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自分の気持ち、はっきりと




私は淹れ直した緑茶を一郎さんの前に置いてカウンターへ戻った。残念なことに、コーソンのチーズケーキは現在は台所の冷蔵庫の中だ。お客さんが来ているのに私だけ食べるわけにはいかないだろう。

私はカウンターで一郎さんと店長の会話に聞き耳を立てる。どうやら今日一郎さんが来ることは店長も予知していなかったらしい。店長の上を行くとは、さすがは何でも屋の頂点、さすがは店長のおじいちゃんだ。

「で、何しに来たの?一郎ちゃん。この店は基本暇だけど一郎ちゃんと話してる程暇じゃないんだよね」

「今日は久しぶりにお前の顔を見に来ただけですよ。お前はなかなかうちに顔を見せないから」

「この前見せたじゃん」

「店長会議に来ただけでしょう。あれで顔を見せたと言いますか」

「だって僕あそこ嫌いなんだもん」

陸男さんに聞いた話だと、一郎さんはずいぶん店長のことを気に入っていたらしい。期待もしていただろう。ただ、そのせいで店長は一郎さんや黄龍に寄り付かなくなってしまったようだ。

「黄龍はお前が生まれ育った家でしょう。どうしてそれを嫌いになるのですか」

「一郎ちゃんがいるから」

「…………」

「…………」

「なら、朱雀店は好きですか?」

「今の朱雀店は好きだよ」

「それなら良いのです。ここをお前が守ってくれているのなら今は十分です」

「一郎ちゃんが帰ってくれればもっと好きになれるんだけどね」

店長の放つ一郎さん帰れオーラに私はいちいち冷や冷やしていた。一郎さんは温厚そうな老人だから、孫の不躾な態度にキレるということはないと思う……思いたいのだけれど。

「だいたいそんなにこの店に執着するなら一郎ちゃんがここにいればいいじゃん」

「私も先の短い身ですからね。新しい時代を築いてゆく者がこの店を守らなければいけないのですよ」

「ならリフォームしていい?」

「それだけはなりません。この建物に手を加えることは……」

そこで一郎さんの声が途切れた。不思議に思って壁から顔を出して二人の方を覗いてみると、一郎さんは店長の方をじっと見て固まっていた。いや、見ているのは店長の後ろの壁……かな?

私は壁から頭を出したままの体勢で二人を見守っていた。すると、一郎さんがわなわなと震えた声を出しす。

「れ、蓮太郎、お前、あの暖簾はどうした!」

「のれん?」

店長が首を捻って、店の奥へ続く廊下を見る。その廊下の入口には、淡いピンクの暖簾がかかっていた。

「私がお前の店長就任祝いに贈ったあの暖簾だ!」

「ああ、あれなら雅美ちゃんが持ってっちゃったよ」

「何!?」

恐ろしい程のスピードでこちらを振り返る一郎さん。私は慌てて首を引っ込めたが時すでに遅し。一郎さんがこちらを凝視しているので私は観念して壁から首を出した。

「えっと……だいぶ古くなってたから変えたんですけど……ダメでしたか?」 

これは事実だ。学校帰りにショッピングをしていたら雑貨屋で可愛い暖簾を見つけた。店の暖簾が古ぼけてくすんでいたのを思い出した私は、安価だったこともありその暖簾を買って店の暖簾と取り替えたのだ。勝手に変えたのは事実だが、店長も何も言わなかったしあれが就任祝いだなんて知らなかったのだ。

