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18 逃避行

 一夜目は二人でオーロラを見た。満点の星空のもとで光のもやが輝きうねる。人気のない暗闇にかかるオーロラは神秘さをよりいっそう極めていた。しん、と静まり返った雪原に犬たちとそりに乗った二人の呼吸音。まるで世界がここだけで完結しているようで悪くない気分だった。

 夜はそりの上にテントを張って外界から視界を遮り眠る。まだこのあたりは魔性が徘徊していないため警戒はそれほど必要はない。


 氷が睫毛に絡むのを鬱陶しくこすりながら、クランツは隣のエリシュカに訊ねた。


「エリシュカさんはなぜ俺が人を食べたときにちょうど現れたんですか?」


「あのときは、小屋に戻るとわたしの持ち物がなくなっていて……。わたしの部屋にあったドラゴンの幼体の模型は壊されているし、なにかあるかもしれないって胸騒ぎがして様子を見に行ったんです」


「持ち物? なにがなくなったんですか?」


「……研究発表会用に用意していた論文」


「なんのために?」


「さあ……。でもこういう嫌がらせはよく受けていたので」


「エリシュカさんが何者であっても不当な扱いをするのはいけないと思います。誰が犯人かわかりますか?」


「アダム・ベロフのほかに?」


「彼以外に思い当たる人物は? 彼は魔性に近づこうとしていましたが、エリシュカさんを故意に害する意図はないように思いました。喀血していたそうですが、それは動かれたら困るという理由があってのことですよね。また俺が魔性になったのもアダム・ベロフは突発的に利用しただけなのか。隔離された部屋を用意し、思考を読むアルタイル・アルタウロスがいながら見つけるのに時間がかかったのは運が良かっただけなのか」


「暗殺ってなんのことですか……?」


 エリシュカに事情を説明する。もうこうなっては隠しておくことは困難である。

 シルヴィアが冬の城の秘密を求めた理由。そもそものことの発端は、城内にいる者ならば誰でも知っているリトヴァクの後継者の争いだ。シーレナ皇后の産んだ第二皇子ルメルスと、皇后が亡くなったあとの後添いアゼウレスの子である第二皇女シルヴィアに続くシェミエル、アンゼルムの確執。


 リトヴァクの地はけして豊かではない。住まう者は血に飢えた者が多い。必然的に皇帝になる者は優れた血統魔法を持つか、冴えた勘を持って内政に活かせる者であることを求められる。


 第一皇子は病死と報道があり、第一皇女は帝国内の貴族に降家している。二人とも皇家に備わる血統魔法の力が薄かったため、皇帝の地位にと周りに望まれる人物ではなかった。力を持たない皇族は利用されるか謀殺されるかの二択だ。シルヴィアは誕生のときからルメルス派に命を脅かされており、そうした気の抜けない生活を妹弟に与えるのを望まなかった。


 幸いにもシルヴィアには強力な血統魔法があり、彼女が後継者の地位を望むと望まずとも協力者に恵まれた。自身が力を振るえばルメルス派の目を釘付けにしておける。そう考えた彼女は妹弟を政治的な駆け引きから守りたいという意志のもと、今現在女帝の地位を求めている。


 城へと侵入したのは、冬の秘密を知ることで皇帝と駆け引きできるとシルヴィアが踏んだからだ。失敗したので政治的に微妙な位置におり、この機に完全にシルヴィアを叩きのめしてしまおうとルメルス派は不穏な動きを活発化させている。


 クランツはそう話し終える。


 エリシュカは相槌を打つ。


「皇族は血にまみれているとの噂は伊達ではないのですね。身内同士、血で血を洗う闘争をしているとは」


「いえ、皇族自身がそうしたいと望んでいるわけではなく、あくまで周囲を取り囲む貴族の力が強いせいなのですが。リトヴァクに従わない非政府組織もありますからね、血統魔法が強い皇帝のほうが周囲の貴族も強気で威張れて気持ちが楽なのでしょう」


 非政府組織とは表立って戦争をしているわけではない。まともに戦えばリトヴァクが勝利する。そんなのは貴族ではないものだって予想ができる。だからこそ、非政府組織が使ってくるかもしれない搦め手や一歩間違えば自滅するかもしれない捨て身の戦法を恐れているのだ。大小さまざまな非政府組織があるが、とりわけ大きな組織では、冬の魔法は人類ひいては大きくなりすぎたリトヴァクへの天罰であるという主張が目立つ。反政府の過激派や、思想に共感した裏切り者がいつ現れてもおかしくない状況である。


「俺が言いたいのは魔法局の内側にアダム・ベロフ以外の暗殺を手引きした者がいるかもしれないということです。情報が少なく、どういった経緯か推測もできません。魔法局に戻る際には警戒してください」


 クランツがそう締めると、エリシュカは小さなあくびをした。


「明日に備えてはやく寝ましょう」


「……ええ、そうですね」


「そんな危険なことがあるならわたしの血は飲みませんか?」


「エリシュカさん……」


「わたし後悔したんです。あのとき、クランツさんがわたしの血を求めたときに、捧げればよかったなって後で思いました……」


 クランツは言葉を失った。


 エリシュカがごく間近に顔をよせていたからだ。


「あの日、あなたが魔性化したのにも、抗えない理由があったんですね……。わたしはてっきり、人を食べたいという誘惑に負けたのだと思っていました。勘違いしていました。あなたは強い人です。理性的な人です」


 エリシュカが指で自身の長い前髪をはらいのけける。綺麗な薄水色の目が覗いた。

 クランツの心臓が跳ねた。暗闇の中でその目はシルヴィアの目を連想させた。理知的な輝きを湛える目。思い出したように、年頃の少女が近くにいることを恥ずかしいと思った。

 もう着替えもさせてもらい、下の世話も、いろいろなところを見られてしまったあとなのに。

 そして善意で献身的に気遣ってくれるエリシュカを、そういう目で見てしまうことにわずかに罪悪感を抱いた。


「クランツさんの事情というか、シルヴィア殿下の背景はだいたいは理解しました。今度はわたしの話を聞いてくれますか?」


 まともにエリシュカの目を見ていられなくなり、俯きがちにうなづいた。


「と言っても、荒唐無稽に聞こえる話だと思うのですが」


 エリシュカはそう前置きして話し始める。


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