プロローグ
高校からの帰宅途中、僕の体力は限界を迎えようとしていた。乳酸の溜まった細腕は、プルプルと弱々しく震えている。
だがここまできて挫ける訳にはいかない。裏の古橋を越えれば、家は目と鼻の先だ。
今の僕の荷物は二つある。一つは教科書の詰まった肩掛けカバン。もう一つは厳重にダンボール梱包された、自分の背丈くらいある箱だ。
箱の中身は聖剣ガヴリール。
人気RPG「ファイナル オブ クエスト」通称FOQに登場する架空の武器だ。
この街には、実在空想問わず古今東西の刀剣を扱った武器屋がある。モチロン全てレプリカだが、マニアの間では有名だった。
自宅の近所に建っていて、僕も昔からその店のことは知っていた。少年の心に刀剣は危険すぎる。ゲーム好きなのも相まって、直ぐにその店の虜になった。
登下校のたびに店の中を覗いて過ごし、やがて僕は高校生になった。
バイトしてお金を貯めたら買ってやろう。
その密かに抱いた願いを、本日とうとう叶えたのだ。部屋に飾って、SNSにアップして、友達に自慢して……妄想は止まらない。まさに夢のような時間だ。
しかし夢から覚めるのは、思ったよりすぐだった。
箱が邪魔で前が見えないし、指が痺れて腕が震える。聖剣とはここまで重いものなのか。
奮発して台座のついた豪華版を買ったのは間違いだったかもしれない。
石の台座に刺さった聖剣ガヴリールを、剣聖の勇者クラストが引き抜く。かの有名なFOQのオープニングシーンだ。
この豪華版には石の台座も同梱されている。ファンなら感涙モノなのだが、今では別の意味で涙が出そうだ。
何とか橋の前までやって来た。狭くて古い石造りの橋。場所が良いのか、車通りも激しかった。
最期の休憩、靴の上に箱を乗せて僕は息を整えた。念入りに車が来ないか道を確認する。
よし、いまだっ!
勢いよく飛び出したが、疲れと重さで思うように脚が進まない。
それでも何とか半分まで進む。そこでふとエンジン音が耳に入った。程なくして脚に振動が伝わってくる。
首を曲げて前を見ると、信じられない光景が目に飛び込んでくる。
車が橋に突っ込んできたのだ。
マジかよ! なんてタイミングだ!
僕の心の叫びなど御構い無しに車はグングン速度を上げる。恐らく普段からこの橋を利用してるんだろう。そして運転手にとって、明らかに違法な速度が日常なのだ。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイッ」
急いで橋の隅に避けると、欄干に箱を置いてやり過ごした。ひざ裏に熱気を感じて冷や汗をかく。
まったく何考えてんだよ。
と、安堵したのも束の間。
ここの橋は結構古い。欄干は低く、湿っぽくて苔が生えている。
そんな所に急にモノを置いたらどうなるか。しかもメチャクチャ重いときた。
答えは簡単。剣はグラリとバランスを崩す、だ。
僕は必死に箱に抱きついた。だが勢いは止まらない。このままでは僕も欄干から身を投げてしまう。
一瞬のためらいの後、僕はパッと手を離した。聖剣は呆気なく川へと落下する。
失った。SNSも友達への自慢もなけなしのバイト代も、全ては水の中へと消えるのだ。
だが不幸はそれだけでは済まなかった。
呆然とする時間も無く、物凄い力で僕自身も川へ引きずりこまれた。
見ると梱包の紐にカバンのフックが引っかかっている。だが時すでに遅し。気づいた時には既には水の中。意識も薄れて手に力も入らない。
あぁ、せめて死ぬ前に、今度発売の新作やりたかったなぁ……
こうして僕、関口健太は意識を失った。