第2話 冬の森
森に町に雪が静かに降っています。
暖炉の火を見ながら、ロティはおばあさんに淹れてもらったミルクティーを飲んでいます。
おばあさんは目を細めて糸車を回しながら糸を紡いでいます。
「おばあちゃん、何かお話をして」
いつものようにロティはおばあさんにお話をせがみました。
「今日は何の話をしようかね」
そう言っておばあさんは窓から雪が降っているのを見つめた。
「今日は少し悲しいが美しい話をしようかね」
「悲しい話なの?」ロティは聞きました。
「そうだね、この話は悲しいところから始まるんだよ。悲しいが美しい話さ」
おばあさんは、静かに話し出しました。
ある村にとても裕福な家がありました。
馬や牛、鶏に豚と広い農場を持っていました。たくさんの使用人が働いていました。その家の主人もその妻も、とても優しく誰からも好かれていました。
その家にリリィと言う娘がいました。リリィは優しくそして美しい娘です。
人だけではなく、馬や牛など動物にまで好かれていました。
リリィが歌えば、鳥も歌い、花が咲く。
毎日が幸せに満ち溢れていました。
この幸せは続くものだと誰も疑っていませんでした。
ところが、その村に疫病が流行ってしまったのです。人々が倒れ、そしてたくさんの人が死んでいきました。
疫病はリリィの家にもやってきました。
リリィの両親や使用人たちまでもが疫病にかかってしまいました。リリィは一生懸命に看病をしました。夜も昼もなく看病しました。でも、リリィの両親、使用人たちまでもが死んでしまったのです。
リリィは悲しくて毎日泣きました。
父と母を亡くした悲しみと1人になってしまったと言う寂しさで泣き続けました。
そんなところに、伯母だと名乗る太った女の人と痩せて背の高い男の人がやってきました。
「かわいそうなリリィ」
そう言って猫なで声でリリィに近づきました。人を疑うことを知らないリリィは信用してしまいました。
「この家を処分して、おばさんと一緒に暮らしましょう。お前に寂しい思いはさせないからね」伯母さんはリリィの肩を抱いてそう説得しました。
リリィは喜びました。ひとりぼっちで寂しかったからです。
伯母さんは、すぐに家と土地をすぐ売りました。このお金は叔母さんが預かっておくと言って、伯母さんは大金を自分のカバンに入れました。
伯母さん、伯父さんの家に向かうために村を出た3人は、途中の村にある古い宿屋に泊まることにしました。
「リリィ、疲れただろ。先にお休み」
そう言うと伯母さんと伯父さんは隣の部屋に入って行きました。
リリィは疲れていたので、ベッドに入るとすぐに眠りにつきました。
しばらくすると、物音で目が覚めました。
チャリン、チャリン、チャリン。
チャリン、チャリン、チャリン。
お金を数える音がします。
「あんた、すごい金貨の山だよ」
伯母さんの声がします。
「あぁ、思ったより高く売れたな」
伯母さんと伯父さんが2人でお金を数えているようでした。
「お前、本当にリリィを売ってしまうのか?」
伯父さんの声もします。
「ええ、高く売り飛ばしてやるよ」
「お前の姪だぞ。いいのか?」
「妹の忘れ形見だなんて、鳥肌が立ってしまうよ」
椅子から立ち上がる音がします。
「妹は、私と違って綺麗な顔していた。私は醜かった。親も周りも、妹ばかりを可愛がったんだ。醜い私なんか、見向きもしない。妹は…妹は綺麗だから、お金持ちと結婚できたんだ。妹だけ幸せなんて許せやしない。忘れ形見だって?鳥肌が立つよ!」
椅子が倒れる音がする。
「あの娘は、妹にそっくりなんだ。醜いもの汚いものを何も知らない妹とそっくりなんだよ。早く売っちまっておくれ!」
「わかった。静かにしろ。娘が起きる。ちょうど、酒場の親父にいい娘がないか頼まれていたんだ。それまで、気付かれないようにしろ」
「わかってるさ。あの娘は私たちを信用しているからね。妹に似てお馬鹿だこと」
伯母さんの笑い声が聞こえました。
全部聞いてしまったリリィはベッドの中で震えていました。
「なんてことなの…」
涙で声になりません。
でもここにいては売られてしまいます。
「逃げなくては…」
