8.私たちの最適解
気が付くと二人はまた元の場所に戻っていた。石田と顔を見合わせる。さっきのは、夢ではなさそうだ。
「……そういえばオレ、お前の名前聞いてないんだよな」
石田が気まずそうに言う。
「そうだっけ? 自己紹介したと思うけど」
「あーいや、そうじゃなくてさ、女子のこと名前で呼ぶのはちょっと……」
最後の方は小さくて聞こえなかったけれど、優里奈もみらいも石田が何を言いたいのかは理解することができた。
「えっと……時越です。時越みらい」
トキコエ。聞いてすぐ漢字に変換できなくて、時を超えると書いて時越なのだなと理解したときに優里奈は気が付いた。
「時を越えて未来から……?」
「そんなんじゃないよ」
「嘘だろ……」
本名ではないのだろう。そうだとしても結構安直な名前だ。
「このままいくと、この国はもうだめ。人口が減りすぎて国として成り立たなくなるって、前代未聞よね。国債もたくさんあるのに大丈夫かな、っと思っただけだから」
一つの可能性として見た、資源を採り尽し、空気は汚れ人々の心はすさんでいた未来を思い出す。他にもあまりよくない印象を受けた未来はいくつもあった。日本が半ば侵略されているような印象を受けたり、土地のほとんどが水没してどこに人が住んでいるのか分からなかったり。
「そうなったら文字通り日本は終わりね」
「まだいい方向にいく可能性もあるの?」
みらいが新しいグラスに紅茶を注いで一口飲む。
「もちろん。これからの日本を担っていくのはあなたたちなんだから」
優里奈と石田は坂を下っていた。みらいは明日にはあの場所にいない。そんな予感がした。非日常の終わりだった。
「お前さあ、夏期講習二教科だったよな」
「うん」
「後悔してる?」
「してないよ。その分家で勉強するし」
石田が質問しながらコンクリートのかけらをけり飛ばす。何が言いたいのか分からない。
「なんかさ、すぐ忘れそうだよな。現実味なかったし」
「そうだね」
「実は結構不安だ」
「今度の模試?」
優里奈は石井に思い切りにらみつけられた。
「違うの?」
「将来のことに決まってるだろ!」
石田はどなったけれど、怒ってはいなかった。
「たくさん勉強して政治家になっても、オレが日本を変えられるとは思えない」
「確かにあたしも将来のことは不安だよ。なりたいものなんてないし、勉強は楽しくないし」
「オレもだ」
「こんなこと、ほんとに役立つのかな? お母さんもお父さんも算数なんて使ってない。社会の仕組みはともかく、歴史を知って、生き物のことを知って、これが何になるのかなって、いつも思ってる」
「円錐とか直方体とか?」
「それもね。点Pは動くし、散々だよね……でも、もしかすると今の大人もみんな同じことを考えてたのかもしれない。でもこれって、こういうことやりましょうって、その大人が決めたことなんだよ。その人たちだって子供の時はなんでこんなことするんだろうって考えて、でも大人になってみたらやっててよかったなって思ったんだと思うの。だから、あたしたちは勉強するの」
石田は静かに優里奈の話を聞いていた。
優里奈は少し早口になる。そうでもしないと、今考えていることがどんどん頭から抜けていきそうだった。今考えていることを覚えていられるうちに言い切って、そこでようやく言葉を切る。
「でもさ、その時にならないと多分なんにも分かんないんだよ。今たくさん悩んだって、大人になるまで時間がありすぎる。将来のことなんて全然想像つかないのに考えなきゃいけないなんて、それってとっても残酷だ」
町に戻るころには日が沈みかけていた。
連日のことだが、勝手に朝早く家を出て遅く帰ったにも関わらず、優里奈が怒られることはなかった。丁度夕食の支度ができたところらしい。急いで手を洗って配膳を手伝う。ご飯を盛ってお箸を並べて席に着く。基本的に全員の目はテレビにくぎ付けで、今日のことを聞かれることもなかった。
お風呂に入りながら思い返す。みらいはこの世界のことを、分岐した結果の一つと捉えていた。IFの世界線が無限にあることは優里奈も知っている。世界は今後も分岐し続けるし、過去を変えずとも未来を変えることはできる。そのためには「今」を少しずつ方向修正してやらなくてはいけない。
明日の講習の予習をして電気を消した。なんのために勉強しているのか、自分に何ができるのか、ベッドの上で考える。頭の中はぐちゃぐちゃだ。
ただ一つ言えること、みらいは優里奈のことを変えた。
次の日から優里奈はニュースを見るようになった。新聞も読んだ。日本がこれからどうなろうとしているのかを知ろうとした。そして夏休みもあと一週間となったとき、山に登ることに決めた。
いつもはいているスニーカーと水筒、凍らせたペットボトル二本。山に登ると言っても頂上まで行くわけではない。中腹あたりに見晴らしのいい場所があるらしいから、そこまでだ。優里奈の見たサイトには十五分ほどで登れると書いてあった。
自転車に乗って一気にあの住宅地まで行く。途中、電気が通っていないのか、あの大通りで信号待ちをすることはなかった。そしてあの家はただの空き家だった。石田の言うとおりすぐに忘れてしまいそうだ。夢だと言われたら納得してしまいそうなほどに、あまりにも現実味がなかった。
優里奈はみらいがあそこを天国と呼んだ理由を考える。だれもいない荒れ果てた場所。天国というのは花が咲きみだれてとても美しいところなのだと勝手に思っていた。あの言い方だと、みらいのいた場所はもうだめになっているのだろう。みらいは人が生きていたという事実が過去のものであることに懐かしさを感じていたのかもしれない。天国のかたちというのは人それぞれなのだ。
そのまま山のふもとまで自転車で行って、てきとうなところに止めた。登山道は登る人がいなくなってほとんど分からなくなっていた。一応ルートを解説したサイトを印刷してきたけれど、サイトは結構古かったようだ。山に踏み込む。
葉っぱというのは重なるとすべりやすくなるらしい。それからコンクリートの上を歩くのとは違ってバランス感覚が必要だ。十五分ほどでのぼれると書いてあったのに、三十分もかかった。眼下には住宅地が広がっていて、線路とその向こうに普段暮らしている町が見えた。
風が吹いて汗を乾かす。山を降りる頃には決意を固めていた。抜けきらなかった幼さは、完全に脱ぎ捨てた。
* * *
そして2XXX年、日本の緑地面積は戦後最大となる。それはひとえに一人の女性の活躍によるものであった。緑地面積が増えると同時に日本の人口増加が始まる。日本は奇跡の再生を遂げた。まるで不死鳥のようであった。