間抜けな姿も照らされている。
ドラニカが口を開けている。それからエリシュカを見た。
「血統魔法……。皇族の血だなんて」
クランツは逃げるアダム・ベロフを追いかけた。
「く、くるなっ!」
疑似的な太陽に照らされて、転びそうになりながら走るアダム・ベロフ。
クランツは斧を投げた。直撃させる自信はなかったが、幸運にも斧は体に当たり彼はつんのめって転ぶ。
「殺しはしないんだ。おとなしくしてろ」
クランツはやっとの思いでアダム・ベロフを捕まえて捕縛した。縄で縛られたアダム・ベロフは項垂れた。
「エリシュカ……君は皇族だったのか? 僕は君に求婚しようと思っていたのに」
エリシュカの前にひきずってくると、アダム・ベロフは寝言を言い始めた。エリシュカの顔は青ざめて凍っている。
「わたしは人に危害を加えるためにあなたに素体魔法の体を与えたわけではありません。わかっていますよね、クランツさんに謝罪してください」
「…………仕方なかった。どうしようもなかった。君に近づく男は邪魔だった」
それきりアダム・ベロフは押し黙る。
エリシュカは落ち着きなく、自身の唇に指で触れ、手の甲をさすり、最終的に額を抑えた。
「わたしはあなたみたいなひとは好きではありません。あなたと生き続けるなんてまっぴらごめんです。考えたくありません」
「じゃあなんで素体魔法で僕を五人に増やしてくれたんだ」
「わたしは人間を使って実験をしたかった。理論はあったので試してみたかったんです。あなたにもあるでしょう? 知的好奇心。それが答えです」
淡々と答えるエリシュカの後ろで、クランツは首を振った。
人間に戻ったオデットも微妙な顔をしている。記憶はなくともエリシュカは女帝の技術をほとんど継いでいる。オデットと目配せしあう。
「君は天使だ。慈愛と無垢の天使だ。守ってあげたくなる……。どうかこれからも守らせてもらえないだろうか」
「それが縄を解けという意味ならお断りします」
さきほどから会話が微妙にすれ違っている。さしものエリシュカも少しだけ、落胆の表情をみせた。
「前々から思っていましたけど、気持ち悪い願望を押し付けないでもらっていいですか? わたしがいつ守ってほしいなんて言いましたか? 誰かからの愛情がほしいとか言いましたか? ぜんぶあなたの妄想です。わたしは必要としていません」
「エリシュカ、僕は……」
「あと、クランツさんにしたことも謝罪してください。あなたがしたことは謝って済むことじゃないので、相応の罰を受けてもらいます」
エリシュカはそれ以上話すことがないというようにアダム・ベロフに背を向けた。
ドラニカも口をずっと噤んでいる。エリシュカの血統魔法を見たときからだ。
クランツはエリシュカに訊ねる。
「このバカ女、エリシュカさんはどうしたいですか?」
「バ、バカって……何様のつもりよ」
ドラニカの肩が震えている。
「わたしはこの件に関してのドラニカの処罰は望みません。生きてさえいれば人は変わることもあります。歳を経ればこのことを悔やむかもしれません。ただ……クランツさんへの、シルヴィア殿下の従者に対しての無礼を問いたいなら、連れていってください」
「ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ……」
「え?」
エリシュカがドラニカのほうを見た。
「アタシに捧げられるはずの愛を! 横取りしたのが悪い!」
それはやかんのお湯が沸騰し蓋を押し上げたような怒りだった。ドラニカは顔を真っ赤にして、エリシュカに掴みかかろうとした。
クランツはそれを抑えた。引っかかれて、殴られ、蹴り上げられそうになる。抵抗に抑えきると、今度はドラニカは声をあげて哀れっぽく泣き始めた。
「急にまた病気が始まったな、おい。よくそんな気持ち悪いことが言えるな。誰に抱かれても同じだみたいなこと言っていたくせに。しかも、論文窃盗したりしたんだろ? 犯罪だろ? まず謝罪じゃないのか」
「……なんでよ、なんでこの歳もとらない化け物みたいな女のことを擁護するのよ? こいつ、人間じゃないわ。しかも血統魔法まで。なんでそんな大層なものをアタシの前でふりかざすのよ! ずるいじゃない! どうしてこの女ばかり! 論文だって、べつに盗るつもりなんかじゃ、ただ……ただ……この女が!」
「……わたしはたしかに化け物です。生命から逸脱しています。けれど、歳をとる生命ならばドラニカさんはそろそろ人からもらうもののことではなくて、自分が人に与えるもののことを考えたほうがいいでしょう」
エリシュカは自身の身を抱いた。
疑似的な太陽は落ちて、暗い空から、雪が降り始めていた。
魔法局に戻り、エリシュカの小屋を片付けていた。
左手は元の形成は無理だった。魔法使いの都市の医師を呼び手術した。今は包帯で巻かれた状態になっている。
捕縛した人間はいずれ警察に突き出すつもりだが、いまは魔法局で監視をつけて身柄を預かっている。魔法使いを民間の組織に差し出すのは、少々手順が必要だった。アルタイルはその処理に忙殺されており、出迎えには現れなかった。
「帰ってきたな。オデット、ありがとう」
オデットはエリシュカが用意した紅茶を飲み、椅子にかけていた。
「これから向かうんだろう? あのお姫様のところへ」
「ああ」
「ねぇ、あたし考えたのぉ。これは提案なんだけどぉ、女帝を……」
何かを言いかけていたが、エリシュカが調理場から戻ってきたので会話が途切れる。
オデットと視線で会話する。
――お前が話せ。
――いやだ。
オデットはそっぽを向いた。クランツは少し疲れて、エリシュカに向き直った。
「エリシュカさん、これからのことなんですが、俺はあなたをふさわしい地位に導きたいと思っています」
「え?」
「あなたは女帝か、近い地位に就くべきです。それが最後に果たすべき責任であり、あなたの生まれた意味でもあると俺は思います」
「わたしの生まれた意味ですか?」
クランツは少しだけ逡巡した。さきほどのオデットの言葉の続きも気になる。オデットはなにか重要なことを言いかけていた気がする。けれど、もうエリシュカへの提案は腹の内では決断していたことだった。彼女がクランツを助けたときに直感したのだ。
「俺と一緒に来てほしいんです」
クランツは立ち上がって、エリシュカに手を差し出した。
エリシュカは戸惑いを浮かべていたが、おずおずとその手を握った。