リリィは、伯母さんと伯父さんが寝るのを待ちました。
しばらくすると酒を飲んだくれて、だらしなく寝ている伯母さんと伯父さんのイビキが聞こえてきました。
リリィは何も持たずに部屋を出ました。真っ暗な宿の中を手探りで歩きながら、外に出ました。外も灯りもなく真っ暗です。
それでも、リリィは逃げるしかありません。幸運なことに月は出ていました。
月明かりを頼りに走りました。そして、森の中に逃げ込みました。
森の中は、とても静かで、とても暗くて、とても寒く、そしてとても怖いのです。それでも、リリィは後戻りはできません。後ろを振り向かずに森の奥へと進んで行きました。
リリィは怖くはありませんでした。
リリィは絶望の中にいたからです。
もう誰も信じられない。
森の奥へと、どんどん歩いて行きました。暗い森の中なのに、何も怖くありません。本当の怖いものを知ったからです。死ぬより生きる方が怖いのだと思いました。信じられる人がひとりもいないのだから。
リリィは立ち止まりませんでした。
オオカミに食べられてもいいさえ思いました。
生きていることが意味のないように思えたからです。
リリィの足はキズだらけになりましたが、リリィは止まりません。
痛さも寒さも感じませんでした。
そのリリィの足が止まりました。
森の中に大きな、そして古い館が建っていたのです。
雪に覆われた真っ白な館です。
リリィは思い切ってドアを開けました。
真っ暗で、物音ひとつしません。
リリィは、館の中に入っていきました。
すると、館の中の燭台に次々と火が灯っていきました。長い廊下の両側にいくつものドアがあり、たくさんの部屋があるようです。
"誰か住んでいるのかしら?"
リリィは廊下を歩いて奥へ進んで行きました。
一番奥の部屋から何か声が聞こえます。かすかな声です。
"旦那さまは大丈夫なのか?"
"旦那さまに何かあったらどうするのだ!"
"バーニソン様は不死身だ!"
リリィは声のするドアを開けてみました。そこにいたのは、たくさんの動物たちでした。オオカミ、キツネ、アナグマ、ウサギ、バービーやシカまでいます。
まるで森の中にいるみたいです。
その動物たちがいる真ん中に大きなベッドがあって、大きな白いクマが寝ていました。よく見ると、ケガをしているようです。ところどころから血が出ています。
リリィは怖い気持ちを忘れて、白いクマに近づいてケガを見ました。
動物たちがびっくりしています。
「お湯はあるかしら?それに何か布はないかしら?薬があるといいんだけど…」
その声を聞いて、動物たちが一斉に動きました。お湯を持ってくるもの、布を持ってくるもの、薬草を持ってくるものと、あっという間に揃いました。
リリィは自分に血が付くのも構わずに手当てをしました。
痛そうにしていた白いクマは手当てが終わる頃には、眠っていました。
それを見て、ホッとしたリリィもまたベッドにもたれて眠ってしまいました。
一匹のウサギがリリィに毛布をかけました。動物たちも安心したのか、そのまま眠ってしまいました。
翌朝、リリィが目覚めるとパンとスープがテーブルに用意されていました。
横にはメイド服を着たウサギが立っています。
「どうぞ、朝食です。召し上がって下さい」
そう言うとメイドウサギが礼儀正しくお辞儀をしました。
「まぁ、言葉が話せるのね。それになんて美味しそうなスープなの」
リリィは言葉が話せるメイドウサギに感心しながら、お腹がすごく空いていたので、あっという間にパンとスープを食べてしまいました。
「ここにいる動物たちは、人と話すことも二本足で立って歩くこともできます。よかったら、館の中を案内します」
リリィはメイドウサギに館の中を案内してもらうことにしました。
その前に白いクマの様子を見ました。よく眠っているようです。
館の中は、思っていたより広く、そして掃除が行き届いていました。
キッチンに行くとコック服を着たアライグマたちが忙しそうに働いています。窓から外を見れば、アナグマたちが庭掃除をしています。オオカミたちは兵士のようか格好をして、整列しています。
ネズミたちは窓を拭き掃除しています。リリィは、動物たちが可愛くて楽しくなってきました。
