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1.対抗のための布石

 深緑の山、荒れた展望台に立ち町を見下ろす少女がいた。視界に広がるのは手前に住宅地、線路の向こうにビル群である。空は夕暮れ前特有の、乳白色の薄いフィルムで覆ったような色をしていた。全体的に彩度の低い風景だった。


 彼女は背後に建つ鉄塔を仰ぐ。放置されて久しい人工物。彼女は沈みゆく太陽に背を向け、足早に山から降り始める。山道は管理が行き届いていないうえ、もはや道と呼べる道もない。それでも彼女は確かな足取りで腐葉土を踏んだ。


 中腹を削って造られた住宅街を歩き、一軒の空き家の前で立ち止まる。蔦で覆われていることが、長年管理する者がいないことを語っていた。屋根は落ち、外壁も剥がれている。庭には寒空の下でも雑草が我が物顔で繁っていた。


 彼女は雑草の海をかき分けて、ガラスの割れた窓から室内に入った。床板は一部抜け落ち、残った部分も体重を掛ける場所を間違えると踏み抜く羽目になりそうだ。

 彼女は家電やソファの残されたリビングまで進み、冷えた目で場を見渡した。


「あなたの天国は私が潰す……絶対に」


 今はもういない相手に向かってそう呟くと、少女はそこから立ち去った。


* * *


 一組の男女がカフェの窓際の席を占拠していた。彼らが最後にあったのは直近の登校日で、実に三週間も前のことである。


「あそこ旧帝でしょ? やるじゃん。さすが石田」

「いや、お前もな……」


 石田は目の前に座る同級生を見て溜息をついた。彼女は国立医大に現役合格したのだ。それも推薦で。


「俺は二次試験だったし、旧帝の中でもレベルは低い方だから。お前、頭おかしいよ」


 石田の将来の夢は政治家になることだ。政治家になるなら早大のほうがいいような気もしていた。しかし早大は私立なので、学費が厳しかったのだ。旧帝大よりレベルの高い国公立大学も少なくないが、ブランドとしてはやはり旧帝大である。政治家になるには箔付けが大切だ。


「石田までそういうこと言う」


 彼女、こと藤井優里奈。三人称としても彼女で間違いないが、ガールフレンドという意味での彼女でもある。中学は同じところを受験して、エスカレーターだから高校も一緒だった。付き合うことになったのは成り行きだ。


『森林緑地について学びたいのよね』


 独り言のように漏らされたその言葉に、やっぱりなと、そう思った。小学五年生の夏休みに二人が体験したことは、小学生ながら強烈に脳裏に焼き付けられた。数多ある日本の未来のカタチ。それを自分たちが最良な方向に固定できるかもしれない。気が付いた時には手の中は空っぽだった、そんな事態を回避することができるのだと、彼らは知らされた。


 だから優里奈がそう言うのは何ら不思議ではなかった。お互いに似たような爆弾と闇を抱えていたものだから、彼女が医大を辞めると言った時、石田は止めなかったし理由も聞かなかった。


 石田は廃墟という場所にある種のトラウマがある。日常と非日常の境界が曖昧になるあの場所は、彼が最も忌む場所だ。たかが人間二人の人生が狂っただけ。そう割り切ることができればどれほどよかったか。二人に重くのしかかり、年々傷を広げながら長きに渡って苦しみを与えてくるその記憶を、封じるすべを彼らは持たなかった。


 そんなこんなで優里奈は地方国公立大学農学部に入学願書を提出した。転部に留めなかったのは、学科の都合だ。彼女は真剣に日本の緑化について考えていたらしい。


 彼女から合格したと連絡が入った時、石田は素直におめでとうと言った。高校時代に生物選択だったのが幸いしたらしい。それでもあっさり合格しすぎだった。医大を辞めるという話を聞いたのは確か夏期休暇中だ。およそ半年間のブランクを感じさせないほど、彼女は実にすんなりと結果を出した。只人とは頭の出来が違うらしい。医大を中退して、国立大学の農学部へ。仮面浪人にしては豪華すぎる経歴だ。もしくはやりたいことが変わりすぎたことについて、きっと聞いた誰もが訝しむのだろう。




