海水は真水より浮きやすいって言うよね?
三か月の訓練が終わると我々は宴会旅行に出かける。
私達の時はちょっと離れた海辺の旅館だったが、それなりに豪華だったと思う。(バブル時期だったしね)
自衛隊を辞めて遊園地に勤めていた頃、夏の白い略服を着た二等海士で園内が溢れた事がある。
教育隊の旅行だったが、同期の者が班長として現れたのはビックリした。それと以前「まきぐも」で大変お世話になった人も一緒じゃん。
しっかりタダで遊具に乗せてやったが……、余計な事だったかな。
あの時、教育隊を離れる時、そう終業式の時、覚えているのは上陸用舟艇の油の匂いだ。
私達は沖を走る舟艇から教育隊に向けて叫んだ。
「バカヤロー!!」と。
そして我々はそれぞれの分隊に別れていく、私は一分隊なので広島県の呉にある第一術科学校へと向かう事となった。
そうあの、海軍兵学校があった江田島だ。
そこでは体力は重視しない、とは言え三ヶ月後最終日近くに何マイルか忘れたが遠泳が実施される。
その為水泳の授業が多く組まれている。海自に入隊するのだから水泳はお手の物だろうと思われるかも知れないが、そんなことは無い。
タニシ、ドジョウ、フナ、コイ、これは何を意味するのか分かるだろうか?
タニシはドボン! とプールに入ったらそれっきり浮かんでこない。
ドジョウはチョロチョロと泳いではプハッと、浮き上がる。
フナは泳ぐことは泳ぐが遅い、時間が掛かる。
そしてコイはーもう分かるよね、水を得た魚のように泳ぎまくる。(あれ? 使い方変かな)
と、言う事で私は勿論タニシである。
タニシは赤帽と呼ばれ実際に泳いでいる最中は赤い帽子をかぶる。
毎日毎日僕らはプールの♫、中で泳がされてやになっちょうよ。(注 泳げ、たいやき君より)
てなわけでちゃんと泳げるまで毎日が特訓である。二十五メートルプールを何往復もする。
そうするとプールの中でも汗をかいてしまう、なので教官は泳いでる私に向けてホースで水道水をかける。
これが冷たいこと冷たいこと、ひぇえええっ、てぇ感じだ。相当汗をかいていたらしい。
なんとかフナぐらいに泳げるようになると、いよいよ海へと移動する。
つづく、のである。