大きな机で何やら書き物をしているのは、執事の服を着たヒツジです。
執事のヒツジがリリィを見ると声を掛けてきました。
「これは、これはお嬢さん。昨夜はお世話になりました。ありがとうございました」
執事のヒツジが深々と頭を下げてお礼を言いました。
「いいえ。私の方こそ、美味しい朝食を頂いたわ。それに寒い森で凍えずにすんだもの」
リリィはそう言ってニッコリ微笑みました。
「あの白いクマさんは、どうしてあんなケガをしたの?」
リリィは気になっていることを聞きました。
「はい、人間がこの森に入ろうしたのです。狩りをするために。旦那さまは、私たちを守るために矢を持った人間たちと戦ってくれたのです。それで、ケガをしてしまったのです」
そう言って執事のヒツジは肩を落としました。
「人は…人間はひどいことをするわね。ごめんなさい」
リリィは謝ると涙が出てきました。
執事のヒツジは慌てました。
「あなたは違います。旦那さまを助けてくれた。命の恩人です。泣かないで下さい」
執事のヒツジはリリィにハンカチを渡しました。リリィはハンカチで涙を拭きながら聞きました。
「どうして、あなたたちは人間の言葉を話せるの?」
「それは、旦那さまの力でございます。旦那さまがこの森にこの館に来てから、私たちは話したり二本足で立ったりできるようになったのです」
執事のヒツジは胸を張ってそう言いました。
リリィが白いクマ、バーニソンの部屋に戻るとバーニソンは起きていました。
「もう大丈夫なの?」
リリィは慌ててバーニソンのそばに行きました。
「あぁ、もう大丈夫だ。君が手当てをしてくれたんだね。ありがとう」
「私はリリィよ。あなたはバーニソンね。執事のヒツジさんに聞いたの」
リリィはバーニソンの顔を見ながらニッコリ微笑みました。
「リリィ、私が怖くないのか?」
「怖くなんてないわ。私はもっと怖いものを知っているもの」
リリィは悲しい顔になりました。
「この森は、この館は、普通の人間が入れないんだ。君はなぜ入れたのだ?ここは、絶望や失望した者だけが入れる冬の森なんだ」
リリィは今までのことを話しました。
人を信じられないことや、人が一番怖いことや、人に絶望したことを。
「あなたたちの方が何倍も優しいわ。何倍も心が綺麗だわ」
バーニソンは黙って聞いていました。
悲しい瞳で聞いていました。
リリィは、その悲しい瞳に気付きました。
「バーニソン、あなたの瞳は人間の瞳みたいね」
「私は、昔、人間だったんだ…」
バーニソンは何かを思い出すように窓から空を見つめて話し出しました。
「私は、赤ん坊の頃に教会に捨てられていたんだ。教会の牧師さまに拾われたんだ。牧師さまは、子供のいない医者の夫婦に養子にして育ててくれるように頼んでくれたんだ。私がそれを知るのは大きくなってからだけどね」
バーニソンは悲しい顔で笑った。
「医者の夫婦は、とても忙しくて、子供を構うひまなんかなかったんだ。愛情をかけることもなかったんだ。だけど、勉強をしないと、ものさしで私の足を打つんだ。ご飯を食べる時もメイドの作った物を1人食べて、寝るときも1人。私は寂しくて、飼っていた犬だけが家族だと思って、いつも一緒にいたんだ。
その犬が死んだ時、1人になったと思ったよ」
バーニソンはまた悲しい顔で笑った。
「15歳になった時に父とケンカしてね。そう、とても些細なことだ。思い出せないくらい些細なことだよ。でも、その時に父が『お前を引き取って育ててやったのは誰だと思ってるんだ!』って言ったんだ。その時に知ったんだ、自分が捨て子だってことをね。私は家を飛び出した。愛情をかけられかったことも、構ってもらえなかったことも、ものさしで打たれたことも納得したんだ。死にたいって思った。夜の道を私は走り続けたんだ。絶望していた、だから走り続けた。そして、この森にたどり着いたんだ。この森のこの館に着いた時には、私の姿は白いクマに変わっていたんだ。これが、私の本当の姿なのかもしれない…」
バーニソンは話し終わっても、しばらく空を見つめていました。
リリィは、バーニソンの手を握りました。
