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17 真実の希求

 いつの間にか目隠しが外れている。

 台の上に臓物が並べられている。臓物とわかったのは、寒い室内でそれらが湯気をたてていたからだ。数日前から体が妙に軽いと感じていた。あまりにも現実味がないので、これは夢かもしれないと思った。


 シルヴィアが傍らにいる。台の上に腰かけて、楽しそうに足をゆすっている。稚気じみたその仕草は幼いころのシルヴィアの癖だ。


「ねえ、もういいんじゃない?」


 ――なにが?


「全部捨ててしまっても。放ってしまってもいいんじゃない。あなたはもう頑張ったわよ。人間としてよくやった部類。そうでしょ? わたくしのためによく働いてくれた。ありがとう。もう十分よ、あの男でも、エリシュカでもいいけれど、あいつらが現れたら食ってしまいましょう。そしたらまた我を忘れて大暴れできる。みんな殺してしまえる。楽しそうじゃない? クランツ、元から人間なんて嫌いでしょ?」


 ――殿下はそんなこと絶対に言わない。


「あらあ、ここにいるのは本物のシルヴィアよ。わたくしはシルヴィア・エル・リェフ。栄えあるリトヴァクの第二皇女。父の名はベンヤミン・イグナエル・リェフ。母はアゼウレス。異母兄ルメルス、弟のアンゼルム、妹のシェミエルがわたくしの家族。幼いころのあだ名は死の匂いのする妖精姫。血が大好きな、この世に二人といない帝国の禍姫。忘れたの、わたくしのことを」


 ――いろいろな意味で震えそうになる二つ名を増やすな。


「あなたもノリノリだったじゃない。それより、ほら、あなたに会いに来るのはわたくしだけ。あなたって孤独なのね。ここで一人で死んでも誰も気づかない。誰も助けてくれない。あなたの恐怖を理解してくれる人はいない。寂しい人生! なにも残せない人生! ならせめて殺しましょう? あなたの名前を後世に残すのよ。あなたには力がある。あなたは自分の本性を知っている。解放しましょう?」


 ――失せろ。


「どうしてぇ? 自分がやられたことをやり返したいって思わないの? 自分の受けた苦痛すべてをこの世界に広く知らしめたいと思わないの?」


 ――俺はいまここで自分が苦しむことで、これから先同じ苦しみを罪のない人に与えたいと思うことはけっしてない。

 シルヴィアの美しい顔が歪んだ。


「ごみ畜生ども裏切るかもしれない。助けなんてこないかも。あんたを愛しているやつなんかこの世界に一人もいないんだよ? 親からも捨てられたくせに。怖くないわけ? 痛くないはずがないでしょ? 憎くてたまらないはず。嫉妬だって抱えてきたはず。なのに、どうして世界を許せるの?」


 ――……。


「では、これは命令よ。クランツ、死んで魔性になるの。天災みたいに死を振りまく魔性にね! 楽しそう、ははは」


 シルヴィアは哄笑した。

 クランツは強く目をつむった。

 ただ信じる。

 信じて、助けを待つ。



「クランツさん、クランツさん……」


 さきほどから耳元でうるさく誰かがわめいている。エリシュカの声だった。


「また幻覚……」



 声が出た。そのことに驚く。轡はとられていた。

 一気に覚醒する。窓のない部屋だ。天井には魔法文字が一切ない。クランツは手術台に乗せられていた。そこかしこに血痕が残り、生臭い。いかにも不衛生な部屋だった。


「話さないでください。やはり脳のほうは優先して回復するみたいですね。まだ万全の調子ではありません。先ほどまでちょっと中身がそのへんに出ていたので、収納するのに手間どりました。時間がないので状況はあとで説明します。いまはつかまって」


 エリシュカのほかにアルタイル・アルタウロスがいる。彼はクランツの体をその大きな体で抱え上げると運びはじめた。


「ありがとう」


 話すなと言われたがこらえきれなかった。


「いいえ。諦めないで、生きていてくれてよかった……」


 エリシュカは首を振りながら、泣いていた。



 エリシュカの小屋に戻り、簡易的な手当を受ける。手足が無事ではなく、自力で動くことができない。常時、全身が痛む。

「助けに来るのが遅くなってすまない。そこにいるエリシュカも、隣の部屋に監禁されていたのだよ。血を抜かれ続けて動けないようにされてね。君たちを探している最中に幸運にも僕が見つけたんだ。エリシュカの思考を拾ったのだ。また時期を見計らって君を助けようと計画をたてた。今日は研究発表会の日だからね」


「クランツさん、提案なのですがわたしを食べてください」


「お断りします」


「……では、血を。吸血してください」


「……嫌です」


 一時はあれほど欲しかった血だが、もう欲求は薄くなっていた。


 たとえ吸血で魔性が活性化し、四肢が復活するとしてもしない。


 困った顔をしたエリシュカは、アルタイルを仰ぎ見た。アルタイルは剽軽なしぐさで肩を竦めた。


「これから……クランツさんはどうしたいですか?」


「冬の城へ行きたいです。行って、なにかを確かめられるなら、確かめたいです。殿下が知ることができなかったことを俺が確かめます」


「その体では危険ですよ、理解していますよね」


「ええ。もちろん。エリシュカさんについてきてもらうことができないならば、オデットを待ちます」


 そろそろ戻ってくる頃だと思われる。


「そのこと、なんですけど……」


 なぜかエリシュカとアルタイルは顔を見合わせた。


「リトヴァクの皇城でなにか大きな災害が発生しているようです。ただの災害ではありません。そのために局長が出向いています」


「詳しい事情は伏せられている。僕が知ったのは父が出向く用事だったからだ」


「オデットもそのせいでまだ戻ってきていない、と。それは……」


 動悸が激しくなり、胸を抑える。妄想が殿下と会った最後にならなければよいのだが、殿下の安否を確かめようもない。


「オデットなしで城へと戻るわけにはいきません。皇城で魔性化し感染を拡げれば大変なことになります。もう進むしかありません」


「わたしももちろん同行します。そんな体では一人では行けません。アルタウロスさんはここに残りますよね」


「ええ、父から後のことを任せられていますから。アダム・ベロフには相応の罰を与えます。安心してください。それよりエリシュカさん、あなたはいいのですか? 研究発表会を無視して。しかもあなたが冬の城に近づくのは危険でしょう」


「わたしの事情はもういいです。ただ彼に報いたいです。やらなければならない気がするんです。明日にはこの魔法局からも冬の城に向けて調査隊が発ちますし、向かうなら彼らより早く着くようにするのが賢明です」


 手当もほどほどに防寒着をかぶせられて、そりに乗せられる。雪馬ではない。犬ぞりである。海の上に浮かぶ流氷の上を走るのに一番いい。

 もしこの弱った体で海に落ちたら、死ぬかもしれない。


「助けてくれてありがとうございました」


「いいえ。生きて再会するのは難しいかもしれませんが、そうできることを祈っています。僕は魔性であれ人であれ智慧を持つ生き物はみな自分のしたいことを叶えて生きるべきだと思っています。クランツさんが自身の本懐を遂げられますように」


 倉庫から持ってこられるだけの食料を乗せて、そりは走り出した。

 エリシュカの鞭を振るう姿は堂に入ったものだった。

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