 そして二人は一年前と同じカフェの同じ席に座っていた。


「改めて合格おめでとう……森林緑地って具体的に何するんだ?」

「かく言うそっちだって文学部卒で簡単に政治家になれないでしょ。なれたところで与党じゃないと国を変えるなんて厳しいのに」

「それは……まあそうだが、政治家に学歴はつきものだろ?」

「箔付くの、帝大卒ってことだけだから」


 なかなかに手厳しいが、事実だろう。優里奈の攻撃は止まらない。


「法学部に行った方が良かったんじゃない? 司法試験を受けるの」


 まるで合格するのが当然とでもいうかのような言い方だった。


 確かに政治家で弁護士とはありがちだが、石田は自分が司法試験を突破できる気がしない。しかしそれくらいの意気込みで取り組まねば、何も変えられないのだろう。現に優里奈は林学の道を進むことに決めて、医大を辞めた。合格するのは決して容易ではなかったはずだ。両親も反対しただろう。それでもやるのが藤井優里奈という人間だと石田は知っている。


 悩む石田に、優里奈は明るい声を掛ける。


「石田さ、ちょっと贅沢なんじゃないの?」

「……我儘だとは思う」

「うん。自覚あるならいいと思うけど」


 石田は目を苦い顔をして目を逸らす。しかしここで終わらないのが優里奈だ。


「全部手に入れるのはよっぽど運がいいか、恵まれてないと無理だって。政治家ならカネとコネの世界なんじゃないの? 庶民あがりは嘗められるよ、絶対。断言するよ。今も昔も変わらないって。だから学歴と経歴で完全武装しとかないと駄目でしょ。それでも足りないもん」


 分かってはいたが、正面切って言われるとなかなかに堪えるものだ。弾丸のごとき威力で降り注ぐ言葉の雨は、あっと言う間に石田の豆腐メンタルをぐちゃぐちゃにした。


「お前……相変わらず容赦ないよなあ」

「そうでもないって。多分ね」


 この店で一番高いドリンクであるキャラメルラテを眺めながら、優里奈は不満げに呟いた。石田の正面にあるのは、一番安いドリップコーヒーだ。


「お前は具体的にどうするのかは決めてるのか」

「もちろん」


 即答である。自分のことを絶対に棚に上げない。目線で続きを促すと、彼女は相変わらず少し早口に、自分の意見を述べた。


「住宅地をそのまま森にしちゃえばいいのよ」

「コンクリって自然に還らないだろ」

「そうだね」


 優里奈はキャラメルラテに口を付けた。薫りが好きなのだそうだ。甘く香ばしく、ほろ苦い。二人には永遠に得られない感情にも似ている。ないものねだりだ。


「でも自治体だってあそこを放置しときたいなんて、絶対思ってないよ。空き家はホームレスが住み着いたり麻薬が栽培されたりして、そのまま治安の悪さに直結するもん。でも解体するにはお金がかかるし、瓦礫の撤去で費用がさらにかさむ」


 ぶっ飛んだ発言にはちゃんと根拠がある。石田は発言の意図に気づいて眉をひそめた。


「資金入らずで森にできたらウィン・ウィンってことか? そんな安直な……」

「でもコンクリとか鉄筋が植物の成長を阻害するなんて聞いたことないでしょ?」


 それはそのとおりだ。この()()がそこを考えていないはずがない。


「……ありなのか、それ」

「前例がないなら私が作る。自分で土地買ってでもやってやる」

「だとしてもな、まず土をどうするんだ。コンクリに種まいたって無駄だろ」

「あー、木が根を張れないかもって思うでしょ?」


 これだから都会っ子は、とニヤつきながらこぼす優里奈だって都会っ子だ。このご時世自然の中で暮らした時間を持つ人は圧倒的に少ない。林業や農業にでもつかない限り、町中の人工林を自然のすべてだと思い込む。


「自然の力を舐めちゃだめなの。石田にも見せてあげようか?」


 優里奈がそんな大規模な何かを持っているとは思えない。廃墟にあるのだろう。


「……正当な目的なく他人の土地に侵入すると、不法侵入で罪に問われるぞ」

「もう行ってないから大丈夫」


 大丈夫ではない。石田は溜息をついた。優里奈はそんな石田に生温い視線を送る。


「私は本気だから。政治家とのコネ欲しいし、石田も頑張ってね」


 冗談が過ぎると笑い飛ばせたら良かったが、トラウマに徹底的に対抗するために医学部を退学した友人に、石田は何も言えなかった。


「そういや、まだ引っ越しの用意できてないんだった」

「は? 地方だろ?」

「まだ一週間あるからなんとかなるって」


 気楽だ。呆れたような目で優里奈を見るが、彼女はいつもと変わらず飄々としている。反面頭の中では九年前の、忌々しい記憶が再生されていたのだった。

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