「私たち一緒ね」
リリィの瞳は悲しい瞳から優しい瞳に変わっていました。
そして、バーニソンの瞳も。
リリィが来てから、館の中では明るくなりました。
動物たちと一緒に掃除をしたり、お料理をしたり、歌を歌ったり、冬の森に灯りがともったようでした。
動物たちが、バーニソンが笑うようになりました。
でも、それを許さぬ者がいました。
この冬の森であり、この館でした。
森が、館が、きしみ始めていました。
バーニソンは、それを感じていました。
リリィにこの森を出るように言いましたが、リリィは出て行こうとしません。
「あなたたちと一緒にここにいるわ」
そう言った時に、館が大きく揺れました。そして、リリィを部屋に閉じ込めてしまったのです。バーニソンは、リリィを助けようとしましたがドアが開きません。
「なぜだ?館よ、私がこの館の主になったのだからいいだろう!私はこの森もこの館も出ては行かない。リリィを帰してやってくれ!あの子は人間なんだ、ここから出してやってくれ!」
バーニソンは腹の底から声の限りに叫びました。
でも、リリィを閉じ込めた部屋のドアは開きません。バーニソンは力の限りドアにぶつかりましたが、びくともしません。バーニソンは動物たちに外へ出るように言いました。
バーニソンは、ドアを諦め、外からリリィの閉じ込められている部屋によじ登りました。部屋の窓ガラスを割ろうと、何度も何度も体当たりをしました。体中キズだらけです。館が少し揺らいだ瞬間にバーニソンは思いっきり体当たりしました。窓ガラスが割れました。バーニソンは部屋に入り、リリィを抱きかかえると館の外に飛び降りました。
キズだらけのバーニソンは、リリィに言いました。
「リリィ、この森を出るんだ。この森も館も壊れ始めている。早く逃げるんだ」
「バーニソンも一緒に」
「ダメだ。私がこの森を出れば、もっと大変なことになる。動物たちと一緒にこの森を出るんだ。私は大丈夫だ」
そういうとリリィの手にカメオの付いた指輪を握らせた。
「この指輪は、私が捨てたれた時に唯一持っていた物なんだ。多分、私を生んだ母の物だろう。リリィ、私が行くまでこの指輪を預かっていてくれないか?」
リリィは涙をいっぱい溜めて何度も頷きました。指輪を握りしめて。
バーニソンは、シカの背にリリィを乗せると森を出るように言いました。
リリィは、走るシカの背から森が壊れて行くのを見ました。リリィは涙が止まらなくなりました。
シカがリリィを連れて行ったのは、村外れにある孤児院でした。
孤児院の院長先生は、リリィの話を聞くと、孤児院で子供のために働くように言いました。リリィは親を失った子供たちの世話を一生懸命しました。愛情を込めて子供たちの世話をしました。
リリィの指輪にはいつもカメオの付いた指輪がありました。
子供たちに指輪のことを聞かれると、
「とても大切な物なのよ」と言って微笑みました。
それは、ある冬のとても寒い日のことです。
孤児院のドアを叩く者がいました。
リリィは、道に迷った人かしらと思ってドアを開けました。
ドアの前に立っていたのは、背の高い大きな青年でした。そして、横にはシカが立っていました。
リリィには、わかりました。
その青年の瞳を見ればわかったのです。
「バーニソン…」
「リリィ、迎えに来たよ。指輪を持っていてくれたんだね」
リリィはバーニソンを泣きながら抱きしめました。
カラカラカラ、カラカラカラ…
糸車の回す音がしています。
「おばあちゃん、森はどうしてリリィがいると壊れるの?」
ロティが首をかしげて、おばあさんに聞きました。
「冬の森は、人の悲しみや絶望を力にしていたんだよ。それが、リリィが来て楽しさや希望に変えてしまったから、森はリリィを閉じ込めようとしたんだよ。でも、バーニソンの強い愛がリリィを助け、リリィの強い愛がバーニソンを人間に戻したのさ」
「怖い森だね…」
ロティは身ぶるいをしました。
「もう、そんな森はないから安心おし。今日のお話は長くなってしまったからね。ロティ、もうお休み」
ロティは眠い目をこすりながらベッドにもぐり込みました。
降っていた雪は止んでいました。