風邪は万病の元 2
風邪を引いた、滅多に引かない風邪を長崎の岸壁に停泊中に。
当時艦内で流行っていたらしく私の他に数名体調を崩していた。
私はと言うとそんなに体調が悪いわけでは内のだけれど、皆で病院へ行くと言うことなので仕事をサボるつもりで同行した。
その病院は丘の上にある大きな病院だ、私達はゾロゾロト一列になり三菱病院へ向かった。
何故か少し遠くからその列を見ていたような記憶がある。
そこの先生はやはり名医で、一発で私が腎臓が悪いことを言い当てた。そしてもう一度確り検査するように言い放った。
私はそれを素直に報告したので佐世保に入港後もう一度検査をすることになった。なってしまった。
これが運命の分かれ道とは知らずに。
すると速入院となってしまい驚いた、そんなに悪かったのか?
すると私は「運動禁止」と先生から言われてしまい艦から下ろされることとなり、しかしまだ一年契約が残っているので補給所での「あずかり」となった。
ここで私は兄に電話して相談した、どうやら私は自衛隊に居られないらしい、と。
すると兄はー。
「そうか、じゃあ帰って来い!」
えっ? そんなあっさり・・・・・・と思ったが、私は相談する相手を間違えていた。
兄は結婚して家を出ようとしていたのだ、私が帰ればラッキー、てなもんだ。
それから私は色んな人から「今不景気だから辞めない方がいいよ」との声を振り切って退職する手続を始めてしまった。
補給所では私は何もすることが無い、官製第一課という部署に配属されたが事務仕事などやったことがない。
どうしろというのだ、仕方無くドラクエⅢをやってたらメッチャ怒られた。
運動厳禁と言われたが今でも普通に運動している。血尿はまだ出ているが全然以前と変わらない。
あれ? 私はなんで自衛隊を辞めたのだろう、当時仕事は自衛隊しか知らなくて他の仕事に少し憧れを持っていた。
自衛隊は月の半分が海の上だ、艦に乗らない生活・・・・・・、どんなだろう。
自衛隊を辞めてから暫く電話が恐かった、艦から電話がー。
「何をやっとるかー! 出航だ、直ぐ戻ってこい!」と電話がー。
暫くして一般公開へ行った時、しまゆきが私を乗せずに出航して行くのを見送った・・・・・・私を乗せずに。