私の説明を聞くと、一郎さんは何も言わずに店長の顔を見た。店長は表情はそのままに取り繕ったように言う。

「だってバイトの子がわざわざ選んで来てくれたんだよ?それを無下にするほど僕は鬼じゃないなあ~」

「ええい黙れい!あれがどれだけ大事なものか忘れたか!」

「だったら自分で持っとけばいいじゃん。僕にとってはただの布切れだし」

店長の発言に一郎さんはまるで雷に撃たれたかのようなダメージを受けた。しかしすぐにハッと気付いて店長に詰め寄る。

「それで、あの暖簾は今どこにある!」

「どこにあるの?雅美ちゃん」 

「えっ」

私は自分に振られるとは思ってもいなくて完全に油断していた。

「店長に返しませんでしたっけ?」

「もらってないよ」

店長の返事に、一郎さんが私を見る目が鋭くなる。

「えーっとえーっと、ちょっと待ってくださいね、今思い出しますから」

一郎さんの視線を引き攣った笑顔でなんとか躱し、急いで暖簾の行方を思い出す。確かあの日学校帰りにバイトへ来た私は、買ったばかりの暖簾をさっそく取り変えた。古い暖簾は家で洗濯しようと思って鞄に入れて……。

「そ、そうだ、翌朝洗い場になかったからたぶんお母さんが勝手に洗っちゃったんだ!い、今すぐ母に確認すれば……」

慌ててポケットからスマホを取り出す。あれからあの暖簾は一度も見ていない。おそらく母が押し入れかどこかに仕舞ったのだろう。母に確認するのも、暖簾の存在もすっかり忘れていた。

私は一郎さんの視線から逃げるように母に電話をかけた。どうやら家でゆっくりしていたらしく、母はすぐに電話に出てくれた。

一郎さんの放つ禍々しい空気を肌で感じながら、私は食い気味に暖簾の所在を尋ねる。結構前のことだし、暖簾ひとつのことなんて覚えないかと実は半ば諦めていたのだが、母親というのはすごいものでしっかりと暖簾のことを覚えていた。

問題の暖簾が家の押し入れで無事に生きていることを知ると、私はまるで何かを弁解するような気持ちでそれを一郎さんに伝えた。よかった、これで私の命は守られた。

しかし私の言葉だけじゃ心配らしく、一郎さんは自分の目で暖簾の無事を確かめたいと言い出した。

「じゃあ明日持って来るので、明日また店に来るっていうのは無理ですか……?」

相手は忙しいであろう社長だというのに、いったい何を血迷ったことを言っているんだと自分でも思ったが、言ってしまったものはしかたない。私は一郎さんの反応を伺った。口から出た言葉はもう飲み込めないのだ。

「明日は少し都合が悪いですね……。荒木さんの家はどちらに?今持って来ることはできませんか?」

「今ですか……。いえ、全然大丈夫です。自転車で通える距離なんで」

本当は店と家の間を無駄に往復するのが面倒臭いから嫌です、なんて言えるはずがない。しかし毎日学校と仕事だけのこの生活、自転車を漕いで往復するだけでも運動不足のこの身体には大変なのだ。

だからといって母に持ってきてもらおうにも、母はこの店の場所を知らない。私がわざと教えていないからだ。母はもともと私がこの仕事をすることを快く思っていないし、もし何かあったとき押しかけてきたりしたら困るからだ。

私が重い足取りで店を出ようとすると、店長が声をかけた。

「あ、雅美ちゃん送ろうか?」

是非お願いします!と即答しようとしたが、私のその即答より早く一郎さんが異を唱えた。

「待て、お前が行ったらこの店の番はどうなるのです?」

「リッ君がいるじゃん」

「彼は部屋から出てこないでしょう」

「店番くらいできるでしょ」

「わかった、なら私が送りましょう」

一郎さんの発言に私は思わず「えっ!」と叫びそうになった。

「そ、そんな大丈夫ですよ!全然自転車で行けますから!」

「ていうか一郎ちゃんどうやって送るの?車運転できないでしょ?」

「タクシーを呼びます」

「えっ!」

一郎さんの無駄な思い切りの良さに私は今度こそ声を出して「えっ!」と言ってしまった。

「そ、そこまでしていただかなくても!ホント家近いんです!ホントに!」

「じゃあ雅美ちゃん送ってもらえば?」

「店長おおおおおお!?」

「そうと決まれば行きましょう」

どうしてこうなった!どうしてこうなった!

私は一郎さんが呼んだタクシーに渋々乗り込んだ。




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